手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

天下り・・・談合・・・

2007-05-29 20:38:15 | 随想

 談合というしきたりは本当に悪いのか?悪いから規制されている。その通りだけれど、そのお陰で事業が継続できた中小企業も多かった。

 公共工事というのは、いうまでもなく我々の税金が投入される事業であり、できるだけ安くやられることが望ましく、そうするのが政治家・公務員の仕事のはずだったし、入札もそのためのものだった。

 それを食い物にして、私腹を肥やす者が出てきたときに、入札も談合も、極めて悪質なものに変身していった。このからくりを助長したのが天下りだ。天下りも長いこと勤めてきて、定年退職後、まだ数年は働きたいと言う方たちに適当な職場を提供するということでは、有難いことなのです。勿論そのような天下りも多いのです。しかし、採用する方が、現役時代の技術、才能をいかし、人を生かすというのではなく、公共事業の枠を取るために、入札の便宜を得るために受け入れる、勿論そのためには一定以上の顔の効く、いわば大物を、大変な待遇で受け入れていたわけです。このメリットがなくなったら、このような天下りの受け入れが必要なくなるはずです。これが続くとすれば、後ろにきな臭いものがあるように思う。

 今、社会保険が問題になってきた。社会保険料、あるいは厚生年金の積み立てその扱う金額は莫大なだけに、多くの職員と、更に関連機関を立ち上げてきていた。その運営管理は、我々の監視のまったく届かないところでやられていた。将来のために保険金として、あるいは積み立てとして預けた筈のお金が、預かるほうは膨大なお金ゆえに、本来更にきつい管理が必要なのに、少々のことはどうでもなるような錯覚に陥っていたのじゃないだろうか。厚生年金などでは、加入者のためにという名目で、多くの建物を立てた。あれは何だったのだ。そこから運用益を出そうとしたのだろうか。今ただ同然で売りに出されているのを聞くたびに、それが仕事だったのかと疑う。加入者に損害を与えることにつながる仕事、そんなリスクのある仕事を誰が容認してやらせたのか。建物=箱物というのですか、それを作る、作らせるその関係の中に、やっぱり天下りや、談合の影が見え隠れしている。

 小さな町で、町の発注する工事を、適切に配分して上げる、純粋な天の声ならあってもいいと思ったりするけれど、金が絡めば、やっぱりだめになるのでしょう。天下りも、本当にその人の蓄積してきた技術、才能を欲しいという企業に受けてもらうのは悪いことで無いのに、一部の者によりそんな道すら閉ざされるのは困る。
コメント
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