手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

やっぱり原発は廃止すべきだ

2011-08-12 19:14:12 | 政治
脱原発を菅首相が宣言したとき、それは結構だけれどそれまでには一定のプロセスを経なくてはならないと思っていた。

 一気に原発を停止してしまうと、電力不足で大変なことになるだろうと考えていた。現在でもかなり窮屈な状況なのだから、すべての原発が停止したら、企業が動けなくなるだろう。そればかりでなく、原発に依存していた地域は大変な打撃を受ける。さらに従業員の失職など問題は深刻だ。

 そんなことを考えても緩やかな変換をすべきと考えていたけれど、おもいきって決断しない限り、新しい発電への取り組みも甘くなる。福島を教訓として、新規運転はすべて認めず、順次停止させることに賛成したい。

 高濃度廃棄物の埋蔵施設も無いまま運転を続け、使用済み核燃料の再処理施設、「もんじゆ」もまだ運転できる目途も立っていない。

 今全部運転を止めても廃炉までには大変な時間が必要だという。新しい厄介者、まかり間違ったら、福島の二の舞になりかねない原発は、はっきり終止譜を打って、新しい発電施設の立ち上げに総力を挙げるべきだと思うようになった。

 また、核廃棄物処理の埋蔵施設何としても作り上げてほしい。ただ、幌延は約束があるのだから、それを使うのはよくないと思う。
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1 コメント

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no will (noga)
2011-08-12 21:08:04
意思 (will) は、未来時制の内容である。
日本語には時制がないので、日本人には意思というものが存在しない。
だから、意思決定もできない。
個人選びが意思決定につながらない。
選挙で選挙民の意思が決定されるものとは考えていない。
何回選挙を繰り返しても、反対派は収まらない。選挙民は相も変わらず歌を詠む。
これは理屈ではないのでエンドレスである。もののあわれか。

日本人には意思がないが、恣意 (self-will) がある。子供・アニマルと同じである。
リーズン (理性・理由・適当) に基づいた自己主張というものは知らない。
物事の決着は、構成員の恣意 (私意・我儘・身勝手) の摺合せにより行うものと信じられているようだ。
そのための手立てが談合である。
話の筋よりも、その場の気分・雰囲気が大切である。
腹案を成案にまで仕上げて公表する努力も失われがちである。
だから、日本人には談合・根回しが大切で、議論を目的にする議会は形骸化する。
談合・根回しは外国人に通用しない手法であるから、日本は国際社会で孤立しがちである。
偉大な政治家は育たない。
我が国の民主主義に魂が抜け落ちているのは、この点である。

あるインド人が言った。「日本人は、’ありがとう,ありがとう’を言い過ぎる。人は、為すべきことを為すだけである」と。してみると、「人民のためになる政治家を選ぶ」という考え方もおかしいのかもしれない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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