アメリカ大リーグのオープン戦で日本人オペラ歌手が
アメリカ国歌を斉唱したとのニュースがありましたが。
オペラ歌手の田村さん米国歌を熱唱 米大リーグ始球式
ワシントンで開かれている全米桜祭りの一環として4日、
佐々江賢一郎駐米大使が大リーグのナショナルズ対ヤンキースのオープン戦の
始球式で1球を投じ、オペラ歌手の田村麻子さんが米国歌を独唱した。
このイベントは、今年で103回を数える桜祭りで初めての試み。
この日のために投球練習を重ねたサウスポーの佐々江大使は、
「日米友好のシンボルである野球を通し、両国の交流をさらに活発化させたい」
と、“初登板”を果たしホッとした様子。
続いて、和服姿で登場した田村さんが声量豊かに国歌を歌い上げると、
球場は盛大な歓声に包まれた。
田村さんは「こうした大舞台で、日本人が米国歌を歌えるのはめったにないこと」
と感激していた。
このニュースを聞いたとき、もの凄く違和感があったのですけど。
そんなことないですか。
日本人がアメリカ国歌を歌うってのが、そんなに光栄なことなんです?
大リーグの始球式のような晴れ舞台であってもしてもです。
なんか、日本人がアメリカ国歌を斉唱するというのは、
日本がアメリカの属国との現実を踏まえるとソレが、
とても違和感があって屈辱的な出来事のように思えたのですけど。
日本人がアメリカ国歌を歌ってアメリカを賛美する、
そうしたことがアメリカに対して卑屈になっている現れのような気がして、
どうにも居心地悪いのですが。
日本は独立した民主国家の体をして、日本国民にそう思わせているけれど、
やっぱり実態はアメリカの自治区みたいなもんなんだなということを、
突きつけられた気がしたんですよ。
いや普通に、日本人がアメリカへの尊敬を表現しているだけだとしても、
それを光栄だの快挙だのと捉えることはどうなんでしょうか。
じゃ、逆だったらどうでしょう。
アメリカ人がプロ野球の始球式かなんかで、「君が代」を歌うとしたら。
違和感ないですかねえ。
違和感はあったとしても、それは別に嬉しいことであって、
特に受け入れ難いことではないってカンジでしょうか。
それが親日家と言われるアメリカ人歌手、例えばシンディ・ローパーが、
東北のイベントか何かで日本国歌を斉唱したら、歓迎するのでしょうか。
そうか。
そりゃそうなんでしょうね。
じゃ、ロシアのオペラ歌手が日本国歌を斉唱したら?
もしくは韓国の歌手、東方神起や少女時代が日本国歌を斉唱したら?
やっぱり歓迎ですか。
やっぱりそうですか。
日本人は外国から評価されるのが大好きですもんね。
「日本スゴイ」で大丈夫? 自己陶酔なら歴史も歪む
ちまたに「日本ってすごい」の称賛があふれている。
和食やアニメ、漫画、それに宅配便やコンビニといったサービスの数々、
新幹線から炊飯器までのハイテクぶり、小学生がひとりで買い物に行ける
治安の良さや街並みの清潔さ、あれもこれもすごいという。
テレビのバラエティー番組などで頻繁にやっている「日本褒め」である。
ネット空間でも盛んで、最近は関連本も多い。
目立つのは外国人に褒めてもらうパターン。
世界が「スゴイ」と認めている、というわけだ。
昨年末に出たムック「JAPAN CLASS それはオンリーインジャパン」
は10万部を超すヒットとなった。
ネット上のブログなどを再編集したこの本は、
外国人の目を通した「日本スゴイ」のオンパレードだ。
「売れて売れて。まさかこんなに売れるとは思わなかった。驚きです」
と版元の東邦出版。大反響を受けて、続編を定期的に出すという。
ちょっと前まで「ここがヘンだよ日本人」などという番組が人気だったのに、
世の中もずいぶん変わったものだ。戦後70年、社会の閉塞感の裏返しか、
自信回復の表れか。排外主義や偏狭なナショナリズムに通じるとすればちょっと危うい。
長い歴史のなかでは、こうした現象はどう位置づけられるのだろう。
「たとえば中世の朝鮮王朝の人々とのつきあい方を見ても、
上から目線の一方で、文化への敬意を示す事例もある。
それが共存するし、容易に反転もする」と東島誠・聖学院大学教授は指摘する。
なるほど極端から極端に振れたり、自慰と自虐が同居したりする
日本的心性の一端が昨今の「日本スゴイ」なのかもしれない。
