私が自己紹介を終えた後で、3人の中国人、ふたりの韓国人、各ひとりのタイ人、フィリピン人全員に自己紹介を求めた。ひとり残らず日本語で印象的な自己紹介をやってのけたので少なからず驚いた。先週、諸先輩から4、5歳児に教えるように教えればよいというアドバイスを受けていた。とんでもない話だ。生徒たちがいずれもかなりのレベルの知性を備えていることが窺えた。
皆さん、日本語をしゃべりたくてたまらない。自己紹介の後で抑制の堰がきれた。大半は日本語で、ごくたまに英語と母国語で会話が続いた。私が趣味は何かと問うと、ふたりの女性が「仕事」と日本語で応えた。男性陣が「信じられない!」を連発した。
かと思うと日本のフィリピン人妻が「わたし、先生のこと中国の人だと間違えていた。ごめんね。」「ごめんねはいらん、よおあることよ。」「なに言った?せんせい、よくわからない。」外野から「先生、もっと易しい日本語でしゃべってあげて!」、私の窮地とみた諸先輩が3人、クラスに入ってきた。こうなるともう収拾がつかない。
ついには教師と生徒が入り乱れて言いたいことをいい始めた。タイ人と韓国人とフィリピン人は英語ができる。原則日本語、たまに英語を交えるとほぼ意思の疎通ができる。中国人は英語が苦手だ。そこで漢字で筆談になる。大半の意味は通じる。ところが発音が全くちがう。タイ人とフィリピン人は漢字が殆ど読めない。しかし、英会話ができる。加えて、日本人女性の教師陣で話はとりとめがない。
フィリピンの女性に「フィリピン人のメイドは世界一だといわれるが、本当にそう思うか。」と聞いたら頷いた後で、即座に「学校に行けない女性が生きて行くためにはいっしょうけんめい掃除する、食事をつくるしか仕事がない、だからね。貧乏だからよ。」ときっぱりと応えた。
最高齢63歳の長老生徒が語りかけてきた。「ぶんぽうのべんきょうが今日はなかった。」「べんきょうにならなかったですね。」と私。「いいや、わたしはぶんぽうはもういい。わたしは『わし』という言葉を目上の人に使ってよいものかどうかとか、小沢一郎という日本でいちばん偉い人が、どおして自分のことを『ぼく』といって、『わし』と言わないのか、こういうべんきょうをしたい。」
1時間半は瞬く間に過ぎた。「こんなに盛り上がったのは初めて。」と諸先輩方も喜んでくれた。殆どの生徒さんたちは喜んでくれたが、少し気がかりな生徒さんもいる。来週から再びアシスタントに戻って、日本語の教授法を学び、研究する。
皆さん、日本語をしゃべりたくてたまらない。自己紹介の後で抑制の堰がきれた。大半は日本語で、ごくたまに英語と母国語で会話が続いた。私が趣味は何かと問うと、ふたりの女性が「仕事」と日本語で応えた。男性陣が「信じられない!」を連発した。
かと思うと日本のフィリピン人妻が「わたし、先生のこと中国の人だと間違えていた。ごめんね。」「ごめんねはいらん、よおあることよ。」「なに言った?せんせい、よくわからない。」外野から「先生、もっと易しい日本語でしゃべってあげて!」、私の窮地とみた諸先輩が3人、クラスに入ってきた。こうなるともう収拾がつかない。
ついには教師と生徒が入り乱れて言いたいことをいい始めた。タイ人と韓国人とフィリピン人は英語ができる。原則日本語、たまに英語を交えるとほぼ意思の疎通ができる。中国人は英語が苦手だ。そこで漢字で筆談になる。大半の意味は通じる。ところが発音が全くちがう。タイ人とフィリピン人は漢字が殆ど読めない。しかし、英会話ができる。加えて、日本人女性の教師陣で話はとりとめがない。
フィリピンの女性に「フィリピン人のメイドは世界一だといわれるが、本当にそう思うか。」と聞いたら頷いた後で、即座に「学校に行けない女性が生きて行くためにはいっしょうけんめい掃除する、食事をつくるしか仕事がない、だからね。貧乏だからよ。」ときっぱりと応えた。
最高齢63歳の長老生徒が語りかけてきた。「ぶんぽうのべんきょうが今日はなかった。」「べんきょうにならなかったですね。」と私。「いいや、わたしはぶんぽうはもういい。わたしは『わし』という言葉を目上の人に使ってよいものかどうかとか、小沢一郎という日本でいちばん偉い人が、どおして自分のことを『ぼく』といって、『わし』と言わないのか、こういうべんきょうをしたい。」
1時間半は瞬く間に過ぎた。「こんなに盛り上がったのは初めて。」と諸先輩方も喜んでくれた。殆どの生徒さんたちは喜んでくれたが、少し気がかりな生徒さんもいる。来週から再びアシスタントに戻って、日本語の教授法を学び、研究する。