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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

今も忘れない父の一言

2016-05-05 20:24:50 | 身辺雑記
 父は復式の小さな小学の校長だった。の青年団も指導していて、軍事訓練で招集されるようなこともあった。

 私の兄弟はは多く、生活がとても大変なことを知っていた。又、同級生のお店の子供(太郎さん)が旭川中学を受験することを聞いて、中学は無理でも幼年学校ならお金もかからないからいいのかもしれないと思って「幼年学校を受けてみようかな」と言ったら、即座に「お前は師範学校に行きなさい。師範学校を卒業して兵隊に行ったら将校になれる」といわれて引き下がった。受けるといったけれど自信があったわけでない。体格もよくないし兵隊向きでないことは自分でも知っていた。
 
 それでも、青年団の軍事教練を指導したりしているのだら、兵隊になりたいということを反対されると思っていなかった。

 この時の父の願いは、曲がりなりにも達成できたのだし、幼年学校でしごかれることもなかったのだから喜ぶべきことだったのだと思う。

 小学校の話になったので、思い出を一つ。吉田鉄郎先生のことです。よく授業で本を読んで聞かせてくれるのです。それがとても面白かった。先生は読み聞かせた後、その本を教卓の引き出しに置いて行かれるのです。校長住宅は校舎の端についていて、教室には職員室を通り抜けて行くことができます。その本を読みたくて、先生方も帰宅しあとそっと教室に入り本を手に取って読んだ記憶があります。本の面白さを教えてくれたのがこれでした。又、この先生は詩吟ができて、何回か聞かせてくれました。どんな詩であったかは忘れましたが、詩吟に凄い興味を感じ、将来やってみようという気持ちをこの時抱きました。それで実現したのが40歳を過ぎてからでした。

 小学生時代に受ける感動は、時としてその人の人生を決めることになるのですね。
コメント
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