西南の役、明治10年に起きた日本最大のまた最後の内戦です。 和田越えの戦いに敗れた西郷軍は官軍に包囲されていた可愛岳を突破して最終的には鹿児島の城山まで帰るわけですが、可愛岳を突破した翌日、地蔵谷で野営し大崩山登山口の祝子に宿泊しているようです。そして、鹿川から高千穂(三田井)を通り鹿児島を目指して行ったようです。 歴史に興味のある方はぜひ標識だけでもいいから訪ねてみて下さい。 (fuka)
地蔵谷野営の標識、 実際に野営した場所ではなく道路沿いに設置してあります。
この標識がある約4km上流が野営の場所だそうです。
この標識は、旧伊藤商店前を左折してロッジの方面に100m位行った所にあります。
この標識のある所からは大崩山が一望できます。
小積ダキもよく見えます。