旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

こぼれ花

2013年11月12日 07時15分37秒 | Weblog

2階の窓下あたりまでのびているパッションフルーツを庭から眺めていたら、大ぶりの白い花のようなものがみえた。ネット沿いに敷地から2階の窓下までのびているので、白い何かがひっかかっているくらいに思って2階の窓からとりのぞこうとしたら、まがうことのないパッションフルーツの花だった。

季節外れのグリーンカーテンに咲いた白い花は、緑のネットに押しつぶされそうだ。ネットに押されている部分を開放して表に出した。季節外れに咲く花のことを「こぼれ花」という。このパッションフルーツの花には日本的な寂寥感がないから、狂い咲きというよりほかない。毎朝、2階窓下の白い花を眺めてから出陣する。


灯火親しむの候

2013年11月10日 19時22分33秒 | Weblog

「源氏物語」は全巻を買い揃えていると思っていた。ところが、今日点検してみたら11巻から20巻までが見当たらない。どこかに紛れ込んでいる可能性がある。また、「大漢和事典」を書斎に置いても、日本国語大辞典ほど参照することはないだろうから、必要があれば図書館で調べればよい。ということで、こころの決着がついたはずなのに再びぐらつき始めた。

問題は価格なのだ。「源氏物語」の不明10冊はいづれも一冊が1円、「大漢和辞典」は全13巻で価格が1000円。探しだす労苦と10円、広島中央図書館までの1回の往復バス運賃880円と1000円を比べてみたら、購入した方が安く上がることは自明だ。

合わせて送料が別途に4000円かかるので話がさら複雑になる。「源氏物語」全20巻(講談社学術文庫)を買い揃えるかどうか、「大漢和辞典」全13巻(修猷館)を買って手元に置いておくかどうか、判断がつかないまま明日から娑婆に戻る。


神代

2013年11月10日 05時55分47秒 | Weblog

「新版日本文学史」全8巻(至文堂)と言語学に関する新書・文庫16冊が届いた。前者は昭和48年の発行だというのに使用感が殆どない。魔がさすという言葉がある。価格につられてついネットで買ってしまった。少々活字の色が褪せ始めてはいるが気持ちよく読める。

 読み方が気にかかっている言葉がある。「上代」もそのうちの1語だ。いい機会だから日本国語大辞典で引いてみた。上代は「じょうだい」と読む。「日本文学史1 上代」という表題なので、⑤の「上代文学の略」という意味がふさわしい。上代文学は古代文学の前半期、文学の発生から奈良時代までの文学のことを指す。

さらに「神代」の読み方を引いた。神代は「かみよ」または「じんだい」と読む。「神武天皇即位の以前の神々がこの国を支配したという時代」という意味だ。記紀の神話では「天地開闢から神武天皇以前、天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)までの時代」をいう。


海田町

2013年11月08日 06時52分18秒 | Weblog

何ともあっけない3日間になりそうだ。日ごろから週に4日働いて3日休む、これくらいの生活ペースが良いと考えてきた。ところが、11月に限っていうと月初から5連休で今日が3日目の勤労日になる。勤労日の1日目はエンジンがかからなかった。2日目は嵐のように仕事が押し寄せた。3日目は資料の整理に追われそうだ。瞬く間に3日間が飛んでいく。勤労日が週に3日間では足りないという実感を覚えている。

そして、4日目は土曜の休日になる。久しぶりに友人ふたりと海田町の史跡巡りを予定している。矢のように過ぎ去ってゆく時間から離れて、しばし古い時代に思いをはせる貴重な時間が待っている。


南十字星

2013年11月06日 19時36分55秒 | Weblog

   

南十字星(石垣島天文台)

星がよくみえるこの10月に入って、BLUE BACKS「21世紀 星空早見ガイド」を片手に、しばしば夜空を見上げる。カシオペアか北斗七星の位置から北極星の位置を割り出して、北の夜空に輝く星座をひとつひとつ眺めていく。愛犬で老犬の「ごんた」からすると迷惑このうえないことだろう。ずいぶん退屈しているようだ。

その「21世紀 星空早見ガイド」の利用の仕方がようやく分ってきた。たまたまこの本で天の南極を中心にした星座をみていたら南十字星が目にはいってきた。北極星と同じようにこの星座は天の南極の極あたりにあるので日本からみえないと思いこんでいた。

ところが、この星座の十字架の縦に当たるɤ星からα星を結んで、その長さを5倍すると天の南極があると解説してある。ということは・・・、天の南極とこの星座は、天の北極とカシオペアや北斗七星と変わらない位置関係になる。となれば、日本からでもみえる可能性がある。

予想は大きく外れなかった。四国の佐多岬半島から十字架のɤ星がみえる。冬から春にかけて沖縄なら南の水平線すれすれに、石垣島や宮古島なら南方の水平線の上に浮かぶこの星座をみることができる。南十字星を尋ねる旅に早くも心がはやる。