ただしそれも、いまの日本への自画自賛だけならまだいい。
問題は、さきの戦争をめぐる「過去褒め」だろう。
いわく
「アジアの国々はあの戦争によって独立を果たしたり、そのきっかけをつかんだりした」
「欧米の植民地支配から解放してくれた日本軍進攻を現地の人々は歓迎した」
「日本統治時代の教育を懐かしがる老人があちこちにいる」。
こんな言説が目立つようになった。
たしかに歴史は多面的だ。「大東亜を米英の桎梏(しっこく)より解放」すると
うたった大東亜共同宣言(1943年)なども、まったくの虚構とは言い切れない。
占領地での軍政がインフラ整備を進めた面もあるし、
現地住民と心を通わせた将兵も多かっただろう。
しかし過去を直視すれば、それは日本にとって都合のよい部分にすぎないことがわかる。
日本軍の南方作戦の大きな狙いは資源獲得だった。
しかも占領地では人々にさまざまな「日本」を押しつけた。
軍政が比較的うまくいったとされるインドネシアでも、
おびただしい数の「ロームシャ」が徴発された。
そんな事実に目をつむり、一面的な歴史観にとらわれてはなるまい。
自己陶酔で過去を歪(ゆが)めてはなるまい。
(後略)
それは置いといて、じゃ、日本人歌手が国歌交流の一環として、
ロシア国歌や中国国歌や韓国国歌を斉唱したら?
やっぱり歓迎ですよね。
まさか、売国、なんて言わないですよね?
まぁ、友好関係にあると認める国同士で、互いの国歌を歌い合う、
なんてことは考えられないではないのかもしれませんけども。
それが日本とアメリカとの関係で、日本人がアメリカ国歌の斉唱となると、
どうもその従属関係が露になっているような気がするのですけれども。
日本がアメリカに隷従して、ご主人を賛美しているかのようなね。
そんなことないのですかね。
ま、自分の過大な被害妄想に過ぎませんけどね。
アメリカ国歌を斉唱したとのニュースがありましたが。
オペラ歌手の田村さん米国歌を熱唱 米大リーグ始球式
ワシントンで開かれている全米桜祭りの一環として4日、
佐々江賢一郎駐米大使が大リーグのナショナルズ対ヤンキースのオープン戦の
始球式で1球を投じ、オペラ歌手の田村麻子さんが米国歌を独唱した。
このイベントは、今年で103回を数える桜祭りで初めての試み。
この日のために投球練習を重ねたサウスポーの佐々江大使は、
「日米友好のシンボルである野球を通し、両国の交流をさらに活発化させたい」
と、“初登板”を果たしホッとした様子。
続いて、和服姿で登場した田村さんが声量豊かに国歌を歌い上げると、
球場は盛大な歓声に包まれた。
田村さんは「こうした大舞台で、日本人が米国歌を歌えるのはめったにないこと」
と感激していた。
このニュースを聞いたとき、もの凄く違和感があったのですけど。
そんなことないですか。
日本人がアメリカ国歌を歌うってのが、そんなに光栄なことなんです?
大リーグの始球式のような晴れ舞台であってもしてもです。
なんか、日本人がアメリカ国歌を斉唱するというのは、
日本がアメリカの属国との現実を踏まえるとソレが、
とても違和感があって屈辱的な出来事のように思えたのですけど。
日本人がアメリカ国歌を歌ってアメリカを賛美する、
そうしたことがアメリカに対して卑屈になっている現れのような気がして、
どうにも居心地悪いのですが。
日本は独立した民主国家の体をして、日本国民にそう思わせているけれど、
やっぱり実態はアメリカの自治区みたいなもんなんだなということを、
突きつけられた気がしたんですよ。
いや普通に、日本人がアメリカへの尊敬を表現しているだけだとしても、
それを光栄だの快挙だのと捉えることはどうなんでしょうか。
じゃ、逆だったらどうでしょう。
アメリカ人がプロ野球の始球式かなんかで、「君が代」を歌うとしたら。
違和感ないですかねえ。
違和感はあったとしても、それは別に嬉しいことであって、
特に受け入れ難いことではないってカンジでしょうか。
それが親日家と言われるアメリカ人歌手、例えばシンディ・ローパーが、
東北のイベントか何かで日本国歌を斉唱したら、歓迎するのでしょうか。
そうか。
そりゃそうなんでしょうね。
じゃ、ロシアのオペラ歌手が日本国歌を斉唱したら?
