玉かぎる 夕さり来れば さつ人の
弓月が岳に 霞たなびく
=巻10-1816 柿本人麻呂歌集=
夕方になって巻向山の高峰である弓月が岳に霞がたなびいている、という意味で、春が近づきつつあるという気持ちを歌ったものである。
「玉かぎる」は玉がほのかに光を出すという意味で、「夕」に掛かる枕詞である。
「かぎる」・・「かぎろい」ですぐ思い出されるのは、柿本人麻呂の
ひむがしの 野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ (巻1-48)
である。巻10-1816の歌は柿本人麻呂歌集となっていて柿本人麻呂と特定されていない。しかし歌から受ける印象から柿本人麻呂の歌と特定してよいのではないかと思う。
山の辺の道付近には数多くの古墳が点在している。なかでも大和朝廷の創始者といわれる第10代崇神天皇陵は全長240mの壮大な前方後円墳、この付近から大和盆地が広く見渡され、振りむけば弓月が岳がそびえているのを目の当たりにすることができる。
この万葉歌碑は山辺の道の崇神天皇陵付近に置かれている。