前に書いた《イチローと羽生善治》の続編です。
プロフェッショナル仕事の流儀の正月特番、《イチロー・スペシャル》のことを書きました。
「7年目の去年のシーズンにして初めて、重圧から目を背けず、あえてそれに向き合い、敢然と挑むことができた。」と言っている。
「毎年、何かを変えているんですけど、今年は07年につかんだもので臨みます。それぐらい、今回つかんだものは、僕にとって揺るがないものではないかと思っています。より作品という表現のできるプレーができるんではないか。結果としてそうなったんではなくて、俺はこれを作ったと表現できるプレー。プロ入りして16年の試行錯誤は余りに長かったですけれども、不動の何かをようやくつかむかも知れない。そのスタートに立ったと思っています。2008年のシーズン、とても重要な年です。」
去年のシーズンで、彼は何かを掴んだ。
自信と経験に裏打ちされたしっかりしたなにかを掴んだ。
孤高の人。
求道者。
一人だけ別の世界に生きている。
オープン戦で、26打数ノーヒットと、まったく打てなかったのは、逆に言うと自信の表れではないのか。
多分、いろいろ試してみていたのだと思う。確認していたんだと思う。
プレッシャーとあえて向き合う。
日米通算3000本安打と、張本の日本最多安打3085本を視野に入れている今年。(MLBの最多安打はピート・ローズの4256本だって。ケタが違う!)
『そんなことを意識せず、一打席、一試合を大切に、やれることをやる。』
なんて、普通はよく言うけど、そんなバカな事は言わない。
ちゃんと意識して計算してやるのがプロだし、エンターテイナーだ。
そこから逃げるんだったらもうとっくに野球選手やめてますよ。
と語っている。
今年35歳という年齢を加味しているし、それだけ日常の細かい事までその目標のために徹底している。
イチローは、ディズニーランドの徹底したやり方のことを引き合いに出していた。
「ミッキーマウスは世界で一匹(?)しかいない。
例えば、ある日のある時間、浦安のディズニーシーにミッキーがいたら、ディズニーランドには決していないし、その同じ時間、世界中のディズニーランドにも、絶対にミッキーはいない。」
それくらい夢を大事にすることを徹底している。
目標達成のために、出来る限りのことをすべて徹底する。
一分の隙もなく。
イチローは、他の選手と別次元のところで戦っているように感じる。
そして、ジャンルは違えども、羽生もそうなのでは、と思える。
オープン戦というのはないので、いろいろ試してやってみるのは実戦。
タイトル戦までもを、新たなチャレンジの場にしている。
100%自信はなくても踏み込んでみる。
未知の世界、混沌の中に、相手とともに入り込んでいく。
そのためのリスクはリスクと思わない。
むしろ楽しんでいる。
経験による読みとか知恵の力が大きいと思っている。
むしろそこで勝負した方が勝てるとも思っている。
自分がわからないのなら、相手はそれ以上にわからないはず。
そんな気迫が伝わってくる。
イチローが、もしもストライクゾーンの球しか来ないのであれば、間違いなく自分が一番ヒットを打てるはず、と自信をもって言っていた。
羽生も、局面が難解なら難解なほど、
自分が一番深く読める、いい手が指せる、その確率が一番高い、
と思っているのではないだろうか。
そして他の棋士は、難しくて自信がないということにプラスして、
多分ここでは羽生の方が自分より先を読んでいるだろう、
何かいい手を用意しているはず、
想定内なのではないか、と、勝手に思ってしまい、
自分から手をおかしくしていく。
ここが、強い羽生をさらに強くしているところじゃないだろうか。
羽生マジックの所以。
勝率7割超えの理由。
今回の名人戦、前に書いたように永世名人がちらつき、気負いが見られる感もあるのだけど、昨日の第二局では、きちんと羽生らしさを出して終始危なげなく寄せきった。
shogitygooさんの昨日の記事にこんな風に書かれていました。
-----------------------------------------
プロ棋士ならば、「ここはこうすべき」「筋はこう」といったものを、どのレベルのプロでも共通感覚として保持しているはずだ。そういうのがないと、ブロになどなれっこない。しかし、さらにその中からプロでも抜け出るためには、そういう「プロの常識」から外れる手を指す能力も必須なのだろう。柔軟な羽生はその典型だが、それは他のトップの佐藤康光など、誰についても言えそうだ。
それにしても、今シリーズの羽生は。積極的な感じがする。羽生は、きちんと合理的な考えて将棋を指すのを基本としながら、明らかにそれ以外の要素も考えたり感じ取ったりして指している棋士である。それは、羽生のどんなインタビューを、少しでも読めばすぐ分かることだ。今回も、きっと指し方のテーマのようなものがあるはずだが、それは羽生自身にしか分かりようのないことである。
