手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

おしゃべり・・・友達

2021-02-27 18:58:22 | 無題

 本当の友達・・・いません。ライバルとして共に学び、教え合い助け合い何十年かの人生を、まさに苦楽を共にするような付き合いをしてきた友達を、親友=友達といえるのでしよう。私にはライバルとして張り合うような友達がいなかった。私がいけないのです。何事もとことん本気で追及する何物ももたなかったからなのです。人生の中の何年かという間の友達は何人もいます。多くの人がそうかもしれません。
 一人とても不思議な縁の友達がいました。先日稲苑大学のことを書きましたが、12期に応募して抽選で落ちて、13期になったということを書きました。その12期にいた方で「よしさん」で通っていた方です。
知りあったのは「いの平」でした。12期を卒業し、これからOB会で楽しめるという時に、OB会を退会したのです。高等学校は札幌西でした。卒業後国鉄に就職して定年まで勤め、定年退職後鍼灸治療士の資格を取ったという方です。足腰を鍛えるといって新聞配達の仕事をづけておられました。とても人を引き付ける性格の方で、私が詩吟をやり、漢詩を作ったりするのを認めてくれての友達だったのかもしれません。とにかく話が合い一緒すると私は10時に帰ることにしていましたが、いつも帰るまで話し相手になってもらっていました。あるとき、書き溜めていた随筆を持参して読んでみてくださいという。現役の時に書かれたものや、退職後のことを雑文と銘をつけて書いたものでした。読んで、そのまま返すのに何かもったいなくなり、「私の雑文集」というタイトルで、PCで印刷して冊子にしました。そして、次の日にでも「いの平」であって、差し上げようと思い電話を入れました。これが初めての電話でした。電話に弟さんが出て「兄は夕べ亡くなり今晩葬式なのです」という。え!といったきり言葉をつづけることも出来ない驚きでした。前の晩、やはり「いの平」に行っていて、他の友達と二次会に出掛け、その帰りぎわに滑って転び階段に頭を打ち他界したといいます。いい友達だったのですが、折角作って上げた雑文集も見てもらえぬままに別れてしまいました。
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