飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

1991年3月 飛鳥(益田岩船)から聖林寺へ

2010年10月25日 | 思い出の大和路探訪
 大阪転勤を終えた2年後、ひさしぶりに飛鳥を訪ねた。

 桜が開花したころの飛鳥をサイクリングで回った。
飛鳥の西の益田岩船から、飛鳥中央部を経て東隣に位置する聖林寺まで、
自転車ならではの広範囲の旅だった。


コース:飛鳥駅-益田岩船-久米寺-下平田-橘寺-岡寺-飛鳥寺-紀寺跡-山田寺跡-聖林寺



益田岩船
益田岩船(ますだのいわふね)は奈良県橿原市白橿町にある花崗岩の巨大な石造物。つくられた時期や目的などは不明で、亀石・酒船石などと並ぶ飛鳥の謎の石造物の一つで、その中でも最大のものである。


人物が写っていると、岩船の大きさがわかる。


当時は眺望もよく岩船の全体像を望むことができたが、
20年後の現在では周りに竹林が茂り眺望がよくないようだ。


久米寺
女性のふくらはぎを見て雲から落ちたとの言い伝えがあるユーモラスな久米仙人ゆかりの久米寺。大和三山のひとつ、畝傍山の東南麓に位置する。


下平田


下平田、紅梅と菜の花


橘寺を望む


橘寺と仏頭山
正式名が仏頭山上宮皇院橘寺。その名にある仏頭山が背後に立つ。


橘寺の蓮華塚
聖徳太子が勝鬘経講讃を行った時に降った蓮の華を埋めたと伝えられる方形の土壇。


岡寺
義淵僧正によって建立されたと伝えられる。西国33カ所巡りの7番札所。


飛鳥寺と桜


飛鳥寺と桃の花


奥山への道から香具山を望む


紀寺跡
藤原京造営以前の7世紀後半に創建された古寺。現在は草地で何ない。


山田寺跡
蘇我倉山田石川麻呂の創建。
大化改新(645年)の時、中大兄皇子のもと蘇我入鹿殺害の重要な役割をはたした石川麻呂は、新政府で右大臣となるが、大化5年(649)3月に左大臣 阿部内摩呂大臣が亡くなった、その1週間後、こんどは右大臣の石川麻呂大臣 謀反の疑いを受け、妻子ほか8人とともに建設中の山田寺仏殿において自殺した。


山田寺跡全景
発掘調査によって、塔と金堂が南北に一直線に並ぶ伽藍配置が明らかになり、さらに昭和57年暮れ、回廊の一部が倒れたままの完全な姿で発見され、エンタシスの柱や連子窓など創建時の姿をしのばせる貴重な資料として、いちやく注目を浴びた。
世界最古といわれる法隆寺よりも半世紀もさかのぼる木造建築物だったからだ。


山田寺跡全景(別の方角)


聖林寺
桜井市にある真言宗室生寺派の寺院。
聖林寺には天平時代の最高傑作である国宝十一面観音が安置されている。


聖林寺から見た三輪山

万葉アルバム(奈良):桜井、出雲

2010年10月18日 | 更新情報


     (写真追加しました)


籠(こ)もよ み籠持ち
ふ串もよ みふ串持ち
この岳(おか)に 菜摘ます児(こ)
家(いえ)告(の)らせ 名告らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて 吾こそ居れ
敷きなべて 吾こそ座(ま)せ
われこそは 告らめ 家をも名をも

    =巻1-1 雄略天皇=


良いかごを持って、良い串を持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。君の家はどこかな、教えてくれないかな。私は大和の国を治めているものです。だから私には教えてくれるでしょうね、君の家も君の名前も。という意味。

万葉集の開巻第一ページの冒頭を飾る長歌。
天皇と娘子との聖なる結婚によって、国土の繁栄が約束されることを歌った歌。
籠(こ)は摘んだ若菜を入れるカゴ、掘串(ふくし)は土を掘るヘラのこと。
「み籠」「み掘串」の「み」は相手の持ち物を讃(たた)える接頭語。
早春に娘たちが野山に出て若菜を摘み食べるのは、成人の儀式だったらしい。
「児(こ)」は女性を親しんで呼ぶ語。「そらみつ」は「大和」にかかる枕詞。

古代は名告りは重要なこととされ、男が女の名を尋ねるのは求婚を意味し、女が名を明かすのは相手の意のままになることを意味していた。
作者は5世紀後半の第21代雄略天皇(412~479年)。『古事記』下巻に登場する英雄的な君主。
歌をよくし、その霊力によって女性や国を獲得したという伝説を持つ。
権勢は全国に及んだようで、埼玉県の稲荷山古墳と熊本県の江田船山古墳から、雄略天皇をしめすと思われる「ワカタケル」の銘のある鉄剣が出土している。ただ、万葉の当時から約200年も前の天皇のため、この歌は天皇の実作ではなく伝承された歌謡と考えられている。

桜井市出雲黒崎の白山神社に「万葉歌碑」が建っている。
宇陀野へつづく狛峠を登ると、桜井市出雲の陽当たりのよい南向きの丘が望まれ、下に初瀬川の清流が初瀬街道と並行して流れ、山並みの緑に包まれた風景は、1500年前のロマンの世界に私たちを誘ってくれる。


万葉アルバム(明日香):飛鳥橋北

2010年10月11日 | 万葉アルバム(明日香)

明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
流るる水も のどにかあらまし
   =巻2-197 柿本人麻呂=


