飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉歌碑マップ探訪:桜井市 初瀬道・忍坂道 万葉歌碑群

2015年04月08日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(桜井市初瀬道・忍坂道地図:クリックすると拡大表示します)

 初瀬道は桜井から長谷寺に続く街道で、古代は万葉集発祥の地として、平安中期からは長谷詣で栄えてきた。
忍坂道は桜井と宇陀を結ぶ古道。記紀に記された神武東征の道であり、忍坂集落には、舒明天皇御陵、万葉歌人・鏡女王の墓や、額田王の念持佛と言われる石位寺の石仏があり、記紀、万葉のロマンあふれる道である。
 今回は山の辺の道の終点・大神神社から初瀬道・忍坂道と桜井市一帯の万葉歌碑を探訪した。(探訪日:2015/3/31)
桜井市の山の辺の道は、万葉歌碑マップ探訪:奈良 山辺の道(桜井編) 万葉歌碑群 で既に紹介済。


海柘榴市付近の初瀬川


 1.東新堂、桜井西中学校
  三輪山を しかも隠すか 雲だにも
  心あらなも 隠さふべしや  (巻1-18) 額田王 →詳細は万葉アルバム


 2.大福、三十八柱神社
  こもりくの 泊瀬の山は 色づきぬ
  しぐれの雨は 降りにけらしも (巻8-1593) 大伴坂上郎女 →詳細は万葉アルバム


 3.三輪、芝運動公園
  三輪山を しかも隠すか 雲だにも
  心あらなも 隠さふべしや  (巻1-18) 額田王 →詳細は万葉アルバム


 4.平等寺
  我が衣 色どり染めむ 味酒
  三室の山は 黄葉しにけり (巻7-1094) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 5.磯城瑞籬宮伝承地
  磯城島の 大和の国に 人ふたり
  ありとし思はば 何か嘆かむ (巻13-3249) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 6.金屋、海柘榴市観音への入口
  紫は 灰さすものぞ 海石榴市の
  八十の衢に 逢へる子や誰れ (巻12-3101) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 7.佛教傳承地之碑隣
  夕さらず かはづ鳴くなる 三輪川の
  清き瀬の音を 聞かくしよしも (巻10-2222) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 8.金屋、初瀬川畔
  こもりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は
  走出の よろしき山の 出立の くはしき山ぞ
  あたらしき 山の荒れまく惜しも (巻13-3331) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 9.慈恩寺・磯城島公園
  泊瀬川 早み早瀬を むすび上げて
  飽かずや妹と 問ひし君はも (巻11-2706) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 10.慈恩寺・磯城島公園
  巻磯城島の 大和の国は 言霊の
  助くる国ぞ ま幸くありこそ (巻13-3254) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 11.大三輪病院近く
  苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎
  狭野の渡りに 家もあらなくに (巻3-265) 長忌寸奥麿 →詳細は万葉アルバム


 12.脇本、春日神社近く
  夕されば 小倉の山に 伏す鹿し
  今夜は鳴かず 寐ねにけらしも (巻9-1664) 雄略天皇 →詳細は万葉アルバム


 13.黒崎、白山神社
  籠もよ み籠持ち ふくしもよ
  みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子
  家告らせ 名告らさね・・・ (巻1-1) 雄略天皇 →詳細は万葉アルバム


 14.出雲、桜井東中学校北初瀬川沿い
  石走り たぎち流るる 泊瀬川
  絶ゆることなく またも来て見む (巻6-991) 紀鹿人 →詳細は万葉アルバム


 15.東中学校西門前狛川沿い
  人言を 繁み言痛み おのが世に
  いまだ渡らぬ 朝川渡る (巻2-116) 但馬皇女 →詳細は万葉アルバム


 16.忍坂、鏡王女墓近く
  秋山の 木の下隠り 行く水の
  我れこそ増さめ 思ほすよりは (巻2-92) 鏡王女 →詳細は万葉アルバム


 17.忍坂、生根神社
  こもりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は
  走出の よろしき山の 出立の
 くはしき山ぞ あたらしき 山の荒れまく惜しも (巻13-3331) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 18.下、聖林寺石垣
  倉橋の 山を高みか 夜隠りに
  出で来る月の 光乏しき (巻3-290) 間人宿祢大浦 →詳細は万葉アルバム


 19.上之宮、春日神社
  家ならば 妹が手まかむ 草枕
  旅に臥やせる この旅人あはれ (巻3-415) 聖徳太子 →詳細は万葉アルバム


 20.桜井、市立図書館庭
  茂岡に 神さび立ちて 栄えたる
  千代松の木の 年の知らなく (巻6-990) 紀朝臣鹿人 →詳細は万葉アルバム

万葉歌碑マップ探訪:橿原市 北部周辺 万葉歌碑群

2015年04月03日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(橿原市北部周辺地図:クリックすると拡大表示します)

 大和朝廷時代には歴史の中心として、江戸時代には自由都市として栄えた橿原。田園地帯にぽっかりと浮かぶ大和三山や、その合間を流れる飛鳥川、曽我川。美しく豊かなこの地は、万葉歌人にも愛されていた。 
その歌は万葉歌碑となり、まちのいたるところに点在している。
藤原宮跡以南は、万葉歌碑マップ探訪:橿原市 藤原古京 万葉歌碑群 で既に紹介済。
ここでは、藤原宮跡以北の街中に点在する歌碑を取り上げる。(探訪日:2015/3/30)


耳成山と耳成公園木原池


 1.橿原市雲梯町 河俣神社
  思はぬを 思ふと言はば 真鳥住む
  雲梯の杜の 神し知らさむ (巻12-3100) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 2.今井町 今井まちなみ交流センター華甍
  明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
  流るる水も のどにかあらまし (巻2-197) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 3.地黄町 人丸神社
  秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる
  妹を求めむ 山道知らずも (巻2-208) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 4.中曽司町 磐余神社
  ま菅よし 宗我の川原に 鳴く千鳥
  間なし我が背子 我が恋ふらくは (巻12-3087) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 5.常磐町 春日神社
  玉桙の 道は遠けど はしきやし
  妹を相見に 出でてぞ我が来し (巻9-1619) 大伴家持 →詳細は万葉アルバム


 6.東竹田町 竹田神社
  うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の
  間なく時なし 我が恋ふらくは (巻4-760) 大伴坂上郎女 →詳細は万葉アルバム


 7.木原町 耳成公園木原池
  耳成の 池し恨めし 我妹子が
  来つつ潜かば 水は涸れなむ (巻16-3788) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 8.四分町 鷺栖神社
  ひさかたの 天知らしぬる 君故に
  日月も知らず 恋ひわたるかも (巻2-200) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム

群馬県高崎市 高崎自然歩道 石碑の路

2013年05月28日 | 万葉歌碑マップ 探訪

  (高崎自然歩道マップ(万葉歌碑番号):図をクリックすると拡大します)

 群馬県の高崎駅から上信電鉄に乗り換えて山名駅、そこから上信電鉄根小屋駅に至る高崎自然歩道。
山名丘陵に連なる散策路で、うち約5Kmは石碑の路と呼ばれ上野国を詠んだ万葉の歌を刻んだ石碑が道々24碑置かれている。(15ら22までは万葉歌でないため除外し、マップにはない新たな新1から新5を加えた)(2013/5/25)  →散策ブログはテニスとランとデジカメと
飛鳥時代の山の上碑(西暦681年)と、奈良時代の金井沢碑(西暦726年)があり、実際に幾首かが、このあたりで詠われていたことを物語っており、この歩道は、遠く万葉の時代のロマンの世界に浸ることができるのである。
鎌倉時代(1192年~1333年)には高崎~鎌倉を結ぶ鎌倉街道として栄えており、 また山名城址、根小屋城址へ通じる道は戦国時代の関東と信濃、越後を結ぶ重要な軍事道路でもあったようだ。


高崎自然歩道(24地点)


1地点:山名八幡宮参道
石碑の路碑
土木会社社長であった信沢克己さんが上野国歌の幾首かがこの山名丘陵付近(上代の佐野山)で唄われたとし、心の古里を大切に保存するため、佐野山に石碑の路を作ったのである。


2地点:山名八幡宮境内
山名宗全碑
凡そ例というは 其時が例也


3地点:山名御野立所跡
佐野山に 打つや斧音の遠かども 寝もとがころが おもに見えつる(巻14-3473)
  →万葉アルバムへ


4地点:山の上碑への分岐点
吾が恋は まさかも悲し 草枕 多胡の入野の おくも悲しも(巻14-3403)
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5地点:山名貯水池
いにしへの 古き堤は 年深み 池の渚に 水草生ひにけり(巻3-378)
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6地点:山の上碑と古墳
日の暮れに 碓氷の山を 越ゆる日は 夫なのが袖も さやに振らしつ(巻14-3402)
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7地点
あすか河 塞くと知りせば あまた夜も ゐ寝てこましを せくとしりせば(巻14-3544)
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8地点:山名城址分岐点手前
遠しとふ こなの白峰に あほ時も あはのへ時も 汝にこそよされ(巻14-3478)
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9地点
ささの葉は み山もさやに さやげども 我が妹おもう わかれきぬれば(巻2-133)
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10地点
紫の 根延ふ横野の 春野には 君をかけつつ 鶯鳴くも(巻10-1825)
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11点:高崎商大分岐点手前
妹をこそ あひ見に来しか 眉引の 横山へろの 鹿なすおもへる(巻14-3531)
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12地点
利根川の 川瀬も知らず ただ渡り 波にあふのす 逢へる君かも(巻14-3413)
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13地点
わがいはろに 行かも人もが 草枕 旅は苦しと 告げやらまくも(巻20-4406)
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14地点:根小屋城址への分岐点手前
伊香保ろの さやかの堰手に 立つ虹の 現はろまでも さ寝をさねてば(巻14-3414)
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23地点
伊香保嶺に 雷な鳴りそね わが上には 故は無けれども 児らによりてぞ(巻14-3421)
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24地点
上毛野 可保夜が沼の 伊波為蔓 引かばぬれつつ 吾をな絶えそね(巻14-3416)
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25地点
上毛野 佐野の茎立 折りはやし 吾は待たなむゑ 今年来ずとも(巻14-3406)
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26地点
夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行かせ吾が背子 その間にも見ん(巻3-709)
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27地点
伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみし 時なかりけり(巻14-3422)
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新1地点:小橋の上
嶺ろに 言はるものから 青嶺ろに いさよふ雲の 寄そり妻はも(巻14-3512) 
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新2地点
巌ろの 岨の若松 限りとや 君が来まさぬ 心もとなくも(巻14-3495)
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新3地点
難波道を 行きて来までと 吾妹子が 付けし紐が緒 絶えにけるかも(巻20-4404)
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新4地点
伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら(巻14-3409)
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新5地点
あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れし 山のしづくに(巻2-107)
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28地点:金井沢碑への分岐点
吾を待つと 君が沾れけむ 足曳の 山の雫に なりますものを(巻2-108)
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29地点:金井沢碑入口
八隅ししわご大君かむながら 神さびせすと芳野川たきつ河内に 高殿を高知りまして登りたち 国見をすればたたはなる青垣山 山神之奉る御調と春べは花かざし 持ち秋立てば黄葉かざせり ゆきそふ川の神も大御食に仕え奉ると 上つ瀬に鵜川えお立ちて下つ 瀬に小網さし渡す山川も 依りてつかふる神の御代かも(巻1-38)
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万葉歌碑マップ探訪:長野県千曲市 千曲川万葉公園

2012年08月06日 | 万葉歌碑マップ 探訪

  (千曲川万葉公園マップ:図をクリックすると拡大します)

 
 万葉公園は、千曲市の上山田温泉にある万葉橋のたもと、千曲川の西岸堤防沿いに広がる細長い公園で昭和60年4月に建設された。
長野県を流れる千曲川は新潟県に入ると信濃川となる日本一長い河川である。
万葉集東歌に「信濃なる千曲の川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ」と詠まれ、小石がロマンチックな川の象徴として古代の人々の憧れだった。その影響で古く万葉の時代から現代に至るまでに千曲を訪れ歌った歌人が多い。
万葉公園には、その千曲を歌いあげた27の歌碑が、所狭しと建っている。
万葉橋北側に6基・南側に21基あり、その中に万葉歌碑は北側2基・南側6基の計8基建っている。
万葉以外には一茶や虚子をはじめとした代表的な歌人の直筆の刻まれた歌碑・五木ひろしの「千曲川」の歌碑などがある。
(2012/7/25訪問)


千曲川のながれ


千曲川万葉公園(万葉橋北側)全景


千曲川万葉公園(万葉橋南側)全景


<千曲川万葉公園、万葉歌碑一覧>
(番号は千曲川万葉公園マップ内の歌碑番号を指す)


27.信濃(しなの)なる 千曲(ちぐま)の川(かは)の 細石(さざれし)も
  君し踏みてば 玉と拾(ひろ)はむ (巻14-3400) 
  →万葉アルバムへ


1.信濃(しなの)なる 千曲(ちぐま)の川(かは)の 細石(さざれし)も
  君し踏みてば 玉と拾(ひろ)はむ (巻14-3400)
  →万葉アルバムへ


5.信濃道(しなのぢ)は 今の墾道(はりみち) 刈(か)りばねに 
  足踏(ふ)ましなむ 沓(くつ)はけわが背(せ) (巻14-3399)
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3.4.瓜(うり)食(は)めば 子ども思(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ
  何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ  眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 
  安眠(やすい)し寝(な)さぬ (巻5-802)

  銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
  勝(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも (巻5-803)
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6.韓衣(からころむ) 裾(すそ)に取り付き 泣く子らを 
  置(お)きてぞ来(き)のや 母(おも)なしにして (巻20-4401)
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7.み薦(こも)刈(か)る 信濃(しなの)の真弓(まゆみ) わが引かば
  貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも (巻2-96) 

  み薦刈る 信濃の真弓(まゆみ) 引かずして
  強(し)ひざるわざを 知ると言はなくに (巻2-97) 
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2.中麻奈(なかまな)に 浮き居(を)る舟の 漕(こ)ぎ去(な)ば
  逢(あ)ふことかたし 今日(けふ)にしあらずは (巻14-3401)
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8.石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の
  萌え出(い)づる春に なりにけるかも (巻8-1418) 
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万葉歌碑マップ探訪:千葉県木更津市馬来田 うまくたの路

2012年05月14日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(馬来田 案内図:クリックすると拡大表示します)

 馬来田と書いて「まくた」と読む。豪族馬来田国造が支配した土地で古くは「うまくた」と呼ばれていたが、明治時代に市制制度が整えられたのに伴い「馬来田(まくた)」と定められたとのこと。その後、馬来田村と隣の冨岡村が合併して富来田(ふくた)町となり更に木更津と合併して、木更津市富来田地区と馬来田地区になって、馬来田という地名はなくなってしまった。

馬来田は木更津から小櫃川に沿って上り久留里との中間にある田園地帯である。
この辺はまた「万里谷」の地でもあり武田氏が城山にある万里谷城によって戦国時代一帯を支配したことも歴史に残っている。この地の歌が万葉集に3首載っている。当時の人が筑紫の国に防人として行くため馬来田を離れる心情を歌ったもの、などである。
「馬来田」がどこの地とは定めがたく、諸説あるらしいが、上総国望陀(まうだ)郡が万葉でいう「宇麻具多」だといわれている。現在の袖ヶ浦市・木更津市を流れる小櫃川流域で、今も望陀の地名が残っている。

木更津と亀山を結ぶ久留里線のJR馬来田駅、小櫃川の支流になる武田川沿いにコスモス・ロードと名づけられた田園地帯に続く路があり、いにしえの万葉の風景を感じながら辿ると、そこここに万葉歌碑が6基点在している。


馬来田 武田川コスモスロード


1.馬来田駅前
  馬来田の 嶺ろに隠り居 かくだにも
  国の遠かば 汝が目欲りせむ (巻14-3383)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


2.「小さな路の駅」
  旅衣 八重着重ねて 寐のれども
  なほ肌寒し 妹にしあらねば (巻20-4351) →詳細は万葉アルバム


3.武田川左岸畔
  馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の
  濡れて我来なば 汝は恋ふばぞも (巻14-3382)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


4.武田川・町原橋畔
  春の野に 霞たなびき うら悲し
  この夕影に うぐひす鳴くも (巻19-4290)大伴家持 →詳細は万葉アルバム


5.武田川・妙泉寺下右岸畔
  春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ
  野をなつかしみ 一夜寝にける (巻8-1424)山部赤人 →詳細は万葉アルバム


6.妙泉寺
  銀も 金も玉も 何せむに
  まされる宝 子にしかめやも (巻5-803)山上憶良 →詳細は万葉アルバム

万葉歌碑マップ探訪:千葉県袖ヶ浦市、袖ヶ浦公園 万葉植物園

2012年04月18日 | 万葉歌碑マップ 探訪


  (万葉植物園案内図:図をクリックすると拡大します)

 袖ケ浦公園は、袖ケ浦市のほぼ中心に位置し、四季折々の花を観賞することができる市民の憩いの場となっている。大小2つの湖沼とこれを囲む丘陵地が大部分を占める水と緑あふれる公園で、下池周辺には、軽食も楽しめる花のテラスやわいわい広場、中央広場があり、上池には郷土博物館や万葉植物園などの施設が揃っている。

万葉植物園は郷土博物館の付帯施設で、万葉集に詠まれている約160種類の植物の中から、105種類を選んで栽培し、詠まれた歌の歌碑を設置している。万葉集には馬来田(まくた)に関する歌が2首選録されており、上総国望陀(まうだ)郡が万葉でいう「宇麻具多」だといわれている。現在の袖ヶ浦市・木更津市を流れる小櫃川流域で、今も望陀の地名が残っている。
万葉歌碑はこの馬来田の歌碑1基と万葉植物10基の合計11基設置されている。
園内は手入れが施されており、四季折々草花を楽しむことができそうだ。


万葉植物園全景



1.馬来田の嶺ろ
  馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の
  濡れて我来なば 汝は恋ふばぞも (巻14-3382)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


2.むろのき
  鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに
  相見し妹は 忘れえめやも (巻3-447)大伴旅人 →詳細は万葉アルバム


3.ほうのき
  我が背子が 捧げて持てる ほほがしは
  あたかも似るか 青き蓋 (巻19-4204)僧恵行 →詳細は万葉アルバム


4.やまぶき
  山吹は 日に日に咲きぬ うるはしと
  我が思ふ君は しくしく思ほゆ (巻17-3974)大伴池主 →詳細は万葉アルバム


5.まつ
  岩代の 浜松が枝を 引き結び
  ま幸くあらば また帰り見む (巻2-141)有間皇子 →詳細は万葉アルバム


6.もも
  春の園 紅にほふ 桃の花
  下照る道に 出で立つ少女 (巻19-4139)大伴家持 →詳細は万葉アルバム


7.まゆみ
  南淵の 細川山に 立つ檀
  弓束巻くまで 人に知らえじ (巻7-1330)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


8.にわとこ
  君が行き 日長くなりぬ 山たづの
  迎へを行かむ 待つには待たじ (巻2-90)衣通王 →詳細は万葉アルバム


9.ふじ
  藤波の 花は盛りに なりにけり
  奈良の都を 思ほすや君 (巻3-330)大伴家持 →詳細は万葉アルバム


10.しだれやなぎ
  浅緑 染め懸けたりと 見るまでに
  春の柳は 萌えにけるかも (巻10-1847)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


11.ゆずりは
  いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉の
  御井の上より 鳴き渡り行く (巻2-111)弓削皇子 →詳細は万葉アルバム

万葉歌碑マップ探訪:明日香村 飛鳥古京 万葉歌碑群

2012年02月06日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(飛鳥古京 地図:クリックすると拡大表示します)