11月の朝

2013年11月06日 07時38分12秒 | Weblog

さてさて、11月に入って初めての出勤になる。ビジネス鞄の中に「大学」「中庸」、黒皮の手帳があることを確認した。車で太田川放水路を下って、海辺の職場に急ぐ。着けば時間との闘いが始まる。時間との闘いだから効率は上げなくてはならない。しかし、人間が相手だから効率がすべてではない。むしろ、効率よりも協議の質を重視しなければならない。


愉しみ

2013年11月05日 09時02分17秒 | Weblog

昨日もフタバ図書の古本部で本を漁った。岩波文庫の「白鯨」3巻は自宅の本棚にある。ところが、店頭で売られていた「白鯨」上・中の2巻は、表紙の装丁を含めて、なんとなく様子が違う。そう思いながら買い求めた。

    メルヴィル 

 

 

新版 旧版    

持ち帰って自宅で比較してみたら、厚さが倍近いし文字が大きい。2004年に新版として刊行されたことも確認できた。しかも、翻訳が旧版の阿部知二から八木敏雄にかわっている。岩波文庫ワイド版ほどではないものの、岩波文庫にしては活字が大きい「デカルト的省察」なみの読みやすさで、ずいぶん目にやさしい。英文原著「Moby Dick」は数年前にジュンク堂で購入しているし、上記と異なる翻訳者による「モビィ ディック」もある。八木敏雄訳の「白鯨」を、どのように読んでいこうかと想像するだけで心が弾んでくるようだ。

「文化の日」の代休で、今日が5連休の最終日になる。諸般の事情から今日はハゼ釣りにいけなくなった。それでも、この連休は、昨日のハゼ釣りとフッサールの代表作である「デカルト的省察」の通読が収穫だった。


ハゼ釣り

2013年11月04日 16時45分25秒 | Weblog

何年ぶりになるだろう、太田川放水路でハゼ釣りに励んだ。昼過ぎは潮が悪かった。しかも、ようやく上げ潮になる3時頃から大粒の雨が落ち始めたので納竿せざるを得なかった。それにしても数があがらない。釣るのが難しい魚ではない。異常気象の影響でハゼの川のぼりが遅れているのだろう。

釣った数が少なかったので生かしたまま家に持って帰った。氷による仮死状態から水に移したらボールの中で泳ぎ始めた。飼っていた金魚を食べるような感じになりかかったので慌てて頭を落としてはらわたをだした。潮をみて明日もハゼを釣りに行く。


続 読書の秋

2013年11月04日 08時47分48秒 | Weblog

 アフリカの皆既日食

フッサールはデカルトのように人間の認識のありようを根本から問う誠実な学者だ。久しぶりに読みごたえがある著作にふれた。「現象学は、自然的見方(生活世界)が、純内在的な主観性のうちに、どのようにして構成されるのかを探求する。」(「世界の名著 ブレンターノ フッサール」の解説から引用)。今朝は窓を開けて部屋に陽と大気を招いた。


秋雨

2013年11月03日 07時51分42秒 | Weblog

庭の紅葉は精彩を欠いている。紅葉というよりも黄葉なのだが、立ち枯れ状態のねずみ色もしくは褐色で、ヤマボウシ、アンズ、サクランボ、モミジのいづれも、葉っぱが茎にしがみついたままで縮れたようになっている。紅葉するはずのモミジすら薄汚い褐色に色を変えつつある。その庭で、冬空に似合うピラカンサスだけが赤みを増してゆく。

 ブレンターノ

世界の名著「ブレンターノ フッサール」の解説を読み終えたので著作を読みはじめた。フッサール50歳の著作である「厳密な学としての哲学」には目次がない。フッサール晩年71歳の著作「デカルト的省察」の目次は、序論と5つの省察という6つの大見出しに対応する63にのぼる節に分けられていて親しみやすい。予定を変更して「デカルト的省察」の方から始めた。

岩波文庫「デカルト的考察」は、表紙解説の一部を引用すると、「明証性の学としての現象学を叙述し、独我論とその克服としての間主観性の問題を俎上に乗せて、異文化や形而上学の問題への道を示した。フッサール晩年の主著。」(1文字を加えた)なのだ。フッサールの現象学はすでに岩波文庫的古典の仲間入りをしている。「純粋現象学及現象学的哲学考案」(何なのだ、この著作名は・・・)が1997年に復刊されたことを知った。

窓の外は秋雨に煙っている。

 


スポーツと食欲の秋

2013年11月02日 08時02分22秒 | Weblog

タバコをやめた10数年前から毎年、約1キロづつ体重が増え始めて、ピークの3年前には77キロを超えた。今思えばストレスのせいだったのだろう。なにしろ食欲とアルコール摂取の量が尋常ではなかったのだ。それまで低血圧気味だった血圧がぐいぐい上がる、尿酸値が危険水域まで迫る、脂肪代謝の異常が原因の脂肪肝、耳鳴りに心肥大の兆候と、次から次へと症状が現れはじめた。

