飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム 樹木、かしわ

2011年11月28日 | 万葉アルバム(自然編)

印南野(いなみの)の 赤ら柏は 時あれど
君を吾が思ふ ときは実(さね)なし                
    =巻20-4301 安宿王=


印南野の赤ら柏が色ずくのは時期が決まっているが、私が君を思うことは時の区別など全くありません、という意味。

印南野は現在の兵庫県加古川市、加古郡、明石市一体を指す。「赤ら柏」は、ぶな科の落葉高木の柏の葉を乾燥して赤褐色になったもの。古くはこれに果物や雑肴を盛り、また飯を包むのにも用いたという。

この歌は天皇に対する忠誠心を歌ったものである。
天平勝宝六年正月七日(754)、天皇(孝謙)・太上天皇(聖武)・皇太后(光明)が、東の常の宮の南大殿にお出ましになって宴を催された時、播磨国の守の安宿王(あすかべのおおきみ)が詠んだ歌。「君」は孝謙天皇をさし(安宿王は天皇のいとこ)、『萬葉集釈注』によれば、「安宿王が、その領内から献上する特産品にこと寄せて、忠節の心の変わらないことを奏上したもの」とある。

カシワは、日本各地の山野に自生し,居住地でも栽培される高木。葉の大きさは10~25cmで,昔の人はこの葉のうえに食べ物をのせていたことから炊葉(カシワ)という。

万葉集に「柏」の歌は3首あり。


万葉アルバム(奈良):橿原市、醍醐池東堤 こうぞ

2011年11月24日 | 万葉アルバム(奈良)

春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の
衣干したり 天の香具山
   =巻1-28 持統天皇=


 春が過ぎて、もう夏がやって来たらしい。聖なる香具山の辺りには真っ白な衣がいっぱい乾してある。という意味。

 持統天皇は、694年に都を藤原京に遷した。新都を囲む大和三山のうちで、最も神聖だとされたのが香具山である。「天の」は、香具山が天から降ったという古伝説に基づいて、香具山に冠される語。その香具山に真っ白な衣が乾かされている。その光景に、天皇は夏の季節の到来を感じ力強くさわやかに歌った。

 白栲(しろたえ)は、楮(コウゾ)類の皮を剥いで、表皮を落とし白皮を灰汁で煮て川で晒し、さらにしごいて澱粉質を搾り出し、石に叩きつける。すると極細の繊維に別れ、これによりをかけて糸にする。その糸で織ったものが白栲だそうだ。


 コウゾはクワ科コウゾ属、各地の山地に自生し、高さ2~5㍍になる。
また、和紙製造のための品種が各地で栽培されている。樹皮の繊維から和紙をつくる。


この万葉歌碑は藤原京旧跡である大極殿跡の北に隣接した醍醐池東堤に建っている。持統天は大極殿あたりから香具山を眺めて歌ったのであろう。

万葉アルバム(関東):茨城、筑波山神社 衣手常陸の国

2011年11月21日 | 万葉アルバム(関東)

衣手(ころもで) 常陸の国の 二(ふた)並ぶ 筑波の山を
見まく欲(ほ)り 君来ませりと 暑けくに 汗かきなけ
木の根取り うそぶき登り 峰(を)の上を 君に見すれば
男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて
時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺を さやに照らして
いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば
嬉しみと 紐の緒(を)解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ
うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ 
   =巻9-1753 高橋虫麻呂=

今日の日に いかにかしかむ 筑波嶺に
昔の人の 来けむその日も
   =巻9-1754 高橋虫麻呂=


(長歌)常陸の国の、二つの峰が並んでいる筑波の山を、見たいと思ってあなたがやって来たので、暑い日なので汗をかきながら嘆き、木の根に取り付きながら息が上がり、頂上をあなたにお見せすると、男神もお許しになり、女神もお恵みになられて、
いつも雲がかかり雨が降っている、筑波の山をはっきり照らして、知りたいと思っていた、国の優れた所を、こまごまとお示し下されたので、嬉しくて、衣の紐を解き、家にいるようにくつろいで遊んだ。(うちなびく)春ご覧になるよりは、夏草が茂ってはいるけれど、今日の楽しさが一番だ。