 飛鳥古京は現在の奈良県高市郡明日香村一帯にあった主に飛鳥時代の宮都であったところ。
飛鳥時代は推古天皇が豊浦宮に即位した6世紀の終りから、元明女帝が和銅3年(710年)に奈良平城京に遷都するまでの約100年間を指すが、藤原京に遷都した17年、難波宮と近江大津宮の15年以外は飛鳥の地に点々と宮を移した。
仏教伝来にともない、古墳時代から脱皮し、天皇制律令国家へ飛躍した日本国家成立の時代であった。
万葉集では持統天皇・額田王・柿本人麻呂たちが主な歌人である。


板蓋宮伝承地
ここは3時期の宮殿遺構が重なっており、Ⅰ期は舒明天皇の飛鳥岡本宮、Ⅱ期が皇極天皇の飛鳥板蓋宮、Ⅲ期は斉明、天智天皇の後飛鳥岡本宮が存在していた。


 1.雷丘東(明日香村雷)
  大君は 神にしませば 天雲の
  雷の上に 廬らせるかも (巻3-235) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 2.雷橋右岸上流堤(明日香村雷)
  我がやどの 蒔きしなでしこ いつしかも
  花に咲きなむ なそへつつ見む (巻8-1448) 大伴家持 →詳細は万葉アルバム


 3.雷橋右岸上流堤(明日香村雷)
  明日香川 明日も渡らむ 石橋の
  遠き心は 思ほえぬかも (巻11-2701) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 4.雷橋右岸上流堤(明日香村雷)
  飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば
  君があたりは 見えずかもあらむ (巻1-78) 持統天皇 →詳細は万葉アルバム


 5.甘樫丘(明日香村豊浦)
  采女の 袖吹きかへす 明日香風
  都を遠み いたづらに吹く (巻1-51) 志貴皇子 →詳細は万葉アルバム


 6.大原神社・伝鎌足生誕地(明日香村小原)
  我が里に 大雪降れり 大原の
  古りにし里に 降らまくは後
  我が岡の おかみに言ひて 降らしめし
  雪のくだけし そこに散りけむ (巻2-103・104) 天武天皇・藤原夫人 →詳細は万葉アルバム


 7.万葉文化館入口交差点近く(明日香村小原)
  大原の このいち柴の いつしかと
  我が思ふ妹に 今夜逢へるかも (巻4-513) 志貴皇子 →詳細は万葉アルバム


 8.甘樫橋東(明日香村飛鳥)
  今日もかも 明日香の川の 夕さらず
  かはづ鳴く瀬の さやけくあるらむ (巻3-356) 上古麻呂 →詳細は万葉アルバム


 9.飛鳥寺(明日香村飛鳥)
  みもろの 神なび山に 五百枝さし
  繁に生ひたる 栂の木の・・・
  明日香川 川淀さらず 立つ霧の
  思ひ過ぐべき 恋にあらなくに (巻3-324・325) 笠金村 →詳細は万葉アルバム


10.飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
  大君は 神にしませば 赤駒の
  腹這ふ田居を 都と成しつ (巻19-4260) 大伴御行 →詳細は万葉アルバム


11.万葉文化館庭園(明日香村飛鳥)
  天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも
  月夜見の 持てるをち水 い取り来て
  君に奉りて をち得てしかも (巻13-3245) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


12.万葉文化館庭園(明日香村飛鳥)
  片岡の この向つ峰に 椎蒔かば
  今年の夏の 蔭にならむか (巻7-1099) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


13.万葉文化館庭園(明日香村飛鳥)
  皆人の 命も我れも み吉野の
  滝の常磐の 常ならぬかも (巻6-922) 笠金村 →詳細は万葉アルバム


14.万葉文化館庭園(明日香村飛鳥)
  春日にある 御笠の山に 月の舟出づ
  風流士の 飲む酒坏に 影に見えつつ (巻7-1295) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


15.万葉文化館庭園(明日香村飛鳥)
  君を待つ 松浦の浦の 娘子らは
  常世の国の 海人娘子かも (巻5-865) 山上憶良 →詳細は万葉アルバム


16.民俗資料館(明日香村飛鳥)
  大口の 真神の原に 降る雪は
  いたくな降りそ 家もあらなくに (巻8-1636) 舎人娘子 →詳細は万葉アルバム


17.飛鳥橋北(明日香村飛鳥)
  明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
  流るる水も のどにかあらまし (巻2-197) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


18.犬養万葉記念館(明日香村岡)
  山吹の 立ちよそひたる 山清水
  汲みに行かめど 道の知らなく (巻2-158)  高市皇子 →詳細は万葉アルバム


19.橘寺東門東・飛鳥川沿い(明日香村橘)
  明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き
  心は妹に 寄りにけるかも (巻13-3267) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


20.川原バス停南(明日香村橘)
  うつせみと 思ひし時に 取り持ちて
  我がふたり見し 走出の・・・ (巻2-210) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


21.川原寺跡前道路沿い(明日香村川原)
  世間の 繁き仮廬に 住み住みて
  至らむ国の たづき知らずも (巻16-3850) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


22.飛鳥歴史公園・高松塚前小丘(明日香村平田)
  立ちて思ひ 居てもぞ思ふ 紅の
  赤裳裾引き いにし姿を (巻11-2550) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


23.欽明陵南遊歩道(明日香村下平田)
  さ檜隈 檜隈川の 瀬を早み
  君が手取らば 言依せむかも (巻7-1109) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


24.石舞台古墳近く(明日香村島庄)
  御食向ふ 南淵山の 巌には
  降りしはだれか 消え残りたる (巻9-1709) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


25.島庄休憩園地(明日香村島庄)
  島の宮 上の池なる 放ち鳥
  荒びな行きそ 君座さずとも (巻2-172)草壁皇子の舎人 →詳細は万葉アルバム


26.玉藻橋畔(明日香村祝戸)
  明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど
  しがらみあれば 靡きあはなくに (巻7-1380) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


27.飛鳥稲淵宮跡(明日香村阪田)
  明日香川 七瀬の淀に 住む鳥も
  心あれこそ 波立てざらめ (巻7-1366) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


28.飛鳥川飛び石近く(明日香村稲淵)
  明日香川 明日も渡らむ 石橋の
  遠き心は 思ほえぬかも (巻11-2701) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム
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<未訪問歌碑>
 1.紀寺跡近く(明日香村小山)
  いにしへの ことは知らぬを 我れ見ても
  久しくなりぬ 天の香具山 (巻7-1096) 作者未詳

 2.上山古墳頂上(明日香村野口)
  いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす
  けだしや鳴きし 我が恋ふるごと (巻2-112) 額田王

