飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(関東):茨城県、竜ヶ崎市 行部内公園 朝ごとに・・・

2012年11月30日 | 万葉アルバム(関東)

朝ごとに 我が見るやどの なでしこの
花にも君は ありこせぬかも
   =巻8-1616 笠郎女=


 毎朝見る私の家のなでしこの花みたいに、あなたがこの花であってくれたらいいのに。
 すなわち、あなたが逢ってくれたらいいのに。という意味。

「ありこせ」=有りこせ。そうあってほしい。「こせ」は「こす」の未然形で・・してほしいの意。
「ぬかも」=・・してくれないかなあ。

笠郎女が大伴家持へ贈った歌で、男を愛する女の気持が素直に表れていて、すばらしい歌といえる。
笠郎女は一説には笠金村の娘。大伴家持とかかわりのあった十余人の女性のひとりで、同時代では大伴坂上郎女とならび称される女性歌人である。

 この万葉歌碑は、茨城県竜ヶ崎市の行部内公園(龍ヶ崎市久保台1丁目17)
民家が並ぶわきに、公園につづく遊歩道が整備され、所々に3基の万葉歌碑が置かれている。
この歌碑は遊歩道の入口付近、「かっぱの像」のそばに建っている。


遊歩道の入口右手につづく、童謡の小路


童謡「とんぼのめがね」の碑
他に、「うみ」・「たなばたさま」・「背くらべ」の碑と、全部で4基あった。






万葉アルバム(中部):長野県、千曲市戸倉 戸倉支所前歩道 春霞・・・

2012年11月26日 | 万葉アルバム(中部)

春霞(はるかすみ) 流るるなへに 青柳(あをやぎ)の
枝くひ持ちて うぐひす鳴くも
   =巻10-1821 作者未詳=


 春霞が流れるようにたなびく季節には、青柳の枝をくわえてうぐいすが鳴くなあ。 という意味。

「なへに」=同時に、につれての意。「くひ持ちて」=くわえての意。

 一瞬の情景を客観的に描写した歌で、現在にも通じる感性である。
古代から鳳凰や鶴などのめでたい鳥が、花枝や松の枝などをくわえた姿を「花喰鳥」と呼び、いろいろな装飾に描かれている。鶯を見て花喰鳥を連想したのには、作者は何かおめでたいことがあったのかもしれない。


 この万葉歌碑は千曲市戸倉の千曲市役所戸倉支所前の歩道に全部で4基置かれているうちのひとつ。

万葉アルバム(関東):栃木県、下野市 天平の丘公園 紫草塚

2012年11月22日 | 万葉アルバム(関東)

東の 野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ
   =巻1-48 柿本人麻呂=


 東の野の果てに曙光がさしそめて、振り返ると西の空には低く下弦の月が見えている。という意味。

柿本朝臣人麿の長歌につけられた人麿自身作による四首の反歌のうちのひとつで、人麿の歌としてはもっとも有名なもののひとつ。
炎(かぎろひ)とは輝く光のこと、つまり朝陽によって真っ赤に染まった空のこと。東の野原を見れば空を真っ赤に染めていままさに朝陽が昇ろうとしている。振り返って西の空を見ればまだ月が沈まずに残っている。
この自然の輪廻に譬えて、いままさに沈もうとしている月を亡くなった父の草壁皇子、のぼる朝陽に軽皇子とした、なんとも壮大な一首なのである。


紫草塚
 この万葉歌碑は下野市天平の丘公園の入口に近く、薄墨街道沿いの紫草塚に建っている。

 天平の丘公園は、美しい自然林と貴重な史跡が調和された面積11ヘクタールの公園。木立の中を小川が流れ、園内には造成中に発見された古銭をまつる銭石や万葉植物、万葉集の歌碑などがある。
隣接する下野国分寺跡・国分尼寺跡も公園として整備されており、古代下野国の風情を偲ばせるところだ。
花の広場には日本各地の桜の銘木や約450本の八重桜が植えられており、4月中旬から4月下旬にかけて開催される天平の花まつりは多くの花見客で賑わうようだ。


万葉アルバム(関東):埼玉県、川越市 富士浅間神社

2012年11月19日 | 万葉アルバム(関東)

