手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

且井君が亡くなった

2017-11-22 18:52:56 | 身辺雑記

 今日喪中の葉書がきた。既に何件か来ていて多くは親族にかかわる喪中なのだが、今日は何と且井君の奥さんからのもので、且井君が8月に肺炎で亡くなったというものでした。

 彼は美唄東高校在職中からの思い出の多い友人だった。私より二歳年下で同じ国語の教員てした。紋別から転勤してきて、とても活動的な方で、私とはとてもし因縁のある方でした。丁度教頭制度が定着する頃でまだ管理職登用試験の始まる前の年だったと思います。当時の森浦校長から私に「教頭に推薦する」という話が来ました、その時私には寝耳に水で、又自分で教頭などという職務は向いていないという自覚があったし、直ぐ私はその気がないので、且井君を推薦し上げてくださいといって断った。その結果且井君が推薦され教頭になっのでした。

数年後、私が札幌に転勤となり、札幌西陵高校で団体事務局の仕事をしているときに、札幌西高校の教頭として且井君が来られました。丁度その時、西陵高校のPTAは全道のPTA連合会の事務局になっていました。そして高P連全国大会が、北海道開催が決まっていて非常に忙しかったことを覚えています。全国大会の当番校になったのが、札幌西高校で、且井君が大活躍をされました。その関係で西陵のPTA役員と且井君とは大変親しくなり、時には一緒に酒を酌み交わしたりもしました。

 この大会の折、参加者にお土産としてアイヌの夫婦の木彫を送りました。私のところにもまだ飾られています。

 この後且井君は恵庭南の校長に栄転して退縮後は、西区福井に住まっていたのです。退職後も何回か且井君の呼びかけで、飲んだこともありました。美唄で交友の有った仲間です。みんなすでに他界して私だけが残っています。私は管理職にならなくて良かったと思っています。友達のすでに他界したほとんどは管理職になった人です。

 

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