手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟審査会  感想

2011-03-06 18:44:23 | 身辺雑記
 今日詩吟の審査会がありました。私の会からも6名ほど受審しました。

 みんなそれぞれ頑張ったのでしょうが、私の期待に応えてくれませんでした。やはり特別の雰囲気ですし、ひどい緊張をするのですからし方がありません。

 第二会場で審査終了後、詩吟に関わる話を少ししてほしいとのことで。特に詩吟の普及についてと言うことで、私の経験を話しました。今年度の手稲文化協会での活動を話しました。聞いていてくれた方の多くの表情は結構興味を示していてくれました。

 これで、私の審査員としての任期が切れ、助かることになります。

 これまで、3年ほど審査員でしたが、私の話していたことが今一定のところへ定着して来ていることを感じました。それは、アクセントの必要以上の強調がなくなったということです。とても日本語と思えないようなアクセントを使うことがいいことのように通用していたのですが、ある先生の審査講評で必要以上の強調は間違いとあり、ようやく認められたのかと思いました。

 ところが、逆に、今回の審査ではこのアクセントの使いたかが、減点対象の大きな部分になっているのを感じました。今まで、アクセントについては注意はするが減点対象からはそれほど大きな意味を持たない扱いにするように扱うと理解していたけれど、今は、かなり大きなウエイトを持たしていること感じました。

 評価法も、どちらかと言うと絶対評価で、その中での大きなウエイトを占めているのがアクセントみたいに感じました。相対的に見たらほかの方より圧倒的に素晴らしい吟だと思えても、アクセントの間違いがあったから短縮点はやれないみたいな評価があったように感じました。

 詩情を表現するためには、また詩吟らしい力強さを出そうとするとアクセントの細部で違ってくることだってあります。それで詩意が変わって聞こえるのなら困りますが、そうでなければ、むしろ吟力を先に評価すべきだと思います。

 これは驚いたことですが、審査員のある方は、「もっと訓読をやりなさい」と言った。「訓読」と「素読」の違いが判らない審査員に審査されるのでは、会員がかわいそうだ。

 同じ流派の批判になるけれど、正すべきは正さなければならない。
 
コメント
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