耳成(みみなし)の 池し恨めし 我妹子(わぎもこ)が
来つつ潜(かづ)かば 水は涸(か)れなむ
巻16-3788 作者未詳=
耳無の池は何と恨めしいことだろう。私の愛しい人がやって来て身を投げたら、水が涸れてほしかったものを…。という意味。
昔、三人の男がいて、それぞれが一人の女に求婚した。その女が嘆息をついて言うには、「一人の女の命のはかなさは、露と同じで、三人の男の気持ちの和らぎ難いことは岩のようだ」と。そこで遂に池のほとりを彷徨い、女は身を投げて水中に没した。その時、男たちは深い悲しみに耐えられず、それぞれに思いを述べて作った歌三首〔娘子は名を縵児(かづらこ)といった〕、そのうちの一首がこの歌。
万葉集には、複数の男子が一人の妻を争った挙句、女性が自殺してしまうという伝説が数多く残されている。この耳成の"縵児(かづらこ)伝説"の他には、"桜児(さくらこ)伝説"、"真間(まま)の手児名(てこな)伝説"などが有名。
耳成山は、大和三山の中でも一番秀麗な姿をしていて、富士山のように円錐形をしている。その西麓の木原の地に縵児伝説の池があったとされているが、今は涸れてなくなってしまったようだ。写真の池は耳成山の南麓に近世になって新しく作られた池(古池)で、伝説上の池とは異なるが現在は公園になっており、美しい耳成山の姿を映して往時を忍ばせてくれる。
この万葉歌碑は、橿原市木原町 耳成公園の池のほとりに建つ。
耳成の歌碑はとても素敵な場所に有るのですね。もし誰もいなければ、大声でこの歌を謡い悲恋を想いたくなりそうです。
古代の女性たちは、縵児や桜児、菟原処女、真間手児名のような生き方をするかと思うと珠名娘子のような生き方や筑波の歌垣を社会が許容しています。平安期になるとそう言う観念が消えてしまうのも不思議ですね。
そもそも耳成山と香久山は、畝傍山を雄しと争ったとも伝説がありますよね。女性が男をめぐって争うと言うこともあったのでしょう?
又よらせて頂きます。
とても素敵な場所ですね。
拙句
耳成の泣き声を聞く枯れ柳