<1987年12月 当麻・曼荼羅の里 近鉄文学散歩>
二上山に抱かれた静かな当麻の里を訪ねるとき、ことに夕陽に映える秀峰を間近に仰いだときなどは、美しい曼荼羅が、中将姫の物語りが、この地に伝えられているのも当然だと実感される。
コース:二上山駅-専称寺-鳥谷口古墳-当麻山口神社-石光寺-中将姫の墓-当麻寺-当麻寺駅
講師:奈良芸術短期大学教授 木村芳一氏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/30/531cdab5e2fd9737deb652bc091fc2ac.jpg)
専称寺(浄土宗) 二上山駅のすぐ南、香芝町の畑集落の内にある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d7/fe23063c1ca511bfedbcad2c9fba5d45.jpg)
加守付近を二上山を横に眺めながら歩く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/35/6f919d21f55aa89fb847ebb1196336f2.jpg)
鳥谷口古墳全景 手前:大池、中央:鳥谷口古墳、奥:二上山
新池の改修工事に伴って発見された。石棺の状況から古墳時代の終末期のものと考えられている。在地の名門当麻氏に連なる誰かの墓と推定されるが、大津皇子の墓ではないかとの説もある。
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池の上の小山中腹に古墳がみえる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/5e/5e5fcc09b7b807b4a1e6b4734be733ec.jpg)
鳥谷口古墳
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当麻山口神社
神社の北側の道は二上山の雌岳の南を河内に越える岩屋越であり、古事記にあらわれる古道と推定される。当麻氏の祖神、麻呂子皇子とその妃を祀っっている。
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神社境内で講師に説明を聞く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d4/b294a76340841a3e3c8064edf5db069c.jpg)
石光寺
中将姫が曼荼羅を織るために、蓮糸を洗い染めた井戸、染井のあることから、染寺とも呼ばれている。創建は出土品から仏白鳳時代といわれている。
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染の井と糸かけ桜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ea/1282b55f7d14c0a20d9ae2a51539f8ce.jpg)
寒ボタンの寺としても名高い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/ba/7d56c90bb7eda34143458b9562bdc948.jpg)
寒ボタンが並ぶ境内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/60/fae1f79b3c842f6d503ef3d31458b09b.jpg)
中将姫の墓と十三重石塔(当麻北墓と呼ばれる共同墓地の一部)
中将姫の墓塔と伝える層塔(現在は三層だけ残っている)と十三重石塔が並んで建っている。層塔は平安後期、十三重石塔は鎌倉末期と推定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/e8/45569241d388b150701a4637447b6db4.jpg)
当麻寺、うしろに二上山、左手前が麻呂子山
当麻寺といえば中将姫と牡丹の寺としてあまりに有名。
曼荼羅をはじめとして、数多くの重要な建築・彫刻などの古文化財を要している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c1/f4f7504bd8b290710e2ff222310590c1.jpg)
本堂前の石手水船(鎌倉末期の銘があり、日本でも最古に近いもの)
奥にあるのが中将姫池
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/40/4cea895881aeff2d35d5725a0388d146.jpg)
右手:西塔、左手:東塔
東塔は奈良時代末、西塔はやや後で平安初期といわれる。
創建当初の三重塔が二基とも残るのはここだけ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a1/03116b77c1dc2b1e1901833489fcf09b.jpg)
(左)西塔の相輪:水煙下部に唐草文を配している
(右)東塔の相輪:水煙は魚の背骨を思わせる形
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/c7/b9bd3cd3dd53b1ef26b052750dd7f846.jpg)
うしろ曼荼羅堂(本堂)
二上山に抱かれた静かな当麻の里を訪ねるとき、ことに夕陽に映える秀峰を間近に仰いだときなどは、美しい曼荼羅が、中将姫の物語りが、この地に伝えられているのも当然だと実感される。
コース:二上山駅-専称寺-鳥谷口古墳-当麻山口神社-石光寺-中将姫の墓-当麻寺-当麻寺駅
講師:奈良芸術短期大学教授 木村芳一氏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/30/531cdab5e2fd9737deb652bc091fc2ac.jpg)
専称寺(浄土宗) 二上山駅のすぐ南、香芝町の畑集落の内にある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d7/fe23063c1ca511bfedbcad2c9fba5d45.jpg)
加守付近を二上山を横に眺めながら歩く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/35/6f919d21f55aa89fb847ebb1196336f2.jpg)
鳥谷口古墳全景 手前:大池、中央:鳥谷口古墳、奥:二上山
新池の改修工事に伴って発見された。石棺の状況から古墳時代の終末期のものと考えられている。在地の名門当麻氏に連なる誰かの墓と推定されるが、大津皇子の墓ではないかとの説もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f5/bafed89198865cd43c058e0cce4578ba.jpg)
池の上の小山中腹に古墳がみえる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/5e/5e5fcc09b7b807b4a1e6b4734be733ec.jpg)
鳥谷口古墳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/81/d89b7765e76868451fe83b723926127e.jpg)
当麻山口神社
神社の北側の道は二上山の雌岳の南を河内に越える岩屋越であり、古事記にあらわれる古道と推定される。当麻氏の祖神、麻呂子皇子とその妃を祀っっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5a/6c2e81eaaac4894113ad715dfaf15a09.jpg)
神社境内で講師に説明を聞く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d4/b294a76340841a3e3c8064edf5db069c.jpg)
石光寺
中将姫が曼荼羅を織るために、蓮糸を洗い染めた井戸、染井のあることから、染寺とも呼ばれている。創建は出土品から仏白鳳時代といわれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f7/0394e68d0d9112070539b77997777819.jpg)
染の井と糸かけ桜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ea/1282b55f7d14c0a20d9ae2a51539f8ce.jpg)
寒ボタンの寺としても名高い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/ba/7d56c90bb7eda34143458b9562bdc948.jpg)
寒ボタンが並ぶ境内
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中将姫の墓と十三重石塔(当麻北墓と呼ばれる共同墓地の一部)
中将姫の墓塔と伝える層塔(現在は三層だけ残っている)と十三重石塔が並んで建っている。層塔は平安後期、十三重石塔は鎌倉末期と推定されている。
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当麻寺、うしろに二上山、左手前が麻呂子山
当麻寺といえば中将姫と牡丹の寺としてあまりに有名。
曼荼羅をはじめとして、数多くの重要な建築・彫刻などの古文化財を要している。
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本堂前の石手水船(鎌倉末期の銘があり、日本でも最古に近いもの)
奥にあるのが中将姫池
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右手:西塔、左手:東塔
東塔は奈良時代末、西塔はやや後で平安初期といわれる。
創建当初の三重塔が二基とも残るのはここだけ。
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(左)西塔の相輪:水煙下部に唐草文を配している
(右)東塔の相輪:水煙は魚の背骨を思わせる形
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うしろ曼荼羅堂(本堂)