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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

私の町内会

2015-07-16 19:18:17 | 身辺雑記
 手稲に来て37年くらいたつのでしょうか。手稲にくるまでは町内会という付き合いはなかった。最初に勤めた沼田高校の時は、結婚して公営住宅に入ったけれど、同じ公営住宅に仲間が何軒も入っていて、いわば職員住宅にいるようなもので町内会としての付き合いはなかった。次に勤めたのが美唄東高校、ここでは職員住宅で15年過ごしたけれどやはり町内会との付き合いはなかった。札幌西陵高校に転勤となり、前年に建てていた現在の住宅に住むようになり初めて町内会の付き合いをするようになった。

 町内会に加盟して間もなく町内会の副会長を命ぜられ、何をしてよいのかもわからず前の年班長で見てきたやり方を全く踏襲する形でとにかく一年頑張った。そしてその一年で解放されたと思ったら、総会の席で突然、今年の副会長は村川さんにやってもらいますと町内会の大御所佐々木作松さんに指名された。困ったけれど仕方なく副会長をさせていただいた。しかし、何かいい仕事をしたかというと全く何もでき無かった。ただ、宴会の時は楽しく飲んで、二次会に我が家に何人も引き連れてきて盛り上がった記憶だけはある。

 それから数年後突然若林さん(その時若林さんを知らなかった)が訪ねてきて「今度町内会長をやることになったので、ついては村川さんに副会長をお願いしたい」というのです。その時の若林さん好感を持てる人に思えたので引き受けました。それから確か6年くらい副会長をして若林会長を補佐してきました。このころには町内会にも慣れてきていて、いろいろと町内会を盛り上げる努力をしました。いい仲間もいて、仕事が楽しかった。

 いろいろな行事もとても活気のあるものに作り上げた。あの当時は楽しく仕事ができた。

 の数年後、記念行事の実行委員として仕事をしている中で、ある方とトラブッテそれから町内会の活動にはほとんど顔を出さなくなった。間もなく老人クラブが立ち上がった。しかし、入る気持ちが起きませんでした。特に町内会から助成を受けてただ遊ぶだけの老人クラブに見えたりしました。その数年後老人クラブが健幸クラブと名前を改めて、年会費を出し、公園の清掃活動などもやるようになっのを見て入会させていただきした。そして健幸くらぶの中に詩吟の会を立ち上げ現在まだ活動をつづけています。  
 昨年あたりからちょっと気がかりになってきています。活動に活気がないのです。まず新しい会員が入ってこない。もう少しサークル活動がもり上がるといいのですが詩吟の会はとてもばらしい活動をしていますが、それ以外では停滞感が隠せません。これはどこの老人クラブも同じなのかもしれませんがもう少し魅力のある会に育てなければならないのだと思います。何か策があるかといわれたらちょっと困るのですが、町内会とも連携しての活動を作り上げることが必要かと思ったりします。

 先日、連町のパークゴルフ大会出場希望者を募集するという案内が来ていました。とても不思議な気がしました。今パークゴルフはブームみたいです。今までは大会を開催して選手の選考をしていたのですが、その大会もなくなったということみたいです。やはりサークル活動を立ち上げたいものです。そのためには指導者が必要です。町内会にも結構指導者をやれる人がいらっしゃるのではと思ったりします。そんな人材を発掘していく必要もあるのでしょう。

 町内会としての行政的、福祉的な活動は当然充実しなければならないけれど、町内会員としての連帯を強める活動の創造が必要だと思う。そのためには町内会役員の率先的リーダーシップがなくちゃならないと思うのです。