飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(明日香):大原の里

2010年09月27日 | 万葉アルバム(明日香)

大原の この市柴の いつしかと
わが思ふ妹に 今夜逢へるかも
   =巻4-513 志貴皇子=


大原の茂った雑木林の中でいつ逢えるかと思っていたが今夜やっと逢えたよ。という意味。

志貴皇子が歴史に登場するのは、679年天武天皇が皇后と6人の皇子たちを伴って吉野に行き誓いを交わした時。この6人とは、天武天皇の皇子4人(草壁、大津、高市、忍壁)と、天智天皇の皇子2人(川島、志貴)で、このとき、草壁が皇太子となったといわれているが、彼は天皇になることなく、この世を去ってしまう。志貴皇子の立場は微妙なものだったが、その警戒感からか、政治にタッチすることはほとんどなかったといわれている。大津皇子事件などから、身を守るために、目立たぬように一生を送ったが、後に彼の子の白壁王が光仁天皇として即位し、以後一貫して(現代に至るまで)その子孫が天皇となるわけだから、先見の明があったともいえそう。

 この万葉歌碑は明日香村・大原の里に建っている。

1988年7月 奈良シルクロード博

2010年09月20日 | 思い出の大和路探訪
 なら・シルクロード博覧会は、1988年4月23日から10月23日まで奈良県奈良市で開催された博覧会。入場者は682万人。
平城宮跡会場以外は奈良公園周辺の会場で行われた。
 いくつかの写真のパビリオンの名前等が今となっては不明である。


奈良シルクロード博覧会 入場ゲート


博覧会会場


登大路会場  テーマ館










海のシルクロード館  海の道の文物展示


飛火野会場  いくつかのオブジェが展示されていた












平城宮跡会場



万葉アルバム(明日香):島の宮跡

2010年09月13日 | 万葉アルバム(明日香)

島の宮 上の池なる 放ち鳥
荒びな行きそ 君いまさずとも
   =巻2-172 草壁皇子の舎人=


島の宮の、上の池に放たれた水鳥よ。荒んだままで飛んでいかないで。皇子がいらっしゃらなくとも。という意味。

 日並皇子(ひなみしのみこ・草壁皇子のこと)に仕えていた女性(舎人)の歌。草壁皇子(天武天皇の子)はすでに亡くなっており、皇子の死を悼む歌。

 石舞台の北の方向にある島庄地区にある島の宮跡。ここは草壁皇子の住居があったところといわれている。
2004年3月11日、石舞台古墳の近くから大型建物跡が発見された。
小学校跡地で、石舞台古墳から西約200メートルの飛鳥川東岸。
7世紀前期、中期、後期の掘っ建て柱建物跡が重なって出土した。
大化の改新のあと、蘇我馬子邸は天皇家に没収され、その後草壁皇子の「嶋の宮」になっており、発掘された前期の大型建物跡は蘇我馬子邸、後期の建物跡が草壁皇子の「嶋の宮」である可能性が高いという。

1988年5月 当麻寺練供養

2010年09月06日 | 思い出の大和路探訪
 毎年5月14日に行われる「当麻寺練供養(たいまでらねりくよう)」を初めて参観した。
 5月14日は、中将姫が生身成仏した命日。午後4時から、本堂(曼陀羅堂)を西方極楽浄土に見たて、東の娑婆堂をこの世に見たてて、来迎橋の上で催された。

 近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車。駅前から参道がつづく


二上山の麓に当麻寺が見える


当麻寺参道


当麻寺山門から寺内を望む


当麻寺の東塔と西塔


娑婆堂(写真手前にある)から曼荼羅堂に続く来迎橋
来迎橋は今日の練供養のために設置される


練供養の始まり、曼荼羅堂を出発


僧侶に導かれ中将姫が娑婆堂に向かう


僧侶と稚児


中将姫像を乗せた輿


曼陀羅堂に向かう僧侶達


檀家の人々や、稚児さんの行列






曼荼羅堂で法要が行なわれ、いよいよ、来迎会のはじまりとなる
今日の主役、観世音菩薩が蓮台をもち中将姫をお迎えに行く


観世音菩薩の蓮台の上にはまだ中将姫がのっていない
そのうしろは合掌をして後に続く大勢至菩薩
最後に天蓋をもつ普賢菩薩が娑婆堂に進む


娑婆堂に向かう


娑婆堂での法要のあと、
娑婆堂から曼陀羅堂へ・・西方浄土への渡りになる




蓮台に中将姫を乗せた観世音菩薩が先頭に立ち、曼陀羅堂(西方浄土)に向かう






曼陀羅堂に向かう菩薩達


曼荼羅堂に入る


稚児たちの行列がつづく




中将姫像をのせた輿が曼荼羅堂にもどる
中将姫が西方極楽浄土へ旅立たれた、という練供養が終わる