よく分からないが、何か荒々しい羽生が見られそうなシリーズになるのではないか。
---------------------------------------
イチローと羽生。
もちろん性格も取り組む姿勢も何も違うのだろうけど、
見ているものは、相手、敵、ではなく、
ある種哲学のような高みの境地。
何を見て、どんなテーマに取り組み、何を成し遂げようとするのか。
普通の人ではなかなか見えない何かを見据えて、どこに向かって行くのか。
それは野球というもの、将棋というものの本質。
そして、その本質さえも変えてしまうような二人の想像を絶する力。
今年のシーズン、そして、今回の名人戦、楽しみがさらに増してきています。
プロフェッショナル仕事の流儀の正月特番、《イチロー・スペシャル》のことを書きました。
「7年目の去年のシーズンにして初めて、重圧から目を背けず、あえてそれに向き合い、敢然と挑むことができた。」と言っている。
「毎年、何かを変えているんですけど、今年は07年につかんだもので臨みます。それぐらい、今回つかんだものは、僕にとって揺るがないものではないかと思っています。より作品という表現のできるプレーができるんではないか。結果としてそうなったんではなくて、俺はこれを作ったと表現できるプレー。プロ入りして16年の試行錯誤は余りに長かったですけれども、不動の何かをようやくつかむかも知れない。そのスタートに立ったと思っています。2008年のシーズン、とても重要な年です。」
去年のシーズンで、彼は何かを掴んだ。
自信と経験に裏打ちされたしっかりしたなにかを掴んだ。
孤高の人。
求道者。
一人だけ別の世界に生きている。
オープン戦で、26打数ノーヒットと、まったく打てなかったのは、逆に言うと自信の表れではないのか。
多分、いろいろ試してみていたのだと思う。確認していたんだと思う。
プレッシャーとあえて向き合う。
日米通算3000本安打と、張本の日本最多安打3085本を視野に入れている今年。(MLBの最多安打はピート・ローズの4256本だって。ケタが違う!)
『そんなことを意識せず、一打席、一試合を大切に、やれることをやる。』
なんて、普通はよく言うけど、そんなバカな事は言わない。
ちゃんと意識して計算してやるのがプロだし、エンターテイナーだ。
そこから逃げるんだったらもうとっくに野球選手やめてますよ。
と語っている。
今年35歳という年齢を加味しているし、それだけ日常の細かい事までその目標のために徹底している。
イチローは、ディズニーランドの徹底したやり方のことを引き合いに出していた。
「ミッキーマウスは世界で一匹(?)しかいない。
例えば、ある日のある時間、浦安のディズニーシーにミッキーがいたら、ディズニーランドには決していないし、その同じ時間、世界中のディズニーランドにも、絶対にミッキーはいない。」
それくらい夢を大事にすることを徹底している。
目標達成のために、出来る限りのことをすべて徹底する。
一分の隙もなく。
イチローは、他の選手と別次元のところで戦っているように感じる。
そして、ジャンルは違えども、羽生もそうなのでは、と思える。
オープン戦というのはないので、いろいろ試してやってみるのは実戦。
タイトル戦までもを、新たなチャレンジの場にしている。
100%自信はなくても踏み込んでみる。
未知の世界、混沌の中に、相手とともに入り込んでいく。
そのためのリスクはリスクと思わない。
むしろ楽しんでいる。
経験による読みとか知恵の力が大きいと思っている。
むしろそこで勝負した方が勝てるとも思っている。
自分がわからないのなら、相手はそれ以上にわからないはず。
そんな気迫が伝わってくる。
イチローが、もしもストライクゾーンの球しか来ないのであれば、間違いなく自分が一番ヒットを打てるはず、と自信をもって言っていた。
羽生も、局面が難解なら難解なほど、
自分が一番深く読める、いい手が指せる、その確率が一番高い、
と思っているのではないだろうか。
そして他の棋士は、難しくて自信がないということにプラスして、
多分ここでは羽生の方が自分より先を読んでいるだろう、
何かいい手を用意しているはず、
想定内なのではないか、と、勝手に思ってしまい、
自分から手をおかしくしていく。
ここが、強い羽生をさらに強くしているところじゃないだろうか。
羽生マジックの所以。
勝率7割超えの理由。
今回の名人戦、前に書いたように永世名人がちらつき、気負いが見られる感もあるのだけど、昨日の第二局では、きちんと羽生らしさを出して終始危なげなく寄せきった。
shogitygooさんの昨日の記事にこんな風に書かれていました。
