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ブラウン管を投げ捨てろ!!:もう無いけど…。


コロナ過中の暑苦しい夏の時期(2020年8月)、某半島の国家において、
日本の首相に酷似した人物が謝罪している像を、
慰安〇像の前に設置したというニュースを、
インターネットで知ることとなった。
これは自国の領土(竹〇)を不法占拠している隣国でなくても、
宣戦布告レベルの政治的な挑発行為にも関わらず、
どこのテレビ番組でも、コロナショックに関連するニュースしかなく。
この事実を知らないと言う人も多かった。
韓流ドラマを放送できる放送時間はありながら、
日本人が知る必要もない外国のニュースだと判断されたのだろうか?
どのような意図があったのかは分からない。
社会性の乏しい人間であることを自覚している身ではあるけど。
さすがに不快な気分になった。
それから数カ月経っても、テレビの番組表をチェックしてみれば、
韓流ドラマを放送しているテレビ局があり。
驚かされてしまう。

これらのテレビ局は、一体、どこの国で放送しているつもりなのだろうか?
政治と国民性は、無関係であり。
お互いの生活や文化を理解していくことで、
良好な関係になることを考えていきましょう。
…などと言われて、20年以上になる。
今年、紅〇においても、K-〇opのグループが出演するようだけど。
もう、正直、どうでもいい。



営利企業でもあるテレビ局や新聞社が、自社やスポンサー企業にとって、
不都合な情報を発信しないのは、当たり前とも言えるけど。
メディアの公正性や職業倫理の点では、かなり不道徳な話。
こんな社会の実態は知られることもないまま、
どこかでメディアコントロールされてきたこともあり。
「インターネットを通して、不都合な情報(都合の悪い情報)が、
世間に知られないように抑制したい」と考えている人間は多く。
その手段も生まれつつある。
日本の報道機関には、世論を煽り、戦線を拡げた贖罪の意識があると聞く。
しかし、歴史的な反省と現在の問題は、別のもの。



蛇足:
大河ドラマは、毎週、楽しみにしているけど、
NH〇総合もN〇K教育(E〇レ)にも
お金(受信料)を払ってまで見たい番組は、ほとんどない。
どこのテレビ番組を見ても、コロナ関連のニュースしかないのだから…。
もし、ほとんど強制的に払わされている受信料を払わなくてよいのなら、
まったく見なくても困らない。
大晦日の××歌合戦など見る気も聞く気もないから、
受信料を返してくれ…というのが、正直なところ。

…それでも強いて言えば、100分de名著は、別かな?
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狂気(クレイジー)に思えても、聖夜なのよ?


ちょっとした用事で、東京駅前の郵便局、KITTEに寄ってみたところ。
クリスマスツリーともイルミネーションとも言えそうなものがあり、
何枚か、撮っていくことにしました。




以前に記したけど。
クリスマスツリーの “☆(星)”の飾りは、
イエス・キリストの誕生を知らせた「ベツレヘムの星」の逸話からのもの。
ツリーのイルミネーションは、
宗教改革で知られるマルティン・ルターが発想したと聞く(諸説あり)。
キリスト教文化の影響を無視できないクリスマスだけど…。
実際には、イエス・キリストの生誕の日でもなく。
キリストの生誕日を始まりとする西暦にも、
歴史との照合を怠ったためズレがあるとも言われる。
そんなキリスト教と言えば、カトリックとプロテスタントの2派だけにも、
思えるときがあるけど。
ギリシア正教やロシア正教(この2つの正教は、同じ派に属する)もあり。
これらに分かれていった経緯には、歴史的な事柄が、
ゴチャゴチャと絡んでくるのも、世界的な規模の宗教らしい。



4世紀末、ローマ帝国は、東西に分かれる。
その後、西ローマ帝国は滅亡し、
東ローマ帝国は、港町の名前から、ビザンツ帝国と呼ばれることとなる。
キリスト教は、ローマ帝国の国教だったこともあり。
政治的な権力とも無縁でもないのだろうけど。
8世紀、ビザンツ帝国の皇帝は…。
「キリストは神であり、神の姿を人間のように表現するのは
許されない」と、“聖像”を崇めることを禁止する(聖像崇拝禁止令)。

この聖像崇拝禁止令に対して、
西ヨーロッパで勢力を広げていたローマ教会は、反発する。
ビザンツ帝国の皇帝の話は、もっともに思えるけど、
現実に即していなかった。
何故なら…。
西側には文字の読めない人が多く。
それらの人々への教材や宣材ともなる聖像が、布教には必要でもあった。
聖書には…、
「人はパンのみにて生きるにあらず」とは記されているもの。
聖職者たちとて、食わねば生きていけない。
当時のキリスト教は、単なる宗教でなく。
現在と違って、教養や学位、権威といったもの。
(ある意味、現在もだけど…。)
生活の糧にも関わることだったのかも知れない。
これが発端(引き金)となって、
ローマ帝国とコンスタンティノープルの教会は対立。
11世紀には、西のローマカトリック教会と、
東のギリシア正教会とで分裂してしまう。
さらに16世紀の宗教改革によって、
カトリックとプロテスタントへと分かれていくのだけど…。
現代人の主観で言わせてもらえれば…。
つくづく思想(宗教)って面倒くせぇなぁーあ!!
(言ったら、おしまいだよ)