武蔵野に 占(うら)へ肩灼き まさてにも
告(の)らぬ君が名 占(うら)に出にけり
   =巻14-3374 作者未詳=


 武蔵野で、鹿の肩骨を焼いて占いをしたら、誰にも言ったことがないあなた(男性)の名前が、占いに出てしまいました。…という女性の歌。

古くこの地に住んだ上代の東国人は武蔵野に棲息していた鹿の群れを狩りしては食料のひとつとしていた。また慣習としてその鹿の肩骨を焼いて、さまざまの卜占に用いていた。すなわち焼いた骨の裏面にできるいろいろな割れ目の形により、占いをおこなっていたのであり、これが世に鹿ト(かぼく)と称しているものである。
 そして、このことから万葉集に占肩灼(うらえかたやき)の歌が遺っている。
この地域では、かつて多くの古墳が作られ、仙波古墳群が形成されていたが、大正13年の東上線工事の際に多くの古墳が破壊されてしまったが、かつて、仙波古墳群の中に、「シシミ塚(シロシ塚)」があった事から、この地域が歌の舞台とされており、建碑の場所は便宜上この神社の前を選んだとされている。


 この万葉歌碑は川越市富士見町の富士浅間神社に建っている。東上線と川越線に川越街道(254号)が交差するあたり、東方に小高い丘がある。古墳である。頂上に浅間神社をまつり母塚と呼ばれる円墳がある。
万葉歌碑は浅間神社古墳に上る石段の左傍に万葉遺跡占肩(うらかた)の鹿見塚(ししみつか)の碑が建てられている。

 <クリックで拡大>
2メートルほどの仙台石に、「埼玉県指定史蹟、万葉遺蹟、占肩之鹿見塚」と大書刻字されている。元知事、大沢雄一の筆による。
 建碑の由来を碑陰に記している。
――前略――往古東国の人々が、武蔵野に棲んでいた多くの鹿を狩して、その肩骨を焼いて吉凶を占う風習があった。この故事から情緒深い占肩の歌が遺され、地名をシシミ塚と称していた。然るにいつしかシロミと転訛して城見塚と書改められたこともあったが、今もシシミ塚として一町七畝余もある。また新編武蔵風土記にも遺跡としてその小名が地籍に記されている。この地には上代の古墳が遺存し、父塚、母塚と呼ばれ、母塚の丘陵上には、富士浅間神社を祀り――後略――
柴田常恵、小川元吉、岸伝平三氏の調査によって、昭和二十一年に県指定史蹟となったとある。

万葉アルバム~花、ねこやなぎ

2012年11月15日 | 万葉アルバム(自然編)

浅緑 染め懸けたりと 見るまでに
春の柳は 萌えにけるかも  
   =巻10-1847 作者未詳=


 浅緑に布を染め上げて枝に懸けたと見間違えるほどに春の柳は萌え出ていることですよ。という意味。

「染め懸け」は「布を染めて、かけて干す」の意。
芽吹いたばかりの薄い黄緑色の柳がしなやかに揺れている様子を素直に詠んだ歌。
ネコヤナギの花穂の毛は春の日差しを浴びると、薄緑に染めた糸でできたように輝いてみえることから、
私はこの歌はネコヤナギを詠ったのではないかと思う。
万葉集には「かわやなぎ」を詠った歌が2首あり、これが今日のネコヤナギではないかとも言われている。

ネコヤナギは北海道から九州に分布する落葉の低木。山間渓流や中流の流れが急な場所などに生育する。雌雄異株であり、春に葉の展開に先立って花序を出す。若い雄花序は葯(やく)が紅色なので、全体が紅色に見えるがやがて葯が黒色になって長くなる。雌花序は絹毛が目立つのでふさふさとした感触であり、これをネコの尻尾にみたてて、ネコヤナギの和名が付いた。渓流の春を知らせる植物である。

この万葉歌碑は千葉県袖ケ浦市の袖ヶ浦公園内の万葉公園に建っている。

万葉アルバム(関東):栃木県、下野市 天平の丘公園 防人街道

2012年11月12日 | 万葉アルバム(関東)

松の木の 並みたる見れば 家人(いはびと)の
我れを見送ると 立たりしもころ
   =巻20-4375 防人の歌=


 松の木が、並んでいるのを見ると、家族らが、私を見送るために、立ち並んでいた光景とそっくりだ。という意味。

物部真嶋という下野の防人が詠んだという。遠く九州に防人として行くのは当時は死出の旅であったようだ。「私の帰りを待っていてくれる!」、この歌にはそんな切々たる思いが込められているように思う。

この万葉歌碑は、栃木県下野市の天平の丘公園にある。


公園内の万葉植物園付近に明日香川と名付けた水辺がある。その一角にこの万葉歌碑が建っており、そのそばに防人街道と名付けた遊歩道が公園内に続いている。
歌碑は万葉学者犬養孝さんの筆によるもの。