昨年の夏に、昼食を2食分平らげた直後に激しいめまいに襲われ、熱中症の鉄槌を受けて救急病院へ搬送されるという事態を招いてしまった。自分の歩行が自分の意志でコントロールできなくなるという体験に慄き健康に自信を無くした。メタポに対する自己流のリハビリを始めたのは、めまいがおさまった昨年の秋のことだ。

何が何でも暴飲暴食を慎むことから始めた。アルコールに強いと自負していたのは、実はアルコールの誘惑に弱い自分だったので半年の禁酒を決めた。かかりつけ医の先生のアドバイスにしたがって間食をやめるように心がけたし、歩く習慣を身につける努力をした。

いくら自分に言い聞かせても生活習慣病を克服するには時間がかかる。それでも今年に入って間食の習慣がなくなった。アルコールもビールを中ビンで一本、日本酒1合、ワインならグラスで2、3杯、ロックでワンフィンガーが適量になった。生れ落ちて以来の大食いの習慣がなくなって、「とにかく大盛り」という飢餓感も失せた。3度の食事の量も三分の二あたりに落ち着いた。

1か月あたり前から腹回りが細くなっているように感じたので、しばしば体重計に乗るようになった。70キロあたりを行ったり来たりしていたが、この2週は70キロを割っている。さらに塩分や脂肪の摂取量を抑えて、67から68キロの体重を目指す。また、歩行に代わる適度のスポーツをやって体をさらに絞る。

来年は、難なく「スポーツの秋 食欲の秋」を満喫したい。


2013年11月01日 22時03分17秒 | Weblog

「旅路」の英訳を調べているうちに「旅」という日本語の英訳に興味が移っていった。旅路の英訳は殆どない一方、旅の英訳については用法が豊富だからだ。英和に和英に英英の辞書をひっぱり出して一覧して、旅に関連する英語を調べて先のブログにまとめておいた。

時節がら、秋という日本語の英訳も興味深い。autumnまたはfall、米語ではautumnは少々かしこまった表現だ。この秋という日本語の英訳はロマンティックだ。またの機会にまとめてみる。 

国語辞典によると『旅路』は旅行の道筋とか旅行の途中、または単に旅という意味だ。わたしは旅路を旅ではなくて「旅行の途中」という意味で使っているので、英訳をA JOURNEYからON A JOURNEYに改めた。研究社の和英中辞典「ライトハウス 英和辞典」では、「旅路」はthe course of one's journeyと英訳されている。旅行の道筋と解釈したようだ。


晩秋の「旅」

2013年11月01日 08時58分58秒 | Weblog

英和辞典で旅(路)のjourneyの意味を引いてみたらjourneyの直後にjourneymanという単語が続く。とっさに旅人という日本語が思い浮かんだ。予想に反してjourneymanは「年季が明けた職人」のことで旅人という意味はない。英英辞典で引くと、journeymanは、"a skilled worker who has learnt his trade or craft,but has not become a employer or a master workman"ということになる。日本語でいう旅人はtravelerもしくはtouristだ。

旅と訳されるjourneyに似た英語にはtravelやtripまたはtour、voyageがあって微妙に意味が異なっている。journeyは陸空のわりあい長い旅をいう。travelは外国旅行のような長期の旅のことだ。tripは用事や遊覧を目的とした小旅行で、tourは各地を周遊して元に戻ってくる旅をいう。voyageは比較的長い海の旅という意味合であることが小辞典で理解できた。秘密兵器「研究社 新英和大辞典」にあたってみるのは別の機会に譲ることにした。 


秋の朝

2013年11月01日 07時03分59秒 | Weblog

朝日が部屋に差し込み始めた。パッションフルーツのグリーンカーテンはなお青い。薄いオレンジ色の光が窓辺に射す。緑の葉を照らして輝かせている。

 

『なぜ、こんな時代に』

作詞:泉谷しげる
作曲:泉谷しげる、吉田建

なぜ こんな時代に がんばれないのか
なぜ こんな時代に がんばらないのか

口うるさいぜ 見飽きた はげましのことばは
今さら お前の口から ききたくない
年をとったかい いつもの顔つきが やさしいぜ
受けうりの ことばなど 横におけよ
何かをおこせる 口だけのふりは 見抜かれる
気づくのが おそいのか 早いのか

なぜ こんな時代に がんばれないのか
なぜ こんな時代に がんばらないのか

口やかましく いつまで 言うことはないだろう
いらつく俺は お前の目をみない
それでもやめずに 素顔に せまってくる気かよ
俺だけがひいた ラインを こえてくる
何もかも見すてた フリしても 見抜かれている
気づくのが おそいのか 早いのか

なぜ こんな時代に がんばれないのか
なぜ こんな時代に がんばらないのか

命をかけて 答を出すのは 戦う相手が強いから
めざめるのが おそいのか 早いのか

なぜ こんな時代に がんばれないのか
なぜ こんな時代に がんばらないのか