ただ感じたものを、文字には変えてはみたものの・・・、
文章と呼べるものには、ほど遠いものだったり、
他人様に見せられないものだったりすることが、よくある。
当たり前に、ボケッと生活しているようでも、
色々なことがあるのが、日常と言うもの。
このブログ上で、よく使っている言い方になってしまうけど。
”日常は、じつに多くのものを内包している。”
そのこともあって、ブログ開設時から、ネタに困ることなどないだろう…と、
思っていた。
しかし、そうも簡単にいかないのが、現実というもの。
同じような話題や変化にとぼしい話題では、単調になっちゃうし、
言い回しにも困ってしまう。
アップしている当人にとっても、刺激の薄いものになってしまう。
”日常は、じつに多くのものを内包している。”
そこから、どれだけのものを吸収できるかは、
これまで本人が蓄えてきたものによるもの。
それを、最近、ようやっと理解してきた。
料理に例えれば、冷蔵庫のありあわせの食材だけで料理していくには、
料理人の腕”力量”が必要になっていくのと同じく。
日常を文面にして、他人へ伝えようとする知識や表現力…という”力量”が、
必要だということ。
この”力量”を意識するようになってから、強く感じるのは”教養”の大事さ。
ちなみに…。
ここで言う教養とは、”学位”ではない。
世の中には、高い教養課程を受けてきたとは思えないものほど、
頭の使い方を知らない実務能力のない学位だけのヤツなど多くいる。
そう言う体裁だけの教養課程ではなく、
日常から、多くのものを感じ取れる”感性”のようなもの。
こう考えてみると、学生の頃、勉強していなかったのだなぁーと考えさせられてしまう。
それなら、遊び呆けていたかと言うと、
そんな余裕もなく、ダラダラと日常を消費していただけのようにも思えてしまう。
そんなわけで、また教養番組を見たり、本を読んだりしているのですけど…。
そのまま、学習内容や知識を記事にするのもインパクトが弱い。
なにより、他人の受け売りのままでは、芸がない。
何事も、一朝一夕とは行かないというところ…が、なんとも、もどかしいところ。