-----------------------------------------
プロ棋士ならば、「ここはこうすべき」「筋はこう」といったものを、どのレベルのプロでも共通感覚として保持しているはずだ。そういうのがないと、ブロになどなれっこない。しかし、さらにその中からプロでも抜け出るためには、そういう「プロの常識」から外れる手を指す能力も必須なのだろう。柔軟な羽生はその典型だが、それは他のトップの佐藤康光など、誰についても言えそうだ。
それにしても、今シリーズの羽生は。積極的な感じがする。羽生は、きちんと合理的な考えて将棋を指すのを基本としながら、明らかにそれ以外の要素も考えたり感じ取ったりして指している棋士である。それは、羽生のどんなインタビューを、少しでも読めばすぐ分かることだ。今回も、きっと指し方のテーマのようなものがあるはずだが、それは羽生自身にしか分かりようのないことである。
よく分からないが、何か荒々しい羽生が見られそうなシリーズになるのではないか。
---------------------------------------
イチローと羽生。
もちろん性格も取り組む姿勢も何も違うのだろうけど、
見ているものは、相手、敵、ではなく、
ある種哲学のような高みの境地。
何を見て、どんなテーマに取り組み、何を成し遂げようとするのか。
普通の人ではなかなか見えない何かを見据えて、どこに向かって行くのか。
それは野球というもの、将棋というものの本質。
そして、その本質さえも変えてしまうような二人の想像を絶する力。
今年のシーズン、そして、今回の名人戦、楽しみがさらに増してきています。
中田英寿
武豊
三人とも卓越した能力の持ち主であるが、彼らが引退して後進に何か伝えることがあるのだろうか。いや、指導者としての能力があるのだろうか。いや、彼らは(中田はすでにそうだが)指導者にはならないのではないか。
>イチロー、中田英寿、武豊
三人とも卓越した能力の持ち主であるが、彼らが引退して後進に何か伝えることがあるのだろうか。いや、指導者としての能力があるのだろうか。いや、彼らは(中田はすでにそうだが)指導者にはならないのではないか。
そうですね、多分イチローは指導者じゃないと思います。武豊は普通に調教師じゃないですか?違うかな?
中田は、どうしていくんでしょうか?
あと、関係ないけど、新庄は?
70歳の定年まで時間が少ない、
藤沢調教師と馬のとりあいはしたくない(腕の衰えで容赦なく切られたのであるが)、
弟分の坂本調教師の不振、
で調教師にならなかったのでありますが、豊騎手も調教師にはならないでしょう。調教師としてのマネージメント能力があるかどうかわかりません。
逆にイチローは日米どちらかわかりませんが、野球界への恩返しとして打撃コーチになるのではないでしょうか。
羽生の弟子??康光さんや森内さんは弟子を取りそうですが、羽生さんにはイメージはわきません。でも谷川さんが都成三段を弟子にしたのですから、羽生門下の弟子はできるのかもしれません。
>騎手上がりの調教師の成績が伸び悩んでいます。今は大学出身の調教師が好成績をあげています。岡部騎手の場合は、70歳の定年まで時間が少ない、藤沢調教師と馬のとりあいはしたくない(腕の衰えで容赦なく切られたのであるが)、弟分の坂本調教師の不振、で調教師にならなかったのでありますが、豊騎手も調教師にはならないでしょう。調教師としてのマネージメント能力があるかどうかわかりません。
詳しいですね。勉強になります。昔はいろいろ詳しかったけど、最近競馬はG1しか見てないので、よくわかりません。そうなんですか、調教師って、皆騎手上がりかと思っていました。
>逆にイチローは日米どちらかわかりませんが、野球界への恩返しとして打撃コーチになるのではないでしょうか。
うーん、興味深いです。
理論的ではあるでしょうし、使う言葉も深そうですね。
>羽生も、局面が難解なら難解なほど、
自分が一番深く読める、いい手が指せる、その確率が一番高い、
と思っているのではないだろうか。
羽生さんは、他の棋士たちも現代将棋に自信や気迫の入り込む隙などない事を痛感しているのではないだろうか?だからこそ、ストイックな態度で将棋に臨めるのでは
>羽生さんはプロフェッショナルではあえて読まないと言っていた。
羽生論については、まだまだ奥が深いし、僕もいろいろ本を読んだり考えていきたいです。
>羽生さんは、他の棋士たちも現代将棋に自信や気迫の入り込む隙などない事を痛感しているのではないだろうか?だからこそ、ストイックな態度で将棋に臨めるのでは
ちょっと一人だけ立っている場所が違うのではと思います。
同じ局面でも、全く違った方向から見ているような気もします。
本当に歴史に残る偉人ですね
森内さんとのライバル関係なんかも
漫画の話のようで鳥肌ものです。