もしくは韓国の歌手、東方神起や少女時代が日本国歌を斉唱したら?
やっぱり歓迎ですか。
やっぱりそうですか。
日本人は外国から評価されるのが大好きですもんね。
「日本スゴイ」で大丈夫? 自己陶酔なら歴史も歪む
ちまたに「日本ってすごい」の称賛があふれている。
和食やアニメ、漫画、それに宅配便やコンビニといったサービスの数々、
新幹線から炊飯器までのハイテクぶり、小学生がひとりで買い物に行ける
治安の良さや街並みの清潔さ、あれもこれもすごいという。
テレビのバラエティー番組などで頻繁にやっている「日本褒め」である。
ネット空間でも盛んで、最近は関連本も多い。
目立つのは外国人に褒めてもらうパターン。
世界が「スゴイ」と認めている、というわけだ。
昨年末に出たムック「JAPAN CLASS それはオンリーインジャパン」
は10万部を超すヒットとなった。
ネット上のブログなどを再編集したこの本は、
外国人の目を通した「日本スゴイ」のオンパレードだ。
「売れて売れて。まさかこんなに売れるとは思わなかった。驚きです」
と版元の東邦出版。大反響を受けて、続編を定期的に出すという。
ちょっと前まで「ここがヘンだよ日本人」などという番組が人気だったのに、
世の中もずいぶん変わったものだ。戦後70年、社会の閉塞感の裏返しか、
自信回復の表れか。排外主義や偏狭なナショナリズムに通じるとすればちょっと危うい。
長い歴史のなかでは、こうした現象はどう位置づけられるのだろう。
「たとえば中世の朝鮮王朝の人々とのつきあい方を見ても、
上から目線の一方で、文化への敬意を示す事例もある。
それが共存するし、容易に反転もする」と東島誠・聖学院大学教授は指摘する。
なるほど極端から極端に振れたり、自慰と自虐が同居したりする
日本的心性の一端が昨今の「日本スゴイ」なのかもしれない。
ただしそれも、いまの日本への自画自賛だけならまだいい。
問題は、さきの戦争をめぐる「過去褒め」だろう。
いわく
「アジアの国々はあの戦争によって独立を果たしたり、そのきっかけをつかんだりした」
「欧米の植民地支配から解放してくれた日本軍進攻を現地の人々は歓迎した」
「日本統治時代の教育を懐かしがる老人があちこちにいる」。
こんな言説が目立つようになった。
たしかに歴史は多面的だ。「大東亜を米英の桎梏(しっこく)より解放」すると
うたった大東亜共同宣言(1943年)なども、まったくの虚構とは言い切れない。
占領地での軍政がインフラ整備を進めた面もあるし、
現地住民と心を通わせた将兵も多かっただろう。
しかし過去を直視すれば、それは日本にとって都合のよい部分にすぎないことがわかる。
日本軍の南方作戦の大きな狙いは資源獲得だった。
しかも占領地では人々にさまざまな「日本」を押しつけた。
軍政が比較的うまくいったとされるインドネシアでも、
おびただしい数の「ロームシャ」が徴発された。
そんな事実に目をつむり、一面的な歴史観にとらわれてはなるまい。
自己陶酔で過去を歪(ゆが)めてはなるまい。
(後略)
それは置いといて、じゃ、日本人歌手が国歌交流の一環として、
ロシア国歌や中国国歌や韓国国歌を斉唱したら?
やっぱり歓迎ですよね。
まさか、売国、なんて言わないですよね?
まぁ、友好関係にあると認める国同士で、互いの国歌を歌い合う、
なんてことは考えられないではないのかもしれませんけども。
それが日本とアメリカとの関係で、日本人がアメリカ国歌の斉唱となると、
どうもその従属関係が露になっているような気がするのですけれども。
日本がアメリカに隷従して、ご主人を賛美しているかのようなね。
そんなことないのですかね。
ま、自分の過大な被害妄想に過ぎませんけどね。
国のために戦うって素晴らしいと思います。
アメリカにはRESISTANCEが居ませんねえ。
馬🐴が好きです。