明日香川にしがらみをかけ渡してせきとめんとしたら、流れる水もゆったりしているだろうに。という意味。

 奈良県高市郡の山中から、冬野川と合流して明日香村を北西に縦断するように飛鳥川は流れている。
「しがらみ」は、本来水量を調節したりする為のものだが、歌の中では「自然な流れを遮る物」として用いられる場合が多い。早世した皇女を悼んで、川にしがらみがあれば、流れはもっと緩やかであったであろうに、そのようにあってほしかったと詠っている。

この歌は、明日香皇女のきのへの殯宮の時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并に短歌とある。
明日香皇女(あすかのひめみこ、生年不詳 - 文武天皇4年4月4日(700年4月27日))は、天智天皇皇女。飛鳥皇女ともいう。母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。同母の妹は新田部皇女。忍壁皇子の妻とする説がある。
文武天皇4年(700年)、浄広肆の位で4月4日に死去。もがりの折に柿本人麻呂が、夫との夫婦仲の良さを詠んだ挽歌を捧げた。
明日香皇女は、持統天皇の訪問を受けたり、彼女の病気平癒のために108人の沙門を出家させたりなど、他の天智天皇皇女に比べて異例の重い扱いを受けている。

 この万葉歌碑は高市郡明日香村飛鳥の飛鳥橋北に建つ。
写真の手前にあるのが槻の木、背後に見えるのが甘樫の丘である。(2011/11/14写す)

またこの橋のたもとに最近(平成23年5月)「槻の木広場」が整備された。
日本書紀に飛鳥寺に西門外にあった広場に槻(ツキはケヤキのこと)の大樹があり、さまざまな行事に使われたとある。ここで行われた有名な中大兄皇子と中臣鎌子の蹴鞠の会での出会いのエピソードは有名である。

1988年7月 飛鳥(稲淵-栢森-壺阪寺)

2010年10月04日 | 思い出の大和路探訪
 夏の暑い最中に飛鳥の上流を訪ねた。
コース:下平田-坂田-祝戸-稲淵-栢森-芋峠-高取城址-壺阪寺


下平田、鬼の俎の手前、多武峰を望む


坂田から石舞台方面を望む


祝戸研修センターを望む


祝戸付近の飛鳥川


坂田、マラ石
もともとは垂直に立っていたようで、飛鳥謎の石造物の一つ。
地元では飛鳥川を挟んで対岸にある丘を『フグリ山』と呼んでおり、ふたつで一対をなす『子孫繁栄』『五穀豊穣』を祈る古代信仰の遺物とされている。


稲淵、神所橋
稲淵の綱掛神事が行われる場所で、神所橋の橋の上に祭壇を整え、神職がお祓いの後、飛鳥川の上を横切って、陰物をかたどった「男綱」を掛け渡す行事がある。


稲淵、地蔵堂下の石橋
「飛鳥川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は思ほえぬかも」
この石橋(いわはし)を渡って、毎夜愛しい彼女に会いに行ったという万葉人を彷彿とするようだ。


稲淵、竜福寺付近にて


稲淵、竜福寺と竹野生石塔
竜福寺は浄土宗鎮西派の末寺で、境内に日本最古の墓標と思われる五輪石塔がある。
竹野王碑と呼ばれているこの石塔は、5層のうち3層4層部分が残っていて、「天平勝宝三年歳次辛卯四月二十四日丙子、従二位竹野王」の文字が刻まれている。
竹野王という人については未だ謎だが、長屋王邸宅からも、その名が記された木簡が出土している。




稲淵、式内社飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
名前も長いが石段も長いこの神社。下流の甘樫丘近くにある飛鳥坐神社の男神に対する女神だとか。古代から伝わる雨乞いの儀式、『仮南無天踊り』が今も受け継がれている。


栢森、水神を祀る小祠


栢森の女綱
稲渕の男綱と対をなすこちらは、やはり飛鳥川上流に棲む女性竜神のシンボルをかたどっている。
女綱のそばにあるのは福石。


栢森集落


栢森、式内社加夜奈留美命神社
祭神である加夜奈留美命は、日本最古の女性の神様で、皇孫を守護した位の高い神様だそうだ。


飛鳥川上流、芋峠方面を望む


芋峠付近の役の行者石像
ここは、新旧の峠道が交わる場所である。
峠の途中にある役の行者像には、「右よしの山上」「左ざいみち」と彫ってある。


高取城址
日本屈指の山城「高取城」は、日本一の比高(麓から天守台までの高低差)390mを誇る。明治時代に解体されたため現在は石垣しか残っていないが、それが古代へのロマンをかきたてるようだ。


高取城址


壺阪寺 山門
西国三十三ヵ所第6番の札所。浄瑠璃「壷坂霊験記」のお里・沢市の物語の舞台である。


壺阪寺境内
一般には「壷坂観音霊験記」の壷阪寺の名で知られているが、正しくは南法華寺(みなみほっけじ)という。 「寺は壷阪、笠置、法輪」と清少納言の「枕草子」にあるように、平安時代から壷阪寺は霊験あらたかな寺として知られ ていたようである。


壺阪寺三重塔


壺阪寺大観音石像
大観音石像は、インドに対して社会奉仕事業(救ライ事業)を行ったお礼として、インド政府から贈られたもので、高さが20m、総重量1200トンあり、石像としては世界最大である。


壺阪寺、寺内より飛鳥方面を望む