意匠と衣装の区別さえつかない頃に国語の参考書で読んだ記憶がよみがえった。当時、私はマルクスと聞くだけで怖いものに触れるような世界の住人であった。今読めば、一世を風靡したマルクス主義文学に対して個人主義的な立場からその事大主義に反駁を試みていることは容易に読んでとれる。
労働法を学ぶつもりで入ったゼミでいきなり「資本論」を読むことになった。教養科目の経済学はマルクスの「剰余価値説」がテーマだった。卒業間近になってようやく「経済学批判序説」を読み切った。マルクスの思想の片鱗を理解できるようになって社会科学に目覚めた。マル経の教授たちは小林秀雄と同世代だった。
現代風にいうと、インテリ世界でマルクスがファッションだった時代に、個人の嗜好や好みを前面に打ち出してアンチ・マルクス主義の論陣を張った小林秀雄は、器用な人間ではなかった。雑誌「改造」の懸賞論文(1929年8月)では、のちの日本共産党委員長宮本顕治が芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」が1席で、小林秀雄のこの「様々なる意匠」は2席だった。
労働法を学ぶつもりで入ったゼミでいきなり「資本論」を読むことになった。教養科目の経済学はマルクスの「剰余価値説」がテーマだった。卒業間近になってようやく「経済学批判序説」を読み切った。マルクスの思想の片鱗を理解できるようになって社会科学に目覚めた。マル経の教授たちは小林秀雄と同世代だった。
現代風にいうと、インテリ世界でマルクスがファッションだった時代に、個人の嗜好や好みを前面に打ち出してアンチ・マルクス主義の論陣を張った小林秀雄は、器用な人間ではなかった。雑誌「改造」の懸賞論文(1929年8月)では、のちの日本共産党委員長宮本顕治が芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」が1席で、小林秀雄のこの「様々なる意匠」は2席だった。