何かとても消沈した毎日に思える。
今の私は新しいことに挑戦していないし、挑戦に値する何かを求めようともしていない。
その底に、もう歳だからという後ろ向きな思いが芽生えているように思う。
1930年生まれ、物忘れは激しいし、また奮い立たせるような事案にも今はぶつかっていない。平穏であることは良いことかもしれないけれど、何か物足りない。
現在、手稲文化協会事務局長として、協会を動かしている。また、北海道詩吟連盟札幌西支部の総務部長をして、かなりの仕事をこなしてはいる。詩吟は週五日教えている。
来年度は文化協会の事務局長と、札幌西支部の総務の仕事を退任することにしている。やはり後輩に引き継がなければならない時期が来ているのだと思う。
それなりの足跡は残したと思う。後は詩吟の教室に専念するのが良いことなのだと思う。仕事の多忙さはいいことだと思うけれど、詩吟の教室の充実発展にいまいち力が注がれていない気がする。
体を軽くして、もう一度詩吟と向き合う生活を立ち上げよう。
気がついてみると、手稲で幾人も楽しい友達を得ていたのだけれど、みな他界してしまった。溜まり場だった「いの平」も店がたたまれ、飲みに出かける手ごろの店もなくなり、プライベートな楽しみは、パークゴルフとカラオケくらいなのだけれど、それも熱中するものでなくなっている。
身軽になってもう一度自分と向き合うことにする。熱中することがまだ出来るはずだ。
今の私は新しいことに挑戦していないし、挑戦に値する何かを求めようともしていない。
その底に、もう歳だからという後ろ向きな思いが芽生えているように思う。
1930年生まれ、物忘れは激しいし、また奮い立たせるような事案にも今はぶつかっていない。平穏であることは良いことかもしれないけれど、何か物足りない。
現在、手稲文化協会事務局長として、協会を動かしている。また、北海道詩吟連盟札幌西支部の総務部長をして、かなりの仕事をこなしてはいる。詩吟は週五日教えている。
来年度は文化協会の事務局長と、札幌西支部の総務の仕事を退任することにしている。やはり後輩に引き継がなければならない時期が来ているのだと思う。
それなりの足跡は残したと思う。後は詩吟の教室に専念するのが良いことなのだと思う。仕事の多忙さはいいことだと思うけれど、詩吟の教室の充実発展にいまいち力が注がれていない気がする。
体を軽くして、もう一度詩吟と向き合う生活を立ち上げよう。
気がついてみると、手稲で幾人も楽しい友達を得ていたのだけれど、みな他界してしまった。溜まり場だった「いの平」も店がたたまれ、飲みに出かける手ごろの店もなくなり、プライベートな楽しみは、パークゴルフとカラオケくらいなのだけれど、それも熱中するものでなくなっている。
身軽になってもう一度自分と向き合うことにする。熱中することがまだ出来るはずだ。