行縢探検倶楽部

延岡市にある行縢山(むかばきやま)を気楽に楽しんでいる皆さんの情報交換の場ですのでお気軽に書き込みください

童謡「たなばたさま」、光勝寺と野口雨情

2018-07-07 11:03:14 | Weblog

「ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎんすなご・・・・」という童謡「たなばたさま」の作詞者は、延岡市船倉町にある光勝寺の生まれである権藤圓立氏(ごんどう えんりゅう)のご夫人の童謡・童話作家の権藤はなよ氏だそうです。この歌の作詞者が延岡生まれの方のご夫人だとはつい最近まで知りませんでした。今は七夕を太陽暦で行うので7月7日は毎年だいたい梅雨の真っ最中です。この歌のような景色はなかなか見ることは出来そうにありませんね。当時はおそらく旧暦の7月7日にやっていたのではないかと思います。

権藤圓立氏について、たまたま光勝寺のご住職とお話しする機会があったので聞いてみたところ、この権藤圓立氏は今のご住職の曽祖父の弟さんにあたる方だそうです。権藤圓立氏は、1909年(明治42年)延岡中学(現延岡高校)卒業、東京音楽学校(現東京芸術大学)を1915年(大正4年)に卒業、宮崎県第一号の声楽家となり音楽教育に携わる。大正14年旧知の作曲家「藤井清水氏」の熱心な誘いで再び上京、詩人の野口雨情を紹介されて親交を結ぶ。これを機に、作詞:野口雨情、作曲:藤井清水、歌手:権藤圓立のトリオで全国的な音楽活動を展開した。そうです。

そういう縁で「野口雨情」はたびたび光勝寺を訪れたそうです。西南戦争最後の激戦地を詠った「逢いはせなんだか あの和田越えで 薩摩なまりの落人に」は野口雨情が光勝寺を訪れた際につくられたそうです。

 

光勝寺

 

 

 

野口雨情の詩碑

 

権藤圓立氏の胸像

 

梅雨の末期の大雨で各地で大変な被害が出ています。心よりお見舞い申し上げます。

 


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