 3.阪田寺跡(明日香村阪田)
  御食向ふ 南淵山の 巌には
  降りしはだれか 消え残りたる (巻9-1709) 柿本人麻呂

万葉歌碑マップ探訪:橿原市 香久山、万葉の森 万葉歌碑群

2011年12月15日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(万葉の森 位置図:クリックすると拡大表示します)

 香久山の入り口にある森林公園で、1981年第32回全国植樹祭記念事業の一環として整備された森。
天香具山の東側中腹から麓一帯にかけて広がっている。森林内には様々な植物の展示園があり、万葉集に詠まれた万葉植物が73種植栽されている。
散策路を歩くと、両脇に万葉歌碑が点在しており、全部で9基あり、大半の歌碑は白壁の土塀に囲まれて建っている。
万葉歌は樹木に関する歌で、歌碑のわきに歌に詠まれた樹木が植えられている。
藤原京跡からみると香久山の裏尾根にあたり道路も奥まったところにあるため、認知度が低く訪れる人は少ないようだ。
かなり広い場所で、今回は急ぎ足で回ったが、桜咲く頃や紅葉の頃にゆっくり散策したいところだ。(2011/11/14)


万葉の森 入口


散策路わきに万葉歌碑が点在している


1.つつじ
 水伝ふ 礒の浦廻の 岩つつじ
 茂く咲く道を またも見むかも (巻2-185)草壁皇子の舎人 →詳細は万葉アルバム


2.はぎ
 高円の 野辺の秋萩 いたづらに
 咲きか散るらむ 見る人なしに (巻2-231)笠金村 →詳細は万葉アルバム


3.つるばみ
 紅は うつろふものぞ 橡の 
 なれにし衣に なほしかめやも (巻18-4109)大伴家持 →詳細は万葉アルバム


4.うめ
 我が園に 梅の花散る ひさかたの
 天より雪の 流れ来るかも (巻5-822)大伴旅人 →詳細は万葉アルバム


5.ひさぎ
 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる
 清き川原に 千鳥しば鳴く (巻6-925)山部赤人 →詳細は万葉アルバム


6.うのはな
 ほととぎす 鳴く声聞くや 卯の花の
 咲き散る岡に 葛引く娘子 (巻10-1942)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


7.あふち
 妹が見し 楝の花は 散りぬべし
 我が泣く涙 いまだ干なくに (巻5-798)山上憶良 →詳細は万葉アルバム


8.ひのき
 いにしへに ありけむ人も 我がごとか
 三輪の桧原に かざし折りけむ (巻7-1118)柿本人麻呂歌集 →詳細は万葉アルバム


9.すもも
 吾が園の 李の花か 庭に散る
 はだれのいまだ 残りたるかも (巻19-4140)大伴家持 →詳細は万葉アルバム

万葉歌碑マップ探訪:橿原市 藤原古京 万葉歌碑群

2011年12月01日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(藤原京地図:クリックすると拡大表示します)

 飛鳥時代に都があった藤原京跡地、大和三山に囲まれた一帯に多くの史跡が点在する。
天武天皇のあと,690年,飛鳥浄御原で持統天皇が即位する。694年,かねてより建設中だった藤原京に都を移した。
ここは畝傍山,耳成山,香具山(いわゆる大和三山)に囲まれた平野で,唐(中国の都)にならって,それまで見られない大きな都が造られた。
持統・文武・元明天皇の三代が平城京へ遷都するまで、この都はわずか16年間という短命に終わった。
万葉集では柿本人麻呂が多くの歌を詠んだ最も開花した時期でもあった。
万葉歌碑は周辺の神社や藤原京史跡などに多く建てられている。


藤原宮跡


 1.人丸神社(橿原市地黄町)
  秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる
  妹を求めむ 山道知らずも (巻2-208) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 2.大窪寺(橿原市大久保町)
  春さらば かざしにせむと 我が思ひし
  桜の花は 散りゆけるかも (巻16-3786) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 3.橿原神宮前駅(橿原市久米町)
  春過ぎて 夏来るらし 白栲の
  衣干したり 天の香具山 (巻1-28) 持統天皇 →詳細は万葉アルバム


 4.春日神社(橿原市大軽町)
  天飛ぶや 軽の社の 斎ひ槻
  幾代まであらむ 隠り妻ぞも (巻11-2656) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 5.剣池北堤(橿原市石川町)
  軽の池の 浦み行き廻る 鴨すらに
  玉藻の上に ひとり寝なくに (巻3-390) 紀皇女 →詳細は万葉アルバム


 6.畝傍山口神社鳥居前(橿原市大谷町)
  思ひあまり いたもすべなみ 玉たすき
  畝傍の山に 我れ標結ひつ (巻7-1335) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 7.醍醐池東堤(橿原市醍醐町)
  春過ぎて 夏来るらし 白栲の
  衣干したり 天の香具山 (巻1-28) 持統天皇 →詳細は万葉アルバム


 8.鷺栖神社(橿原市四分町)
  ひさかたの 天知らしぬる 君故に
  日月も知らず 恋ひわたるかも (巻2-200) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 9.別所池西南堤(橿原市別所町)
  藤原の 古りにし里の 秋萩は
  咲きて散りにき 君待ちかねて (巻10-2289) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


10.畝傍都多本神社(橿原市木之本町)
  哭沢の 神社に御瓶据ゑ 祈れども
  我が大君は 高日知らしぬ (巻2-202) 檜隈王女 →詳細は万葉アルバム


11.天香具山神社(橿原市南浦町)
  ひさかたの 天の香具山 この夕
  霞たなびく 春立つらしも (巻10-1812) 柿本人麻呂歌集 →詳細は万葉アルバム
  春過ぎて 夏来るらし 白栲の
  衣干したり 天の香具山 (巻1-28) 持統天皇 →詳細は万葉アルバム


12.天香具山西麓(橿原市南浦町)
  大和には 群山あれど とりよろふ
  天の香具山 登り立ち・・・ (巻1-2) 舒明天皇 →詳細は万葉アルバム


13.橿原万葉の森(橿原市南浦町) →詳細は万葉の森万葉歌碑群
  水伝ふ 礒の浦廻の 岩つつじ
  茂く咲く道を またも見むかも (巻2-185)草壁皇子の舎人
  高円の 野辺の秋萩 いたづらに
  咲きか散るらむ 見る人なしに (巻2-231)笠金村
  紅は うつろふものぞ 橡の 
  なれにし衣に なほしかめやも (巻18-4109)大伴家持
  我が園に 梅の花散る ひさかたの
  天より雪の 流れ来るかも (巻5-822)大伴旅人
  ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる
  清き川原に 千鳥しば鳴く (巻6-925)山部赤人
  ほととぎす 鳴く声聞くや 卯の花の
  咲き散る岡に 葛引く娘子 (巻10-1942)作者未詳
  妹が見し 楝の花は 散りぬべし
  我が泣く涙 いまだ干なくに (巻5-798)山上憶良
  いにしへに ありけむ人も 我がごとか
  三輪の桧原に かざし折りけむ (巻7-1118)柿本人麻呂歌集
  吾が園の 李の花か 庭に散る
  はだれのいまだ 残りたるかも (巻19-4140)大伴家持


