アルベール・カミユ
メルロ・ポンチ(メルロ・ポンティー)は1947年に『ヒューマニズムとテロル』を発表した。マルクス主義にモラルや自由主義的価値のみを対置しようとする態度を改めさせようと、当時の反共宣伝に重要な役割を演じていたケストナーの「真昼の暗黒」を批判したのだ。ポンチは同著のなかで、モスクワ裁判で処刑されたブハーリンに取材して、革命家は単に主観的潔白だけを頼りにするわけでなくて同時に他人の目から見た責任を負うているのだと主張し、プハーリンが主観的な潔白を申し立てながら自ら告発にも同意していった態度を解明した。
この著作を読んで激怒したカミユが、ポンチに向かってこの本はモスクワ裁判を正当化していると強く非難し、ポンチに近いサルトルとも絶交状態になった。(朝日選書『戦後世界史の断面(上)』「カミユとサルトル」から引用のうえ改竄。) 以前から引っ掛かっていた3日遅れの古新聞的関心「カミユ・サルトル論争」が見え始めた。仕事がひと山越えたので、久しぶりにカミユ全集「2 反抗的人間」と「6 異邦人・シーシュポスの神話」を読み返した。