ついでに言えば、11世紀以降のヨーロッパの人々には、
十字軍の遠征により、キリスト教徒としての一体感もあり。
キリスト教は、統一国家を作るための、よき下地となり。
法王を頂点としたピラミッド型に組織された教会のシステムは、
広い国土と多くの国民を一人の王が支配する方法を示唆してくれる。
ここにエラい人たちの政治的な意図が見え隠れしているときもあり。
歴史上の人物たちの、トホホな部分に気付いてしまうときもある。
(ダメじゃん!)



蛇足:
これも以前にも記しましたが…。
サンタクロースの衣装は、コカ・コーラによるもの。
クリスマスを商業化させたのは、
大手デパートの”メーシーズ”だと聞いたことがある。
異国の文化への敬意もなく、
ただ軽薄な商業主義的なイベントとなっているクリスマスやハロウィンを、
好きになれない…とでも言えば、ヒネた大人みたいだけど。
プレゼントを貰うこともなければ、贈る相手もいない。
だから…。
イブとクリスマスの2日間は、ただのバカ騒ぎに見える。
そして、年末年始には、まるで無かったものとして寺社へと向かう。
まさに狂気の沙汰としか思えない…というのは、
もちろん、ただのヒガみ(ブウたれているだけなの、よ)。
そんな気分でありながら、
「東京クリスマスマーケット」で利用したカップを捨てられず、
持ち帰っているところもあり。
自分の気持ちには、どこかウソが含まれていることに気付かされる。
どこかで、やけ酒でも煽るかな。

東京クリスマスマーケットに関連した過去の記事 ⇒
「東京クリスマスマーケット:2019年芝公園」
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撮影手段は試行錯誤、いまだ迷走中!?


1週間ほど前、ブックマーク登録しているブログ上において、
運転中の車内から見えた光景に刺激され、
停車して、道路上からカメラ撮影したもの、
どうにも印象が違うというものがあった。
これと、似たような経験もあったことから、色々なコメントを考えたもの。
どうにも、まとまりませんでした。
カメラの画像では…、
ほとんど同じ条件、状況で、撮影された画像でも、
その印象が異なることも多く。
運転手の視点でとらえる車内からの光景と、
道路上からの歩行者の視点が、同じ雰囲気にならないのは、
仕方のないときもある。
そこで、運転席の隣である助手席に三脚を固定して、
撮影すれば、かなりの画像が撮れそうだけど。



自動車の教習所などでは、運転中には進行方向に目線を向けることを、
徹底して指導される。
これは、多くの場合、運転者は目線へと車体を誘導するからであり。

運転中、カメラを隣に置き、煩雑な操作をするのは、かなり危険な行為。
さらに三脚が倒れて、足元にでも転がれば、
どんな悲惨な事態になるかは、想像もしたくないところ。
こんなときに便利なのが、スマートフォンやタブレット用の吸盤式マウント。
これを助手席側で、視界の外側(邪魔にならない)の位置に固定して、
リモコンでシャッター操作する。
ただしスマートフォンの場合、消費電力を抑えるため、
画面が、一定時間で落ちてしまう。
まだまだ工夫が必要になる。
そう言えば、吸盤式のマウントには、カメラ用のネジになっているものもあり。
リモコン操作できるデジカメを用いれば、具合が良さそうにも思える。
ちなみに、2019年9月に、長和町へと向かう車内で撮った画像は、
スマートフォンを用いて、上記のやり方で撮影したのですが…。
カーナビに加えて、スマートフォンの画面が、目線に入ることで、
集中力が削がれることから、静止画撮影を断念。
(死にたくありませんので…。)
動画撮影したまま、静止画として切り取ったものになります。
…と、あまり、お勧めできないのが、実情です。


<これが、記事内容の(以前に用いた)画像>

便利な機能を搭載したドライビングレコーダーなどもあると聞きますけど。
勝手が分からないため、なかなか良い手段が思いつかないまま。
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捏造。ただ、うまくもなく、:2020年末レポート2

(前日からの続き)
焼き鳥屋のメニューにもある“捏ね(つくね)”を造る…と書いて、
「捏造:ねつぞう」と読むことに気が付いたとき。
ニュースにもなった、あの話題を思い出した。