14.古池(橿原市南浦町)
  草枕 旅の宿りに 誰が夫か
  国忘れたる 家待たまくに (巻3-426) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


15.本薬師寺(橿原市城殿町)
  忘れ草 我が紐に付く 香具山の
  古りにし里を 忘れむがため (巻3-334) 大伴旅人 →詳細は万葉アルバム
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<未訪問歌碑>

16.磐余神社(橿原市中曽司町)
  ま菅よし 宗我の川原に 鳴く千鳥
  間なし我が背子 我が恋ふらくは (巻12-3087) 作者未詳


17.河俣神社(橿原市雲梯町)
  思はぬを 思ふと言はば 真鳥住む
  雲梯の杜の 神し知らさむ (巻12-3100) 作者未詳


18.今井まちなみ交流センター華甍(橿原市今井町)
  明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
  流るる水も のどにかあらまし (巻2-197) 柿本人麻呂


19.沼山古墳(橿原市白橿町)
  香具山は 畝傍を愛しと 耳成と
  相争ひき 神代より・・・
  香具山と 耳成山と 闘ひし時 
  立ちて見に来し 印南国原 (巻1-13・14) 天智天皇


20.牟佐坐神社石段下左(橿原市見瀬町)
  ・・・我妹子が やまず出で見し 軽の市に
  我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に (巻2-207) 柿本人麻呂


21.竹田神社(橿原市東竹田町)
  うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の
  間なく時なし 我が恋ふらくは (巻4-760) 大伴坂上郎女


22.竹田の原橋欄干(橿原市東竹田町)
  うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の
  間なく時なし 我が恋ふらくは (巻4-760) 大伴坂上郎女


23.春日神社(橿原市常磐町)
  玉桙の 道は遠けど はしきやし
  妹を相見に 出でてぞ我が来し (巻9-1619) 大伴家持


24.耳成公園木原池(橿原市木原町)
  耳成の 池し恨めし 我妹子が
  来つつ潜かば 水は涸れなむ (巻16-3788) 作者未詳


25.御厨子観音(橿原市妙法寺町)
  百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を
  今日のみ見てや 雲隠りなむ (巻3-416) 大津皇子


万葉歌碑マップ探訪:群馬 伊香保温泉 万葉歌碑群

2011年08月11日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(伊香保温泉とその周辺マップ:クリックすると拡大表示します)

 伊香保温泉とその周辺(水沢観音・長峰公園・森林公園)に万葉歌碑が11基建てられており、伊香保温泉の6基は散策しながら訪ねられるが、周辺部の5基は車利用でないと訪ねられないところだった。
(→2011/8/5-6伊香保路の旅参照

伊香保の名は、現在は伊香保町の町名としてのみ残っているが、万葉の頃は現在の榛名山一帯を指していたようである。

万葉集第十四巻の東歌の中には伊香保を歌った歌が9首あり、伊香保には9首全部の歌碑がたてられている。3~11の歌碑で全て地元書道家・佐々木心華氏の訓読の揮毫によるもので、これらの歌碑には碑文と現代語訳の案内板が添えられている。
この他に1~2は黒澤春来の原文の揮毫である。


1.水沢観音 駐車場
  伊香保ろの 八尺(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
  顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば 巻14-3414 作者未詳
  →万葉アルバムへ


2.水沢観音 植物園
  伊香保ろの 八尺(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
  顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば 巻14-3414 作者未詳
  →万葉アルバムへ


3.水沢観音 境内
  伊香保嶺(ね)に 雷(かみ)な鳴りそね 吾が上(へ)には
  故はなけども 子らによりてそ 巻14-3421 作者未詳
  →万葉アルバムへ


4.伊香保温泉 峠三叉路
  伊香保せよ 奈可中次下 思ひどろ
  くまこそしつと 忘れせなふも 巻14-3419 作者未詳
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5.伊香保温泉 湯元飲泉所横
  上毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱(こなぎ)
  かく恋ひむとや 種求めけむ 巻14-3415 作者未詳
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6.伊香保温泉 石段街下(旧ハワイ公使別邸隣)
  伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありと言へど
  吾が恋のみし 時なかりけり 巻14-3422 作者未詳
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7.伊香保温泉 ロープウェイ見晴駅 展望台
  伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく
  人とおたはふ いざ寝しめとら 巻14-3409 作者未詳
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8.伊香保温泉 ロープウェイ不如帰駅前 文学の小径
  伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) 吾が衣(きぬ)に
  着きよらしもよ ひたへと思へば 巻14-3435 作者未詳
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9.伊香保温泉 伊香保神社境内
  伊香保ろの 八尺(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
  顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば 巻14-3414 作者未詳
  →万葉アルバムへ


10.長峰公園
  上毛野 伊香保の嶺(ね)ろに 降ろ雪(よき)の
  行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり 巻14-3423 作者未詳
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11.森林公園管理棟前
  伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) ねもころに
  将来(おく)をなかねそ 現在(まさか)し良かば 巻14-3410 作者未詳
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万葉歌碑マップ探訪:奈良 山辺の道(桜井編) 万葉歌碑群

2011年03月21日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(山辺の道(桜井編)地図:クリックすると拡大表示します)

 天理から続く山辺の道。桜井市に入ると巻向山・三輪山の山裾の道が続く。
大神神社に至るまで今回再訪した。(2010/12/23)
桜井市の金屋・初瀬方面の万葉故地は別のグループとし、将来訪問したいと考えている。


1.穴師 景行陵南
  味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の
  山の際に い隠るまで・・・
  三輪山を しかも隠すか 雲だにも
  心あらなも 隠さふべしや 巻1-17・18 額田王
  →万葉アルバムへ


2.穴師 兵主神社・相撲神社
  巻向の 檜原もいまだ 雲居ねば
  小松が末ゆ 沫雪流る 巻10-2314 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


3.穴師 穴師坐兵主神社
  天雲に 近く光りて 鳴る神の
  見れば畏し 見ねば悲しも 巻7-1369 作者未詳
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4.穴師 堀井氏東側植込み
  ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の
  川音高しも あらしかも疾き 巻7-1101 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


