手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

5日間 各種病院へ そして救急車!!

2018-12-14 14:47:22 | 身辺雑記
  先週火曜日福祉センターの詩吟が午後に予定されていたが、午前中前日から続いている体調不良がかなりきつくなっていて、よほど27年一度も休んだことがないけれど、電話をして休ませてもらおうかと思った。だけど頑張って出かけ、何とか務めを果たして帰宅した。

 帰宅して、ソフアに横になると意識が飛んでいくみたいに感じられる。そのうちにそのまま死んでしまうのではないかと思うようになった。肺気腫がかなり進行しているので、ひょっとしたらその最後で、ストンと死んでしまうのかもしれないと思った。88歳まで生きてきて、先日、社会教育功労者としての表彰もうけ、もういいのかなと思った。でも、救急病院に行き何か手当をしてもらえば、少し先をのばすこともできるかと思い、渓仁会の救急外来に電話したら、見てくれるというのでハイヤーを呼んで出かけた。直ぐ心電図検査をされ、医者の診察となった。問診があり、聴診器であちらこちら調べて、心電図に異常はありません。聴診器でも異常を感じません。特に心配ありませんといわれ帰宅した。帰宅して、家内に何の手当もしてもらえなかったといいながら、両手が震えているのに気が付きました。「手が震えて名前を書くのに苦労した」と家内に話したら、家内が、脳梗塞じゃない?という。体中がしびれている感じがあるのです。それでもう夜間になっているけれど中村記念病院に行ってみてもらおうと電話を入れて、中央区の娘にも告げて出かけた。中村病院で診察を受けた。心配ないと思うけれど、念のためMRIの検査をしましょうといって、その検査をした。結果、急を要するものはない、明日にでも行きつけの呼吸器科に行ってみてもらってくださいという。結局何の手当も薬ももらわず帰宅した。

 翌日、渓仁会の呼吸器科(私の今の担当病院)に予約を入れて出かけた。しかし、少しゆっくりしなさいといわれただけで、特別の手当ても、薬もないまま帰された。体調は次第に重くなっているのに、何の手当もできない。ひょっとして今薬をいただいている泌尿器科関係で悪いところがあるのではと思って、行ってみた、結果は問題なしで帰らされた。 

 次の日内科循環器科のクリニックに出かけた。行ったらいきなりインフルエンザかもしれないから調べます。といって鼻の粘膜を取られた。結果インフルではありません。点滴をしましょうと1時間の点滴を受けて帰宅。翌日、クリニックんから電話が入り、どうですかという。変わらないといったらそれじゃ今日も来て点滴を受けてくださいという。初め2時間の点滴といわれたがも断って1時間の点滴を受けて帰宅、しかし、変わりません。

 我慢していたら、どんどんつらくなる。頭は血圧が上がったみたいになり、息が苦しく、全身的にしびれるような感じがあり、辛い。それで渓仁会の救急外来に電話を入れたら、救急車を手配してきてくださいといわれた。それで、119番に電話を入れて救急車で渓仁会に行きました。渓仁会につくとすぐ酸素吸入から始まり、4時間ほど掛けてあらゆる検査がされた。カテテールまで入れられた。最後、循環器の先生が心臓の検診をして。帰宅しても大丈夫ですといわれ帰宅しました。

 夜になって内地の娘がある情報を届けてくれた。「インフルエンザの予防接種してから一か月くらいに出る「ジダンズー症候群を疑え」といった内容でした。そしてこれは脳神経内科で見てもらわなければ駄目だといわれた。このジダンズーは聞き間違えもあるみたいでした、正しい名前は忘れました。とにかく脳神経内科の病院ということで探し、土曜日午前中に出かけましたが、最後の病院でその病気はあるけれど症状が全く違うといって帰されました。

 日曜日、午後から寝ました。そして晩も早く寝ました。すると月曜日かなり気分が良くなり詩吟の教室も、みんなにあまり声を出さないからと断って無事済ませました、火曜日のセンターも、控えめに進め無事終わらせることができました。今日はほぼ前回に近いように思います。振り返ると、救急で酸素吸入をしたのが利いているように思われます。血中酸素濃度は98%あるのですが、やはり時折酸素吸入をすべきなのかもしれません。

 凄い、一週間になりました。疲れて、体調をひどくするための病院探しだったみたいです。原因は2日の日曜日の資格審査で長い間待たされ、ストレスで疲れていた中て、月曜の詩吟の教室を元気づけようと逆に頑張ったことかこんな結果になったと思います。とにかく、大変な経験をしました。
コメント
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