春さらば 挿頭(かざし)にせむと 我が思(も)ひし
桜の花は 散りにけるかも
=巻16-3786 作者未詳=
春になったら、挿頭の花にしようと(妻にしようと)私の思っていた桜の花は、散ってしまったことだなあ、という意味。
万葉集にある櫻兒伝説。櫻兒(さくらこ)という一人の娘を、二人の男が命がけで争い、それを嘆いた櫻兒は、「昔から、一人の女が二人の男に嫁ぐというのは見たことも聞いたこともない。私がいなければ争うこともないだろう。」と、林の中に入り、木で首を吊って死んでしまった。残された男二人が嘆いて詠んだ歌が、この「春さらば・・・」と、もう一首
妹が名に懸けたる櫻 花咲かば 常にや戀ひむ いや毎年(としのは)に (巻16‐3787) 作者不詳
いとしい人の名につけてあった桜、その花が咲いたら、永久に恋い慕うことだろうか。来る年も来る年も。
男二人が嘆き悲しんで作った歌である。
万葉集にはこの伝説と同じような伝説を歌った歌がいくつかある。
真間の手児奈の歌もそうである。
櫻兒の塚は、昔は娘子塚と呼ばれていたようだ。享保21年(1736)発行の『大和志』には、娘子塚は”大窪村にあり”と記されている。
大窪村は現在の橿原市大久保町である。
大久保町公民館の一角に大窪寺があり、かつて大寺だったと想像できる大きな礎石が置かれている。
万葉歌碑はここにある。
歌碑の向い側に祠があり、これが櫻兒の墓と伝えられる「娘子塚(をとめづか)」だそうだ。