5.穴師 兵主神社南
  みもろの その山なみに 子らが手を
  巻向山は 継ぎしよろしも 巻7-1093 柿本人麻呂
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6.箸中車谷 穴師川沿い
  巻向の 山辺響みて 行く水の
  水沫のごとし 世の人我れは 巻7-1269 柿本人麻呂
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7.茅原 穴師川近く
  三輪山の 山辺真麻木綿 短木綿
  かくのみからに 長くと思ひき 巻2-157 高市皇子
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8.茅原 桧原神社近く
  いにしへの 人の植ゑけむ 杉が枝に
  霞たなびく 春は来ぬらし 巻10-1814 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


9.茅原 井寺池近く
  いにしへに ありけむ人も 我がごとか
  三輪の檜原に かざし折りけむ 巻7-1118 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


10.茅原 井寺池中央堤
  香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき
  神代より かくにあるらし いにしへも
  しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき 巻1-13 天智天皇
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11.茅原 井寺池北岸
  みもろは 人の守る山 本辺は
  馬酔木花咲き 末辺は 椿花咲く
  うらぐはし 山ぞ 泣く子守る山 巻13-3222 作者未詳
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12.茅原 玄賓庵近く
  山吹の 立ちよそひたる 山清水
  汲みに行かめど 道の知らなく 巻2-158 高市皇子
  →万葉アルバムへ


13.三輪 大神神社
  味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の
  山の際に い隠るまで・・・
  三輪山を しかも隠すか 雲だにも
  心あらなも 隠さふべしや 巻1-17・18 額田王
  →万葉アルバムへ

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<今回未訪問歌碑>


14.箸中車谷 堀井氏宅前庭
  あしひきの 山かも高き 巻向の
  崖の小松に み雪降りくる 巻10-2313 柿本人麻呂


15.箸中車谷 堀井氏宅前畑地
  あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
  弓月が岳に 雲立ちわたる 巻7-1088 柿本人麻呂


16.箸中車谷 穴師川沿い
  穴師川 川波立ちぬ 巻向の
  弓月が岳に 雲居立てるらし 巻7-1087 柿本人麻呂


17.茅原 井寺池北・桧原台地
  鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の
  檜原の山を 今日見つるかも 巻7-1092 柿本人麻呂


18.三輪 大神神社宝物殿の右側
  味酒 三輪の社の 山照らす
  秋の黄葉の 散らまく惜しも 巻8-1517 長屋王


19.三輪 平等寺
  我が衣 色どり染めむ 味酒
  三室の山は 黄葉しにけり 巻7-1094 柿本人麻呂



万葉歌碑マップ探訪:奈良 山辺の道(天理編) 万葉歌碑群

2011年01月06日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(山辺の道(天理編)地図:クリックすると拡大表示します)

 山辺の道は、奈良から三輪へと通じる上古の道である。古代の上ツ道のさらに東にあって、三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が山辺の道である。
なかでも古代の面影をよく残し、万葉歌の息づかいを伝えているのが、天理市から桜井市までの約11km。
 今回、天理駅からスタートし桜井駅に至る山辺の道を訪ねてきた。(2010/12/23)
 後日、天理市内の山辺の道周辺の歌碑を訪ねた。8~11(2012/5/27)
天理編と桜井編に分けて紹介しよう。

 山辺の道の天理地域は大国見山から竜王山の山裾を縫って続いている。


1.川原城町 天理駅前
  石上 布留の高橋 高々に
  妹が待つらむ 夜ぞ更けにける 巻12-2997 作者不詳
  →万葉アルバムへ


2.川原城町 天理市役所
  我妹子や 我を忘らすな 石上
  袖布留川の 絶えむと思へや 巻12-3013 作者不詳
  →万葉アルバムへ


3.杣之内町 石上神宮外苑公園
  石上 布留の神杉 神びにし
  我れやさらさら 恋にあひにける 巻10-1927 作者不詳
  →万葉アルバムへ


4.布留 石上神宮
  未通女らが 袖布留山の 瑞垣の
  久しき時ゆ 思ひき我れは 巻4-501 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


5.萱生町 萱生(かよう)集落北入り口近く
  あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
  弓月が岳に 雲立ちわたる 巻7-1088 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


6.中山町 長岳寺北 衾道(ふすまじ)
  衾ぢを 引手の山に 妹を置きて
  山道を行けば 生けりともなし 巻2-212 柿本人麻呂
  →万葉アルバムへ


7.柳本町 崇神天皇陵近く
  玉かぎる 夕さり来れば さつ人の
  弓月が岳に 霞たなびく 巻10-1816 柿本人麻呂歌集
  →万葉アルバムへ


8.杉本町 前栽公民館
  石上 布留の早稲田を 秀でずとも
  縄だに延へよ 守りつつ居らむ 巻7-1353 作者不詳
  →万葉アルバムへ


9.長柄町 長柄運動公園
  飛ぶ鳥 明日香の里を 置きて去なば
  君があたりは 見えずかもあらむ 巻1-78 元明天皇
  →万葉アルバムへ


10.西井戸堂町 山辺御県坐神社
  飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば
  君があたりは 見えずかもあらむ 巻1-78 元明天皇
  →万葉アルバムへ


11.櫟本町 和爾下神社
  さし鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津の
  檜橋より来む 狐に浴むさむ 巻16-3824 長忌寸意吉麻呂
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万葉歌碑マップ探訪:名古屋 東山動植物園 万葉の散歩道

2010年12月30日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(万葉の散歩道マップ:クリックすると拡大表示します)

 名古屋から地下鉄東山線で18分、東山動植物園がある。
正面から入ると動物園があり、スカイタワーを眺めながら1km程歩くと、やっと植物園に出る。さらに進んだところに合掌造りの家が見えてきた。このあたりから「万葉の散歩道」が始まる。小さな池のほとりをいくつか過ぎ、小高い丘の斜面を登りもと来た方角に下っていく。およそ1kmの道のりに万葉植物や薬草に関する万葉の歌碑と立て札が点在している。万葉歌は市民からの公募により100首程選ばれたという。歌碑や立て札のそばにその植物が植えられている。花の季節には見ごたえがあるだろうが、初冬の今の時期では花々は見られず、草木も枯れて見当たらないものもあった。しかし手入れも行き届いており、花の季節の雰囲気は十分感じられる散策路であった。

 万葉歌碑14基のうち11基を確認できたが、残り3基は確認できなかった。


「万葉の散歩道」の碑


1.ささ杉
  味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)がいはふ杉
  手触れし罪か君に逢ひかたき   巻4-712 丹波大女娘子
  →万葉アルバムへ


2.あじさい
  あじさいの八重咲くごとく八つ代にを
  いませ我が背子見つつ偲はむ   巻20-4448 橘諸兄
  →万葉アルバムへ


3.たけ
  我がやどのい笹群竹(むらたけ)吹く風の
  音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも   巻19-4291 大伴家持
  →万葉アルバムへ