毎年2月は、多くの飲食店や販売店の売上げは、落ち込む時期になり。
3~4月の卒業・入学シーズンで盛り返さないと苦しくなってしまう。
今年、2020年は、コロナショックによる世論の風潮などで、
この期間は、自粛営業となった。
この損害は、甚大で、かなり深刻な事態となり。
政府主導で「ゴォー、トゥー、イート」という救済措置が、
とられることになったけど。
物事に、お役所が絡むと…、
当事者たちの事情や過去の流れに関係なく。
いきなり、おエラいさんの都合で始まる。
この「ゴォー、トゥー、イート」は、
ネット上から、事前予約した店舗で食事をすれば、
ポイントが付与され、次回以降の食事にも利用できる制度のようだった。
しかし、職場の同僚たちなどとで、
居酒屋への、団体のコース予約を入れることはあるけれど。
「ちょっと飲みに行くか」ともなれば、
例え、お手頃価格になるにしても、
予約などでモタモタしていれば、気分も下がってくる。
それに独り身で生活しているような人間にとっての外食は、
煩わしい手間を省きたいからであり。
馴染みの店で思いついたものをオーダーしたり、
ファーストフードの店を利用することが多く。
異性とのデートでもなければ、わざわざ予約する気にもなれなかった。
(結局、利用していない。)
この制度を用いて、焼き鳥居酒屋「鳥貴族」において、
ポイントを荒稼ぎするものまでおり。
詳しい事情は知らないけど。
悪い印象ばかり残ってしまった“鳥貴族”こと、
“トリキ”には、ちょっと同情してしまったほどだった。



もちろん、このような制度は、
運営していくことで問題が判明するものだけど。
この制度には、これまでに納税されてきた税金が用いられている。
誰だって、自分で自由に使える金額、いわゆる“お小遣い”には限界がある。
そんな自分のお小遣いや給料から、
消費税や所得税などで納められてきた税金が、
国家(と、その関連機関)によって、ザッパに扱われており。
社会制度のアラをつき、タダ飯を食い漁っている輩(やから)がいれば、
もちろん面白くなかった。
その後、もう少し使い勝手の良さそうな、
「ゴォー、トゥー、イート食事券」が準備されると聞き、申し込んだもの。
延期となった!
しかも、世界的な被害をもたらしているコロナショックの影響から、
リモートビジネスなどでのインターネット利用が増えたもの。
正直、これらのサイトやシステムの使い勝手が悪いことも多く。
それなりにPCやネットの扱いには慣れているつもりだったけど、
「何がぁ、ゴートゥ、イートだぁ!!」
「お前ら、まとめてゴートゥーヘルだぁ!!」と…、

ハードウェア(コンピューター)よりもオペレーター(人間)の方が、
ショートする始末だった(また、やってしまった)。



人の意思や欲求(欲望)が絡むだけに…。
いつの時代も、社会の問題というものは、複雑になる。
しかも、まだ終わりそうもないのよ…(トホホ)。
(2020年12月27日一部改訂)
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未知のウイルス、無知(無恥)であること:2020年末レポート


今年、令和2年は、西暦にして2020年。
どこか数合わせもよく。
今年、予定されていた東京オリンピックは、
待ち望んでこそいなかったもの。
何か予感させるものがあった。
ある意味、それは的中したと言えるかも知れない。




昨年末(2019年)、12月
中華人民共和国の武漢市で、新型コロナウイルスによる発症が確認される。
この新型コロナウイルスの危険性を、感染被害が拡大する前から、
訴えていた医師(李文亮医師)もおられたが…。
当局の「デマを広めるな」という圧力によって、黙殺されることとなり。
残念ながら、感染によって亡くなられたと聞く。
数週間後、この新型コロナウイルスによる感染被害は、
日本を含め、世界中で確認されることになり。
およそ100年前(1918年~1919年)、
世界的な規模で蔓延した、A型インフルエンザ(スペイン風邪)のように、
歴史的なパンデミック(伝染病の大流行)となっている。
日本人には、パンデミックやバイオハザードなど、
カタカナ(横文字)で並べられた言葉は、遠い外国のことにも思える。
それに医療や生物学などは、ほとんど分からない。
しかし、感染力の強い未知のウィルスによって病気になれば、
ほとんど治療方法はなく。
ここで自身が感染しないことが、周囲の人々を守ることだ…とは、
自覚できていた。



ちょっと不謹慎な言葉だが、
「今、地球は未知のウィルスの存在により危機にあった!」
…という陳腐なパニック映画のような状況には、
刺激を受けていた部分もあった。
しかし、現実は、フィクションとは異なり、
2~3時間でエンドクレジットとはならない。
遂には、年末にもなっても、テレビをつければ、
コロナウィルスの感染状況を伝えるニュースばかり。
社会の問題点を伝えるのが報道機関なら、
まるでパニック映画やゾンビ映画のワンシーンのような報道は、
どこか中途半端で、説明責任(報道責任)を果たしているとは思えない。
正直、ゲンナリしてしまう。
(まだレポートを続けます。⇒)
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