手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

傘寿を過ぎて

2013-08-25 17:01:06 | 随想
 傘寿は80歳だけれど、私はすでに3年前に終わっている。

 70代に入ったときは、まだやや体力の低下を感じたけれど、まだいろいろな面でまだ老いを意識するまでではなかった。それが゛80を超えるとさすがに老いを意識するようになった。特に記憶力の低下が一番のダメージです。思い出そうとしても容易に思い出せない。やろうとしたことをわけもなく忘れる。仕方のない自然現象なのだと思う。

 83歳にしてこれまで務めてきた文化協会の事務局長を自分から降りる決断をした。またこれは80歳が定年なのだが、要請されるままに北詩連西支部の総務部長を務めてきていたけれど、これもなんと言われようと辞退する覚悟で退任した。

 これだけの仕事から解放されると、一気に気力を失うのではと思う。ただ、私は詩吟の教室を週五日持っていて、それに集中せざるを得ないから、今までとの落差を身に染みてい感じる状況ではない。

 後期高齢者となっても、現在の後期高齢者は身体的にはかなり元気です。したがって、身を持て余すことなく余生に向かっていると思います。しかし、それもその人によるのでしょう。ゴルフだとかパークゴルフに熱中できる人はとても健康的でいいし、囲碁将棋なども頭を使うだけ良い趣味でしょう。しかし、中にはそんな趣味を持たないで来て人も多い。また、読書が趣味だった人も、さらに読書の機会が広がるので素敵だと思います。

 しかし、80を過ぎると身体能力は大きく低下します。また、読書などが重く感じられたりしてきます。視力も落ちる、張力も落ちる、記憶力も低下する。 こんな状況は年ごとに深まる。

 終活という運動が静かに広がっているらしい。考えさせられる。考えたくないことだけれど、否応なしに時々あれこれ考える。考えるだけでなく実行する勇気を持たなくちゃならないのかもしれない。そのうえで今の今の自分の生き方を見つめ直すときに今の生き方が実存となるのだと思う。


 やはり、今更うじうじする必要はない。後顧の憂いを無くして、余生を生きる道を選ぼう。
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