4.さきくさ
  春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば
  後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)   巻10-1895 柿本人麻呂歌集
  →万葉アルバムへ


5.うめ
  我が園に梅の花散るひさかたの
  天(あめ)より雪の流れ来るかも   巻5-822 大伴旅人
  →万葉アルバムへ


6.さくら
  あしひきの山の間照らす桜花
  この春雨に散りゆかむかも   巻10-1864 柿本人麻呂歌集
  →万葉アルバムへ


7.思い草
  道の辺(へ)の尾花が下の思ひ草
  今さらさらに何をか思はむ   巻10-2270 作者不詳
  →万葉アルバムへ


8.あふち
  妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし
  我が泣く涙いまだ千(ひ)なくに   巻5-798 山上憶良
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9.秋の七草
  秋の野に咲きたる花を指(および)折り
  かき数(かぞ)ふれば七種(ななくさ)の花   巻8-1537 山上憶良
  萩の花尾花葛花なでしこの花
  をみなへしまた藤袴朝顔の花   巻8-1538 山上憶良
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10.ふぢ
  藤波の花は盛りになりにけり
  奈良の都を思ほすや君   巻3-330 大伴四綱
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11.つつじ
  水伝ふ磯の浦廻(うらみ)の岩つつじ
  茂(も)く咲く道をまたも見むかも   巻2-185 作者不詳
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<今回未確認歌碑>

12.ハンノキ
  引馬野ににほふ榛原入り乱れ
  衣にほはせ旅のしるしに   巻1-57 長奥麻呂


13.岩つな
  石つなの またをちかへり あをによし
  奈良の都を またも見むかも   巻6-1046 作者不詳


14.はぎ
  高円の 野辺の秋萩 いたづらに
  咲きか散るたむ 見る人なしに   巻2-231 笠金村


万葉歌碑マップ探訪:茨城県つくばテクノパーク大穂 歌碑群

2009年12月05日 | 万葉歌碑マップ 探訪

  (つくばテクノパーク大穂 歌碑配置図:図をクリックすると拡大します)

 「つくばテクノパーク大穂」(つくば市大久保)には、万葉集20基、、風土記の歌2基、古今和歌集3基、他に2基の、計27基の歌碑があるといわれている。
 今回、万葉集2基を除いて、計25基を確認し、おおよその配置図も作成した。
 「つくばテクノパーク大穂」が、大穂という名前から、以前つくば市大穂に行って見たが探しても見つけられず、今回隣のつくば市大久保にこのテクノパークを探し当てた。広い工業団地の中に歌碑が点在しており、歌碑マップなどの案内図もなく、歌碑を探し出すのは大変だった。しかし、その分見つけ出す楽しさを見出し童心に返ったような高揚感を味わうことができた。万葉の筑波にちなんだ歌碑ばかりだが、誰が何のためにこれだけの歌碑を建てたのかは、わからずじまいであった。
 「つくばテクノパーク大穂」探訪のアウトラインは私の別ブログで。


「つくばテクノパーク大穂」入り口


パーク内の景観


<1>                     <2>                   <3>
<1>筑波嶺の嶺より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる 後撰集(陽成院)
<2>筑波嶺を外のみ見つつありかねて 雪消の道をなづみ来るかも 巻3-383 →万葉アルバムへ
<3>筑波嶺の新桑繭の衣はあれど 君が御衣しあやに着欲しも 巻14-3350 →万葉アルバムへ


<4>                     <5>                   <6>
<4>小筑波の嶺ろに月立し間夜は さはだなりぬをまた寝てむかも 巻14-3395 →万葉アルバムへ
<5>筑波嶺の裾みの田居に秋田刈る 妹がり遣らむ黄葉手折らな 巻9-1758
<6>さ衣の小筑波嶺ろの山の崎 忘ら来ばこそ汝を懸けなはめ 巻14-3394


<7>                     <8>                   <9>
<7>小筑波の茂き木の間よ立つ鳥の 目ゆか汝を見むさ寝ざらなくに 巻14-3396
<8>妹が門いや遠そきぬ筑波山 隠れぬほとに袖は振りてな 巻14-3389 →万葉アルバムへ
<9>筑波嶺の此面彼面に陰はあれど 君が御陰にます陰はなし 古今集


<10>                     <11>                   <12>
<10>筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ 母い守れども魂ぞ合ひにける 巻14-3393 →万葉アルバムへ
<11>筑波嶺の岩もとどろに落つる水 よにもたゆらに我が思はまくに 巻14-3392 →万葉アルバムへ
<12>筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山 悪しかるとがもさね見えなくに 巻14-3391


<13>                     <14>                   <15>
<13>筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか 泣きわたりなむ逢ふとはなしに 巻14-3390
<14>筑波嶺に雪かも降らる否をかも かなしき児ろが布乾さるかも 巻14-3351 →万葉アルバムへ
<15>筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに 息づく君を率寝て遣らさね 巻14-3388


<16>                     <17>                   <18>
<16>筑波嶺いほりて妻なしに 我が寝む夜ろは早やも明けぬかも 常陸風土記
<17>筑波嶺に逢はむといひし子は 誰が言聞けば神嶺遊ばけむ 常陸風土記
<18>今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に 昔の人の来けむその日も 巻9-1754


<19>                     <20>                   <21>
<19>筑波嶺に我が行けりせばほととぎす 山彦響め鳴かましやそれ 巻8-1497
<20>天の原雲なき宵にぬばたまの 夜渡る月の入らまく惜しも 巻9-1712 →万葉アルバムへ
<21>小筑波を越ゆ過ぐり来ぬ 帰り来てや誰が恋ひ過るや 小筑波を越ゆ過ぐり来ぬ 古歌謡


<22>                     <23>                   <24>
<22>筑波嶺のさ百合の花の夜床にも 愛しけ妹ぞ昼も愛しけ 巻20-4369 →万葉アルバムへ
<23>我が面の忘れもしだは筑波嶺を 振り放け見つつ妹は偲はね 巻20-4367 →万葉アルバムへ
<24>筑波嶺の峰のもみじ葉落ち積り 知るも知らぬもなべてかなしも 古今集


<25>つくばねの 木のもとごとに 立ちぞ寄る 春のみ山の かげを恋つつ 古今集

 以上が25基が今回確認した歌碑。

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以下の2基は未確認の歌碑である。


<*1>           <*2>
<*1>男神に雲立ち上りしぐれ降り 濡れ通るとも我れ帰らめや 巻9-1760
<*2>橘の下吹く風のかぐはしき 筑波の山を恋ひずあらめかも 巻20-4371