詩吟の教室を立ち上げ、その次の年から交歓吟詠会を立ち上げた。詩吟という趣味を極めることは勿論一番大切なことだが、趣味を同じくする者の絆を強めることが、人生を豊かなものにするという思いから始めたのでした。
最初は札幌の象堂流三道場の交歓吟詠をしていたのですが、私の会の10周年記念大会を機に、私の教室三つと私が講師をしている手稲老人福祉センターの会員を含めての交歓吟詠会に変更して、本部から何人かの役員に参加していただきながら開催してきていたのでした。
第20回の年が、象堂流との離別の年と成り、北海道詩吟連盟に加盟して会名も今の碌峭会に変えたのでした。あれから七年目とっているのです。
北海道詩吟連盟に加盟し、その年の交歓吟詠会を20周年記念大会、北詩連碌峭会設立記念大会としたので、北海道詩吟連盟関係の役員の方にかなり参加いただきました。それが縁で毎年沢山の来賓をお呼びする形を止めることが出来ず来ています。
参加を喜んでくださる方も居ますが、きっと迷惑に思っていられる方もいらっしゃるとは思うのですが、誰かを外すということは難しく、私と付き合いの多い役員の方ほとんどに参加してもらっています。あと何年続けられるのかも判らないわけだから、このまま来ていただける方は拒まずに続けてゆくことにします。
それにしても、手稲にはどうしてもう少しましな宴会場が無いのだろう。三年後には30周年記念大会を開催するけれど、中央会館では無理になると思う。今から考えてゆかなければならない。
明日は荷物も多いので、ハイヤーを頼んだ出かけることにします。そんなに使うわけでないけれど、私のカセットデッキも持ってゆかなければならない。コンダクターの台ももっ行かなければならない。あれこれもう一度チェックをしなければならない。
二次会、去年は30人位詰め掛けたのだが今年はどうなるだろう。一寸少なくなるような気がする。とにかくいよいよ明日です。うまく終わることを念じています。
最初は札幌の象堂流三道場の交歓吟詠をしていたのですが、私の会の10周年記念大会を機に、私の教室三つと私が講師をしている手稲老人福祉センターの会員を含めての交歓吟詠会に変更して、本部から何人かの役員に参加していただきながら開催してきていたのでした。
第20回の年が、象堂流との離別の年と成り、北海道詩吟連盟に加盟して会名も今の碌峭会に変えたのでした。あれから七年目とっているのです。
北海道詩吟連盟に加盟し、その年の交歓吟詠会を20周年記念大会、北詩連碌峭会設立記念大会としたので、北海道詩吟連盟関係の役員の方にかなり参加いただきました。それが縁で毎年沢山の来賓をお呼びする形を止めることが出来ず来ています。
参加を喜んでくださる方も居ますが、きっと迷惑に思っていられる方もいらっしゃるとは思うのですが、誰かを外すということは難しく、私と付き合いの多い役員の方ほとんどに参加してもらっています。あと何年続けられるのかも判らないわけだから、このまま来ていただける方は拒まずに続けてゆくことにします。
それにしても、手稲にはどうしてもう少しましな宴会場が無いのだろう。三年後には30周年記念大会を開催するけれど、中央会館では無理になると思う。今から考えてゆかなければならない。
明日は荷物も多いので、ハイヤーを頼んだ出かけることにします。そんなに使うわけでないけれど、私のカセットデッキも持ってゆかなければならない。コンダクターの台ももっ行かなければならない。あれこれもう一度チェックをしなければならない。
二次会、去年は30人位詰め掛けたのだが今年はどうなるだろう。一寸少なくなるような気がする。とにかくいよいよ明日です。うまく終わることを念じています。