(反歌)今日の日の楽しさに、どうして及ぶことがあろうか?筑波の山に昔の人が登ったであろうその日よりも。

検(けん)税使(せいし)大伴の卿(まへつきみ)、筑波山に登れる時の歌一首并びに短歌で、高橋虫麻呂の作といわれている。

この歌碑は、筑波山神社に並ぶ4基の万葉歌碑の中の左端の歌碑である。
明治10年の建立という古色を帯びた歌碑で、万葉仮名で刻んだ文字の判読が難しく、注意しないと見過ごしてしまいそうな歌碑である。菅原道真の筆跡から文字を拾って刻んだとされている。


万葉アルバム 樹木、くわ

2011年11月17日 | 万葉アルバム(自然編)

筑波嶺の 新桑(にひぐは)繭(まよ)の 衣(きぬ)はあれど
君が御衣(みけし)し あやに着欲しも                
    =巻14-3350 東歌=


筑波嶺一帯の、新桑を食べさせて育てた繭の着物は、それはそれで素晴らしいけれど、やっぱりあなたのお召し物が無性に着たい。という意味。

桑の新芽をつみながら、いとしい人を想って歌った娘さんの恋の歌という見方もあるが、実際はそうではなく、新しい着物がどんなによくても、あなたの着物と交換したい、すなわち身を任せて共寝をしたいという恋の歌なのだ。
古代の人々は、親しい男女間で別れの際に下着を交換するという習慣があったようだ。

筑波嶺(つくはね)」は筑波山。「新桑(にひぐは)」は、桑(くは)の新芽のこと。新桑(にひぐは)で育てた蚕で作られた絹の衣は高級品だった。繭(まよ)は、蚕(かいこ)のまゆのこと。

クワ(桑)はクワ科クワ属の総称。カイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用され、成熟した果実はそのままでも甘酸っぱくて美味。果実酒やジャムにも利用されている。

万葉集に「くわ」の歌は2首あり。

この万葉歌碑は筑波のテクノパーク大穂に建っている。


万葉アルバム(奈良):奈良、正暦寺

2011年11月14日 | 万葉アルバム(奈良)

經(たて)もなく 緯(ぬき)も定めず をとめらが
織れる黄葉(もみじ)に 霜な降りそね
   =巻8-1512 大津皇子=


どれを縦糸どれが横糸ということもなく少女が織り上げたような、この美しいもみじを枯らせる霜よ、どうか降らないでくれ。という意味。

山の紅葉を、乙女たちが織る布に見立てて詠んだもので、紅葉の息を呑むような美しさを表現している。
この歌は宴席で詠んだ歌といわれているが、斎宮にいる同母姉の大来皇女に想いを馳せて詠んだものという解釈もある。

身辺に暗雲が降りかかって、その霜よ降らないでくれ、と念じているともとれる。

霜(しも)を詠んだ歌で有名な志貴皇子の歌、
   葦辺行く 鴨の羽交ひに 霜降りて
   寒き夕は 大和し思ほゆ   =巻1-64 →万葉アルバム
この歌は霜が降り、すなわち暗雲が降りかかってきてもじっと耐えている。
志貴皇子は閑職にじっと耐えて生涯を終えたが、その後自分の子が天皇となった。

一方大津皇子の方は謀反の罪を着せられて死罪となるのである。
霜を詠んだ後、結果として明暗が分かれたことに、壮大なドラマを感じる。

この万葉歌碑は北山之辺の道にある紅葉の名所の正暦寺にある。


  

万葉アルバム(関東):群馬、渋川市 白井宿

2011年11月10日 | 万葉アルバム(関東)

利根川の 川瀬も知らず 直(ただ)渡り
波に逢ふのす 逢へる君かも
    =巻14-3413 作者未詳=


 利根川の浅瀬が、どこかもわからずただ真っ直ぐに渡っていると、思わず波しぶきにあたるように、ばったりお逢いしましたね。という意味。

「のす」は、「なす」の上代東国方言。
当時の利根川が浅瀬を探して渡らないといけないくらい大きな川だということがわかる。率直な愛を利根川の流れに託して歌った、恋人同士の不意の出会いの驚きと喜びに満ち溢れている、東歌らしい素朴でロマンチックな歌である。

