島野浦港のすぐ上の山手にある曹洞宗のお寺です。島野浦の観光マップの文章を借用すると次のような説明があります。
関月尼(大塩平八の娘 小山せき)は、島野浦の福聚庵(現在の福聚寺)で尼僧として数年(1850年頃)過ごし、島の文化に大きな貢献をした女性である。京都の寺で修行中の僧・恵等(えとう)と相知り、二人は長崎を経て島野浦に渡ってきた。当時の関月尼は「おせきさん」と呼ばれ、島での二人は法務のかたわら、読み書き・生け花・縫い物・諸芸を教えて島の人達に愛された。今も島野浦に残る「うちわ踊り」は彼女の振り付けである。その後「せき」は恵等と別れ延岡に移り、歌人として名を残した。その墓は延岡市祝子の千光寺境内にある。
「きのうありて 今日はなき身と 消えゆくも 残るも同じ 道芝の露」
対岸から見た島野浦島
福聚寺にある関月尼の和歌