飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(明日香):橘寺東門東・飛鳥川沿い

2010年11月30日 | 万葉アルバム(明日香)

明日香川 瀬々の玉藻の うち靡(なび)き
心は妹(いも)に 寄りにけるかも
   =巻13-3267 作者未詳=


明日香川の瀬に生えている藻が流れに揺れ動くように、私の心はあなたになびいています。という意味。

瀬は、川の浅いところ(浅瀬)や川の流れが急なところを指す。

飛鳥川は竜門、高取の山塊を源流にし、石舞台の近くで多武峰からきた冬野川と合流、飛鳥の中心部から藤原京を斜めに通って、やがて大和川にそそぎ込む。
古代人にとって飛鳥川は暮らしの動脈であり、心のよりどころとなった母なる川である。
万葉集中、もっとも多く詠まれている川がこの飛鳥川。今は川幅はせまく水量も多くはないが、祝戸(いわいど)から上流は瀬音高く「水脈(みを)早み」の清流になっている。

この万葉歌碑は明日香の橘寺東門東・飛鳥川沿いに建っている。

万葉アルバム(関西):大阪吹田、垂水のさわらび

2010年11月22日 | 更新情報

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石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の
萌え出づる春に なりにけるかも
   =巻8-1418 志貴皇子=


岩の上を勢いよく流れる滝のほとりに、わらびがやわらかに芽吹いている。ああ、春になったのだなあ、という意味。

天智天皇の皇子である志貴皇子の代表作のひとつ。
自分は天皇になれずに、いつも日陰の存在だったが、
自分の子が光仁天皇になったという喜び、
その時に歌ったかどうかわからないが、じっと耐えてきた気持ちが出ている。

万葉アルバム(明日香):花祭り

2010年11月15日 | 更新情報

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立ちて思ひ 居てもぞ思ふ 紅(くれない)の
赤裳裾引き 去(い)にし姿を
   =巻11-2550 作者未詳=


立っては思い、坐っても思う、紅の赤い裳の裾を引いて去ってしまった姿を、という意味。

訪れた9月に明日香彼岸花祭りが開催されていた。
劇団員が古代衣装をつけて板蓋宮伝承地から石舞台まで時代行列。
赤い裳の裾を引いて歩く姿は、まさに歌そのままだった。
明日香の高松塚古墳で発見された壁画も、この赤い裳の女性が描かれている。

古代の明日香で、赤い裳の女性が行き来していたと想像するだけでも、楽しくなる。

この万葉歌碑は飛鳥歴史公園・高松塚前小丘に建っている。

万葉アルバム(関東):調布、布多天神社

2010年11月08日 | 更新情報



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多摩川に 曝(さら)す手作り さらさらに
何ぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき
   =巻14-3373 作者未詳=


 多摩川にさらさらと晒して仕上げる手織り布のように、さらにさらにこの娘がかわいくてたまらない、という意味。

 納める布を白く晒すため、多摩川の清流で布を洗う娘たちのことを詠んだ歌である。
 武蔵国(今の東京都ほか埼玉県、神奈川県に分属する地域)の歌。多摩川河畔では手織りの麻布を朝廷に調(税)として献上した。今も調布の地名が残る。

 調布市の布多天神社の境内に布晒しの碑と呼ばれる弘化三年(1846)の碑がある。
この碑に下記の縁起が誌してある。
 「垣武天皇の延歴十八年(799)に中国から木綿の実が渡ってきたが、布に織る術をしらなかった。そのころ多摩川の近くに住む広福長者という者が天神社にこもってお告げを受け、木綿の布を織り、多摩川の水に晒して調えた白布を朝廷に納めた。これがわが国の木綿の始めとされ、天皇はこの布を調布(てづくり)と名付け、この地を調布の里と名付けたという。後にこの布が国中に流布され、調布の神社を布多天神社と改めたという。」

 狛江市の多摩川河畔に、この万葉歌碑が建っているのは知っていたが、歌のもとになっている調布に布晒しの碑が江戸期にすでに存在していたというのを、深大寺について検索している時に初めて知った。そこで先日深大寺散策へ出掛けた際、途中にあるこの神社を訪ね碑を探し、やっとそれらしき碑を見つけて確認したのであった。

万葉アルバム(明日香):飛鳥坐神社

2010年11月01日 | 万葉アルバム(明日香)

大君は 神にしませば 赤駒の
腹這ふ田居たいを 都と成しつ
   =巻19-4260 大伴御行=


天皇は神でいらっしゃるので、栗毛の馬が腹まで浸かって耕作する田んぼでさえ都にしてしまった。という意味。

 壬申の乱(672)平定後、天武天皇が飛鳥浄御原宮を築いたことを讃えた歌だが、天武天皇の人間業とは思えない力を持っていることを賛美している。
日本の国名を従来の「倭」から「日本」に改め、新しい王朝が出来たことを宣言、また「天皇」という称号を採用し、日本と中国が対等で従属国にはならないことを宣言した。天武天皇により日本に初めて統一国家が誕生したといえる。

 飛鳥浄御原宮の近くにある飛鳥坐神社横にこの歌碑が立っている。歌碑は犬養孝先生の揮毫である。

 飛鳥坐神社は甘樫の丘の東方、飛鳥の集落の突き当たり、こんもりとした鳥形山と呼ばれる丘に鎮座している。祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)・高皇産霊命(たかみむすびのみこと)・飛鳥三日比売命(あすかみかひめのみこと)・大物主命(おおものぬしのみこと)の四座。境内に並ぶ陽石(男性の性器の形をした石)の数々はお参りして子宝に恵まれた人が奉納したものといわれ、現在も厚く信仰されている。
また、毎年2月に豊作と子孫繁栄を願う伝統の奇祭「おんだ祭り」が行われる。