旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

学力 人間力

2008年10月23日 19時49分33秒 | Weblog
宮内さんはアメリカ風の守奴銭で随分人相が悪いですね。御手洗さんはどうみても暗愚という印象です。ご両者ともにアメリカ的合理主義の洗礼を受けています。政商宮内はともかく、私学出(わたしの母校です。)初の経団連会長御手洗さんは派遣労働者問題で躓きました。宮内さんも関学の卒業です。

われわれが就職活動をする際には指定校制というのがあって、たとえばわたしなんぞ、財閥系の金融機関や商社、メーカーは門前払いでした。あれは実に理不尽です。最近では指定校制度が撤廃されて、母校から都市銀行に入ることができるようになったようです。

こうなってくると、世にいう大企業のなかで一流大学卒の社員がこれからも経営の中枢を担っていけるものかどうかはおおいに疑問です。社会人ともなれば学力ではなくて学力以外のファクター、たとえば体力とか人間性で勝負することになります。

門戸さえ開いてしまえば学校歴区別(差別)を受けている側が、学校歴で既得権を感じている者以上の努力を強いられて、逆に人間として磨かれて、出世競争上では優位になっていくという妙な現象がおこります。

学問の世界と比べるとビジネスの世界は実に単純です。儲かるか儲からないか、これが全てです。暗愚であろうが(御手洗さんは創業者の末裔です)守奴銭であろうが、企業を存続発展させることに寄与した者が評価を受けます。

世襲であれ、たたき上げであれ、経営陣が知的でない理由は、まさしくこの点にあります。経営者にとって賃金はコスト(費用)に過ぎないのです。だから、団体交渉が難航するのです。Tさんの苦悶はしばらく続くことになりそうですね?


学者

2008年10月23日 19時45分06秒 | Weblog
確かに竹中さんの顔つきには子泣きジジイ的小児性を感じます。「のぞき」でマスコミから追放された植草さんも似たような顔をしていました。そういえば、最近評判の、三菱の水野さんの明るさにも似通った何ものかを感じます。

きっと、他人ごとなんでしょうね。娑婆がどうなろうが金融の根幹を理論(理屈)付けている近代経済学は、ザインの社会科学であってゾーレンのそれではない。価値観とは無縁の数学に過ぎません。先行する世界観(哲学)がないのですから、センセイたちは我が身を安全な場所に置いたうえで、いつまでも評論家でいることができるのです。

最近、象牙の塔からマスコミへの進出が著しい東大や京大教授のコメントも似たようなものです。確か、水野や植草は東大出。元東大教授の猪口(女房はオカメインコみたいなあの四谷の神学校出の国会議員です。)や伊藤もそうです。

弁解の名人(高級官僚)を量産したことが暴露されたうえに、2流大学のロースクールにガチンコで負けている東大法学部。受験勉強はできる。しかし、どうみても東大は学生の教育に失敗していると言わざるを得ません。東大の権威は崩壊しつつあります。

そういえば、広島YMCA高等予備校のトップを突っ走り、東大入試がなかったのでやむなく、京大法学部に進んで大蔵省にトップで入省した(といわれる)知り合いの男が、今日テレビに出て税制について数分間わけのわからないコメントを加えていました。

肩書きをよくみるとわたしの母校のロースクール教授でした。数年前に彼が著わした税制に関する新書を読んでいただけに愕然としました。文章も満足に書けない男でも「京大出て大蔵省のOBという肩書きだけで大学院の教授だって?まともに講義ができるのかよ。」と憤慨しています。

それでも、世の親御さんたちは既得権狙いの1流大学志向です。既得権なんて既に砂上の楼閣なのです。子供達がかわいそうでなりません。

阪大 一橋

2008年10月23日 19時41分33秒 | Weblog
学生時代に読んだ「近代経済学」という基本書の執筆者のひとりが阪大卒の阪大教授でした。あれだけの基本書を書ける人間はやっぱ違うわ。とうとう政府税制調査会の会長までのぼりつめちゃったのかいな。権威主義が跋扈するああいうポストは東大かせいぜい京大・一橋クラスの出じゃないと無理かと思っていたが、やるじゃん本間さん、実力主義の時代はこうでなくちゃいかんな、などと呑気なことを考えていました。

暇な日曜だったので、Tさんにコケにされている本間さんが気の毒になって、久しぶりにその「近代経済学」を手にとってみて、あれっと思いました。本間正明の名がありません。よく見れば阪大出の著者は新開陽一さんでした。長いこと経済学入門の基本書である有斐閣「近代経済学」の著者のひとりを本間正明だと思い続けていました。これはわたしの記憶違いでした。本間さんは本間さんらしく、政府御用達の日経「ゼミナール現代財政学入門」というチャチな本を書いていたのです。

竹中平蔵。東大入試がなかった年に一橋に入っていますから勉強ができたのは間違いない。たまに彼の著作や月刊「文芸春秋」(わたしのようなアッパーミドル向けの月刊誌です。ははは!)に掲載された記事を読みます。「あっそうですか。」程度の印象しか残りません。アメリカ市場原理主義のスポークスマンみたいな学者ですね。まさしく「哲学の貧困」を地で行くような論調が目立ちます。御用学者としては成功したといえるのでしょうが、お手本のアメリカがあれですから、テレビに出演してああだこうだという前に、せめて市場原理主義がこういう結末を迎えたことに対して自己批判のひとつも欲しいところですね。