旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

秋の雨

2011年11月05日 19時16分34秒 | Weblog
晩秋の小雨の中で菜園の雑草をむしりはじめた。野菜を間引く頃にはかなり激しい雨脚になった。身体が温まりかけていたのでカッパのうえから降り注ぐ雨は心地よい。好きなカッパのうえから肌で大粒の雨を直接感じるのは久しぶりだ。実に爽快な気分になる。

このひと月というもの、晴れの日に種を蒔くと2~3日あとには雨が降る。そして1週間ほど晴れの日が続く。申し分のない天候に恵まれたから野菜の生育が良い。雑草むしりに、水やり、施肥と丹精をこめて世話をしているから野菜たちはそれぞれに逞しい。

大根に人参、春菊、ホウレン草、白菜、赤玉ネギ、ネギにバジルが順調に生育し、茄子とピーマンがまだ実をつける。里芋がひと株、収穫を待っている。菜園で作業に励みながら若いホウレン草や春菊を口にする。香りと歯ごたえがたまらない。

わが家の庭では、接ぎ木から育て上げたバラ10本ほどがバッタにやられて葉が全滅、残ったのは赤いバラと白いバラの花弁のみという悲惨な有様だ。野ぶどうも自慢の白まだらの葉がことごとくやられて今や薄緑のさえない風情だ。やはり、バッタにやられた。

夏から秋にかけて、菜園には多くの蝶が舞っていた。これから心配しなければならないのは青虫だ。近くの菜園がかなりやられているのでなおさらだ。今日まで有機農法でやってきた。周りの害虫被害をみるにつけ近いうちに青虫やアブラムシ対策を講じることになる。早急に農薬を使わないで済む方法を研究しなければならない。

セルバンテス

2011年11月05日 10時06分10秒 | Weblog
セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んでいた。この物語は狂気というよりも夢想に駆られた「遍歴の騎士」の冒険談だ。キホーテは騎士道という夢想に心を奪われているので、彼には現実が「現実という魔法」として目前に現われる。つまり現実というものを彼なりの狭い解釈でしか理解できない。物語は騎士道の虜となった一徹なドン・キホーテの単なる冒険談ではない。毒を十分に含んだ警世の古典である所以だ。

夢想に心を奪われて現実を「現実の魔法」と解釈する落とし穴には、学者や哲学者、作家や読書家を自認する知識人が落ちやすい。断じて知識人の範疇ではないが「哀しき活字中毒患者」の私にも少なからずこの傾向がある。だから、この物語は私にとって解毒剤のような著作なのだ。愛読書「ドン・キホーテ」を机上に置くたびに、私もドン・キホーテのごとく夢想のせいで現実を「現実という魔法」としてみているのではないかという一抹の不安を覚える。