旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

日本語教室 Ⅱ

2011年11月14日 21時03分12秒 | Weblog
私が自己紹介を終えた後で、3人の中国人、ふたりの韓国人、各ひとりのタイ人、フィリピン人全員に自己紹介を求めた。ひとり残らず日本語で印象的な自己紹介をやってのけたので少なからず驚いた。先週、諸先輩から4、5歳児に教えるように教えればよいというアドバイスを受けていた。とんでもない話だ。生徒たちがいずれもかなりのレベルの知性を備えていることが窺えた。

皆さん、日本語をしゃべりたくてたまらない。自己紹介の後で抑制の堰がきれた。大半は日本語で、ごくたまに英語と母国語で会話が続いた。私が趣味は何かと問うと、ふたりの女性が「仕事」と日本語で応えた。男性陣が「信じられない!」を連発した。

かと思うと日本のフィリピン人妻が「わたし、先生のこと中国の人だと間違えていた。ごめんね。」「ごめんねはいらん、よおあることよ。」「なに言った?せんせい、よくわからない。」外野から「先生、もっと易しい日本語でしゃべってあげて!」、私の窮地とみた諸先輩が3人、クラスに入ってきた。こうなるともう収拾がつかない。

ついには教師と生徒が入り乱れて言いたいことをいい始めた。タイ人と韓国人とフィリピン人は英語ができる。原則日本語、たまに英語を交えるとほぼ意思の疎通ができる。中国人は英語が苦手だ。そこで漢字で筆談になる。大半の意味は通じる。ところが発音が全くちがう。タイ人とフィリピン人は漢字が殆ど読めない。しかし、英会話ができる。加えて、日本人女性の教師陣で話はとりとめがない。

フィリピンの女性に「フィリピン人のメイドは世界一だといわれるが、本当にそう思うか。」と聞いたら頷いた後で、即座に「学校に行けない女性が生きて行くためにはいっしょうけんめい掃除する、食事をつくるしか仕事がない、だからね。貧乏だからよ。」ときっぱりと応えた。

最高齢63歳の長老生徒が語りかけてきた。「ぶんぽうのべんきょうが今日はなかった。」「べんきょうにならなかったですね。」と私。「いいや、わたしはぶんぽうはもういい。わたしは『わし』という言葉を目上の人に使ってよいものかどうかとか、小沢一郎という日本でいちばん偉い人が、どおして自分のことを『ぼく』といって、『わし』と言わないのか、こういうべんきょうをしたい。」

1時間半は瞬く間に過ぎた。「こんなに盛り上がったのは初めて。」と諸先輩方も喜んでくれた。殆どの生徒さんたちは喜んでくれたが、少し気がかりな生徒さんもいる。来週から再びアシスタントに戻って、日本語の教授法を学び、研究する。


思索と菜園

2011年11月09日 20時36分41秒 | Weblog
まず現実があって理解が後を追う。だから、止まって現実を解釈しようとするほどに、認識は時間的・空間的に現実から遠ざってゆく 。ところで、現実を解釈するとはどういうことなのか。人間の意識や制度を究明する試みと捉えることができる。ヘーゲルは学問をミネルバのフクロウにたとえた。至言だ。

菜園のホウレン草と春菊、大根を間引いた。間引いた野菜だけでふたかかえにもみかかえにもなった。親元や兄弟にもお裾分けをすませた。それでも、残ったもので1週間分の野菜は賄える。豊作だ。人参の発育もよい。赤玉ネギが一斉に芽をふいた。白菜の生育に勢いがない。種を撒くのが遅すぎたようだ。日本の名著「安藤昌益」を読もうとした。自然直営道が見当たらない。愕然とした。

所感

2011年11月07日 20時08分21秒 | Weblog
過去2年間の流れとは打って変って、この1ヶ月は窓口を訪れるひとが少ない。職場は閑散としている。もてあました時間を利用して、守備範囲の法律、施行規則、実施要領を読み漁り続けて1週間が経過した。

ページをめくるにつれて、国会で可決、施行された崇高な法律の理念が、施行規則を経て、役所の窓口まで降りてくる頃には猜疑心の塊になってしまっていることがよく解る。こうなってしまった原因の一端は来所者にある。役所にもある。

理解していないと解り易く説明できない。崇高な法の理念や複雑怪奇な要領を、来所者に解り易く説明することを旨としてきた。最近、話の切れが悪い。よい機会だから知的な充電に励んで話術を磨き直してみることにした。


日本語教室  Ⅰ

2011年11月06日 20時53分21秒 | Weblog
毎週の日曜日に公民館で開催されている日本語教室にアシスタントまたは見習いとして出席し始めて3カ月が経過した。この間、3回に及ぶ日本語ボランティアスキルアップ講座も受講した。そして、本日の打ち合わせで来週から教壇に立つことが決まった。