この万葉歌碑は渋川市の白井宿の羅漢水供養塔わきに建っている。
白井宿は利根川と吾妻川の合流点に栄えた宿場町。白井堰と言われる水路の両側に古い町並みが続き江戸から受け継がれた風情を感じさせるところである。また路傍の石造物が点在し、土蔵造りの家並みや鐘楼・つるべ井戸など昔の佇まいが残っている。


白井宿の羅漢水供養塔(右)と羅漢水の井戸(左)
羅漢水供養塔には叶屋金井氏が、下之町の便を図るため、寛政7(1795)年3月6日に井戸を掘り上げたとある。
白井堰には今も豊富な水が流れている。

万葉アルバム(関東):群馬、渋川市 小野池あじさい公園 あじさい

2011年11月07日 | 万葉アルバム(関東)

あじさいの 八重咲く如く やつ世にを
いませわが夫子(せこ) 見つつしのばん
    =巻20-4448 橘諸兄=


あじさいが八重に重なって咲くように、いつまでも長生きしてくださいね、あじさいの花の咲くようにあなたの繁栄を願っています。という意味。

天平勝宝7年(755)、当時の右大臣丹比国人真人〈たぢひのくにひとのまひと〉の家で左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)が招かれたときに、諸兄が真人を祝って、あじさいの豊かな花のように主人(国人)の長寿を祝った歌3首のうちの1首。

橘諸兄は、当時左大臣。天平九年の疫病によって、当時権勢をふるっていた藤原四兄弟が死去した後、急速に力を発揮し、聖武天皇の補佐をして、左大臣まで昇進した。しかし実権は藤原仲麿に移りつつあり、諸兄の不安な心中はが感じられそう。その翌年の2月、息子である橘奈良麻呂が反乱を起こして失敗し、諸兄は宮中を追放されてしまうのである。

 小野池あじさい公園
この万葉歌碑は、小野池あじさい公園に建っており、縦長の大きな歌碑である。

小野池あじさい公園は榛名山から流れ落ちる平沢川左岸に沿った位置にある。
小野池北側の北面斜面は渋川市の花である「あじさい」の植生に適していることから、あじさいを中心とした公園作りが進められ、今では8000株にも達している。

万葉アルバム(関東):埼玉、越谷 県民健康福祉村 うけら(オケラ)

2011年11月03日 | 万葉アルバム(関東)

恋しけば 袖も振らむを 武蔵野の
うけらが花の 色に出(づ)なゆめ
   =巻14-3376 作者不詳=


恋しかったらせめて袖を振って合図するぐらいにしてほしい。武蔵野のウケラの花のように色に出さずに、という意味。

うけらを歌った東歌が4首あり、うち3首は武蔵野の歌である。
武蔵野の花の代表みたいになっている。


「うけら」は今はオケラといっているキク科の植物。秋に白か淡紅のアザミのような花が咲く。長い根茎は乾燥しておき、煎じて飲むと胃腸病などによくきくといわれている。山菜として美味で、香気があり邪気を払うのでお正月のお屠蘇(とそ)の主材料に使われる。
京都祇園八坂神社の『おけら祭り』、大晦日から元日にかけて、社前でおけらの根を入れて篝火(かがりび)を焚く。参詣人はその火を縄に移して消えないように振りながら持ち帰って神棚や仏壇の燈明に点じ、また元日のお雑煮を作る際の火種にし、一年の無病息災を祈る。おけらは”厄除け”の植物でもある。

 「万葉植物園」(右手に万葉歌碑)
 この万葉歌碑は埼玉県越谷市の県民健康福祉村の「万葉植物園」に建っている。
県民健康福祉村は、総敷地面積21.8haというとても広い公園で健康増進のための施設があちこちに点在している。公園の外周に走るサイクリングコースが1周2,020m、ジョギングコースは1周1,850mもある広さ。
芝生広場の南側に「万葉植物園」と名づけられた森があって、里山の雰囲気を味わうことができ、万葉集にちなんだ植物と、その歌のプレートが置かれている。