万葉植物園と周辺の樹木の中に「伝・紫式部の墓」なる五輪塔もあり、明日香川・防人街道など一帯は散策コースとなっている。


万葉植物園


伝・紫式部の墓

万葉アルバム(関東):東京都、調布市 第8消防区分団火見櫓

2012年11月08日 | 万葉アルバム(関東)

多摩川に 曝(さら)す手作(てづくり) さらさらに
何(なに)そこの児の ここだ愛(かな)しき
   =巻14-3373 作者未詳=

赤駒を 山野(やまぬ)に放(はが)し 捕(と)りかにて
多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ
   =巻20-4417 作者未詳=


(巻14-3373)
 多摩川にさらさらと曝す(さらす)手作り(調布)のように、更に更にどうしてこの娘達はこんなに可愛いのだろう。
(巻20-4417)
 山野に放牧していた赤駒が逃げてしまい捕らえられないため、夫に多摩の横山を徒歩で行かせることになるのだろうか。

(巻14-3373)の詳細は、→万葉アルバム
(巻20-4417)の詳細は、→万葉アルバム

 調布市多摩川5丁目、多摩川に架かる京王線鉄橋そばに第8消防区分団火見櫓がある。
この土地の一角が児童公園にもなっていて、ここに万葉歌碑が建っており、多摩川と多摩にちなむ二首が刻まれている。

歌碑説明版の内容を要約すると、
”調布市は武蔵野台地の南縁部に位置しており、武蔵野段丘と立川段丘からなる雛壇上の地形は、調布市の歴史の有様に常に大きくかかわっております。そして、目の前を流れる多摩川は、まさに調布の文化を生んだ「母なる川」と言えるでしょう。この万葉歌の二種は調布の風土を歌った代表すべき歌ではないかと思います。・・・
 平成十五年十一月十日 東京調布ロータリークラブ 贈”


多摩川に架かる京王線鉄橋、右手のビルのあたりに第8消防区分団火見櫓がある。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 住吉公園 春の苑・・・

2012年11月05日 | 万葉アルバム(中部)

春の苑(その)紅にほふ桃の花
下照る道に出で立つ少女(をとめ)
   =巻19-4139 大伴家持=


春の園は紅色に照り輝いている。その桃の花の木陰までも輝いている道に、つと立っている少女の、なんと美しいこと!、という意味。

この歌は「にほふ」が効果的で、「にほふ」は”みずみずしい盛り”を暗示している。桃の花のみずみずしさと、少女の初々しさの両方にかけている。

題詞に、天平勝宝2年3月1日の夕暮れに、春の庭の桃と李の花を眺めて作った歌とある。
少女は、前年に越中に下向してきた家持の妻・坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)を指しているようだ。それまで四年近く越中国府(現在の高岡)として単身赴任であったが、やっと正妻が来た嬉しさをすなおに読んだ歌である。

家持は越中に来てからの四年間、寂しさや辛さをバネにしたおかげで、すばらしい万葉歌を多く作った。
逆境なくしては、名歌が生れなかったという、まさに人生のお手本であろう。


住吉公園(左:住吉の里碑、中央:春の苑万葉碑、右:住吉万葉碑)

 この万葉歌碑は上山田温泉街に入る手前の住宅街の一角にある住吉公園(千曲市上山田温泉4-32)に建っている2基の歌碑のひとつ。


万葉アルバム(中部):長野県、千曲市戸倉 戸倉支所前歩道 八千種に・・・

2012年11月01日 | 万葉アルバム(中部)

八千種(やちくさ)に 草木を植ゑて 時ごとに
咲かむ花をし 見つつしのはな
   =巻20-4314 大伴家持=


 いろいろな草木を植えて、季節ごとに咲く花を愛で偲びたいものだ。 という意味。

大伴家持は内舎人(うどねり)として聖武天皇に仕え、越中守として赴任していた(746~751)が、
少納言に任ぜられ帰京後、天平勝宝6年(754年)兵部少輔になったとある。
大伴家持がその年(754)の7月28日に詠んだ歌。
この歌の作られた少し前、7月19日に聖武天皇の母である太皇太后藤原宮子が崩御している。服喪期間中の作とみられる。

いろいろな草木を愛でながら脳裏で人を偲んでいるかのような、透き通った静かな心境で詠われたのであろう。


戸倉支所前の歩道に咲く花

 この万葉歌碑は千曲市戸倉の千曲市役所戸倉支所前の歩道に全部で4基置かれているうちのひとつ。