手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

昭和生まれの野暮男

2014-12-19 18:27:54 | 随想
 最近はやった流行歌、昭和男唄の出だしは「口は重いし 愛想もないし 飾る言葉も洒落もない そんな自分に苦笑い・・・」という台詞で始まる。

 私も持ち歌の一つに入れているのだけれど、自分が歌われているような気がする。

 今や昭和は遠くなりにけりといった時代になっているが1930年生まれの私はまさに昭和生まれの典型かもしれない。

 戦前戦後の境を生きてきた私です。敗戦時代の苦しい生活、そしてバブルの時代の終わる時に退職を迎えたのでした。苦しいことも多かったけれど、少ない小遣いをはたいて、はしご酒で酔いしれて楽しんだこともあった。だけど世間知らずに、時の流れに流されながら生きてきた。飾る言葉も洒落もない、面白くもなく、人を笑わせる器用さもなく、口下手で、でもまあよくここまで生きてこられたものだとしみじみ思う。

 今の若い方たちの歌などを聞いていても言葉を聞き取れない、テレビにあふれているお笑い芸人の当意即妙な話術はうらやましいけれど、私にはできないことだからあまり真剣に聞くこともない。

 カラオケ大好き人間になっているけれど、もっぱら演歌です。今の若い人の歌は歌えないし覚えようとも思わない。日本語の歌を聞いているような気がしない。

 今は夜の街を彷徨する歳でもないから、余計わからないのだと思うけれど、はしご酒して楽しめるような飲み屋さんも少なくなっいるのじゃないだろうか。今更そんな楽しみはできないのだけれど、想像すると寂しい時代のように思える。でも、若い人はそれなりの才覚でしっかり楽しんでいるのでしょう。

 此の世代間の断絶のようなもの、これからの芸能にどんな影響となるのだろう。手稲に住んで見ている限り、伝統芸能は次々に衰退していっている。盛んになっているのはカラオケとフラダンスみたいに思える。若者の車離れも進んでいるのでしょうか。暴走族という言葉も聞かなくなった。

 昭和の時代にはあまりなかった何万人も集めてのライブが盛んにやられている。あれもはたから見ていると歌を楽しんでいるのでなく、総立ちになって声を限りに声援を送り、みんなと一緒に盛り上がるのが楽しみなのかと思う。サッカーや野球の応援みたいなものなのかもしれない。少なくとも歌詞の素晴らしさに共鳴してのものとは思えない。

 こんな風にしか世間を読めない昭和生まれの野暮男です。

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