高校時代に学んだ国語の文法とまるで異なる丁寧語の文法にいまだ戸惑っているし、諸先輩方との力量の差は歴然としている。時期尚早と丁重にお断りしたのだが諸先輩方の強い要請があったので、結局お受けすることになった。

あまり力まない方が良いという諸先輩のアドバイスに従って「日本語の教え方ABC」をテキストにしてまず、日本語の教え方の基本中の基本を押さえておくことにした。これまで毎回顔を合わせてきた中国、韓国、フィリピン、タイの皆さんが相手だ。だからやり易いのか、やり難いのかわたしにはよく解らない。

韓国、フィリピンの皆さんは英語ができるのでやり易そうだ。しかし、中高齢者が多い中国の皆さんは難しそうな予感がする。それに、ごく真面目そうな中国の女性が今日教室に入った。この女性にどこまで教授できるかについては不安だ。

打ち合わせの終了まじかに、「はやとさんは熱心に何かを語ろうとすると早口になるから、その点には気をつけましょうね。」というアドバイスをいただいた。ムカっときそうなくらいわたしの話し方の癖を突いている。これが洗礼なのか、ようやくボランティアの仲間に入れてもらえたという証しなのか、いまだわたしにはよく解らない。

秋の雨

2011年11月05日 19時16分34秒 | Weblog
晩秋の小雨の中で菜園の雑草をむしりはじめた。野菜を間引く頃にはかなり激しい雨脚になった。身体が温まりかけていたのでカッパのうえから降り注ぐ雨は心地よい。好きなカッパのうえから肌で大粒の雨を直接感じるのは久しぶりだ。実に爽快な気分になる。

このひと月というもの、晴れの日に種を蒔くと2~3日あとには雨が降る。そして1週間ほど晴れの日が続く。申し分のない天候に恵まれたから野菜の生育が良い。雑草むしりに、水やり、施肥と丹精をこめて世話をしているから野菜たちはそれぞれに逞しい。

大根に人参、春菊、ホウレン草、白菜、赤玉ネギ、ネギにバジルが順調に生育し、茄子とピーマンがまだ実をつける。里芋がひと株、収穫を待っている。菜園で作業に励みながら若いホウレン草や春菊を口にする。香りと歯ごたえがたまらない。

わが家の庭では、接ぎ木から育て上げたバラ10本ほどがバッタにやられて葉が全滅、残ったのは赤いバラと白いバラの花弁のみという悲惨な有様だ。野ぶどうも自慢の白まだらの葉がことごとくやられて今や薄緑のさえない風情だ。やはり、バッタにやられた。

夏から秋にかけて、菜園には多くの蝶が舞っていた。これから心配しなければならないのは青虫だ。近くの菜園がかなりやられているのでなおさらだ。今日まで有機農法でやってきた。周りの害虫被害をみるにつけ近いうちに青虫やアブラムシ対策を講じることになる。早急に農薬を使わないで済む方法を研究しなければならない。

セルバンテス

2011年11月05日 10時06分10秒 | Weblog
セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んでいた。この物語は狂気というよりも夢想に駆られた「遍歴の騎士」の冒険談だ。キホーテは騎士道という夢想に心を奪われているので、彼には現実が「現実という魔法」として目前に現われる。つまり現実というものを彼なりの狭い解釈でしか理解できない。物語は騎士道の虜となった一徹なドン・キホーテの単なる冒険談ではない。毒を十分に含んだ警世の古典である所以だ。

夢想に心を奪われて現実を「現実の魔法」と解釈する落とし穴には、学者や哲学者、作家や読書家を自認する知識人が落ちやすい。断じて知識人の範疇ではないが「哀しき活字中毒患者」の私にも少なからずこの傾向がある。だから、この物語は私にとって解毒剤のような著作なのだ。愛読書「ドン・キホーテ」を机上に置くたびに、私もドン・キホーテのごとく夢想のせいで現実を「現実という魔法」としてみているのではないかという一抹の不安を覚える。

マルセーラ

2011年11月04日 21時03分37秒 | Weblog


『神様から授けられた生来の分別によって美しいものは何でもひとの愛情を誘うことを知ってます。しかし、美しいがゆえに愛されている者が、愛されているのだから、自分を愛している相手を愛さなくてはならないという理屈にだけは合点がいきません。』一部改竄
機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ 第二部
第一四章 「ここでは死んだ羊飼いの絶望の詩篇が披露されると同時に、思いもよらぬ出来事が語られる。」より