飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(関東):足柄、足柄峠

2011年01月31日 | 万葉アルバム(関東)

足柄の 御坂(みさか)に立して 袖振らば
家なる妹は 清(さや)に見もかも
   =巻20-4423 防人の歌=


足柄の御坂に立って袖を振ったなら、家に居る妻ははっきりと見るだろうか。 という意味。

普通なら見えるはずはないのだが、足柄の御坂は特別の場所だから家に居る妻が見えるかもしれない、と神だのみしているのだろう。

ここ足柄峠は、奈良・平安の時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもあった。当時、東国から西日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られている。

峠付近には足柄山聖天堂(しょうでんどう)や、茶屋がある。黒澤明の映画『乱』で使われた門が関所として置かれているる。

足柄峠の近くの足柄万葉公園に、万葉歌碑が7基ある。
この万葉歌碑はこの7基のなかのひとつである。


万葉アルバム(関東):湯河原、万葉公園

2011年01月27日 | 万葉アルバム(関東)

足柄の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出づる湯の
よにもたよらに 子ろが言はなくに
   =巻14-3368 東歌=


足柄の土肥(とい)に湧く温泉が絶えることはないように、二人の仲が終わるようなことはないと、あの娘は言うのだけれども、私は心配だ。という意味。

万葉集の中で「湯が湧き出ている」と表現した歌で、温泉を歌った唯一の歌。
「足柄の土肥の河内」は現在の神奈川県湯河原町とされている。駅付近には今も土肥の地名が残っており、湯河原駅一帯は、中世の土肥館跡とされ、駅前には、土肥実平夫妻の像がある。

この万葉歌碑は湯河原町の万葉公園・観光会館前に立っている。


万葉アルバム 草、たけ

2011年01月25日 | 更新情報
(写真更新しました)


我がやどの いささ群竹(むらたけ) 吹く風の
音のかそけき この夕(ゆうべ)かも  
   =巻19-4291 大伴家持=


 わが家の庭の清らかな笹竹に吹く風の音がかすかに聞こえる、この夕暮れよ。という意味。

「いささ」は、いささかの、わずかな。「音のかそけき」は、吹き過ぎて行く風の音の薄れゆくこと、かすかになってゆくこと。

音がかすかに聞こえその後遠ざかってゆく、そこに静寂がある。かすかな音を歌ったというより、静寂そのものを歌ったともいえる。

 天平勝宝5年(753年)2月、家持はこの2年前に少納言に任ぜられ、越中から帰京した。しかし、政治の実権は藤原仲麻呂に握られ、家持の不満は日増しに募るばかりであり、ここの歌はそうした時期に詠まれたものである。

 タケはイネ科。米や麦と竹が親戚とはどうも理解できないが、植物学上ではそうなっているのである。

『万葉集』には「たけ」は十八首詠まれている。

 この万葉歌碑は名古屋の東山動植物園内の万葉の散歩道に置かれている(2010/12/24写す)。

万葉アルバム(奈良):山の辺、弓月が嶽

2011年01月22日 | 更新情報
(写真更新しました)


あしひきの山川の瀬の響(なる)なへに
弓月(ゆつき)が嶽(たけ)に雲立ち渡る
   =巻7-1088 柿本人麻呂歌集=


山中を流れる川の瀬音が高まるにつれて、弓月が岳一面に雲が湧き立ちのぼっていく。という意味。

「弓月が岳」は奈良県巻向山の最高峰(567m)。車谷から巻向川の山川の瀬に沿って、三輪山の東北麓を登りつめ、そこから北へ巻向山にかかれば達する。「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。「山川」は山の中を流れる川。

『柿本人麻呂歌集』は、万葉集編纂の際に材料となった歌集の一つ。人麻呂自身の作のほか、他の作者の歌や民謡などを集めている。

響き渡る川音を耳にしながら、人麻呂が弓月が岳を見上げている。見つめる先で、雲が涌き立ち山をおおい尽くそうとしている。率直に雄大な自然を歌ったこの歌は、人麻呂歌集のなかでは勿論、万葉集のなかでも名歌のひとつに上げられている。

 この歌碑は、天理市の山辺の道・萱生集落入り口付近に建ち、このあたりから眺める巻向山系は山辺の道の中でも雄大な景観を呈している。

万葉アルバム 花、あふち(センダン)

2011年01月20日 | 更新情報
(写真更新しました)


妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし
我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
   =巻5-798 山上憶良=


 妻の死を悲しみ、私の涙がまだ乾かぬうちに、妻が生前喜んで見た庭の楝(=栴檀)の花も散ってしまうのだろう。という意味。

妻を亡くした大伴旅人に奉った歌。作者の山上憶良(660~733年)は、百済からの渡来人であり、藤原京時代から奈良時代中期に活躍した。漢文学や仏教の豊かな教養をもとに、貧・老・病・死、人生の苦悩や社会の矛盾を主題にしながら、下層階級へ温かいまなざしを向けた歌が収められている。

「楝の花」は古名で現在の栴檀(せんだん)の花のこと。センダン科センダン属の落葉高木。街路樹や公園などによく見かける。5~6月、新しくのびた枝の葉腋から長さ10~15㌢の複集散花序をだし、淡紫色の小さな花を多数開く。果実は薬用にし、核は数珠の玉に使う。
ちなみに、「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)の諺はよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指すらしい。
万葉集には「楝の花」の歌は4首ある。

私の息子が通っていた幼稚園が、松戸市千駄堀にある「栴檀幼稚園」。
当時はなんと変わった名前だろうと思っていたが、しばらくしてセンダンの木の名前だとわかった。栴檀の木をみると当時を思い出す。

 この万葉歌碑は名古屋の東山動植物園内の万葉の散歩道に置かれている(2010/12/24写す)。

万葉アルバム(奈良) 山の辺、三輪山2

2011年01月17日 | 万葉アルバム(奈良)

味酒(うまざけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の
山の際(ま)に い隠るまで  道の隈 い積もるまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)けむ山を
心なく 雲の 隠さふべしや
   =巻1-17 額田王=
 反歌
三輪山を しかも隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや
   =巻1-18 額田王=


三輪山が奈良の山の端に隠れるまで、いくつもの道の曲がり角を過ぎるまで、ずっと見続けていたい。
それなのに無情にも雲が隠すなんて、そんなことがあっていいものでしょうか。
(反歌)
三輪山をどうしてそんなふうに隠すのか。せめて雲だけでも情けがあってほしい。隠すなんてことがあってよいものか。

 巻1-18 の詳細はこちらを参照

 天理方面から山辺の道を歩いてきて、景行天皇陵から下り道を過ぎた時、急に視界が開け東側にくっきりと三輪山が迎えてくれる。この一瞬の三輪山の眺めは再び会えたという気持ちを抱かせる。逆に三輪方面から山辺の道を歩いてきた時はおそらくこの場所は、この歌のような惜別の気持ちを抱かせるだろう。
 そんな絶景のポイントに立つ万葉歌碑である。

もうひとつは三輪山を祭神とし山懐にある大神神社外苑に立つ万葉歌碑である。

万葉アルバム 花、ふじ

2011年01月13日 | 万葉アルバム(自然編)

藤波の 花は盛りに なりにけり
奈良の都を 思ほすや君
   =巻3-330 大伴四綱=


藤の花が真っ盛りですねぇ。あなたも藤の花が咲いている奈良の都を私同様さぞ懐かしく思っておられることでしょう。という意味。 


大宰府で作者が満開の藤を眺めながら大伴旅人に話しかけた歌。
藤波とは、藤の花房を波に見立てた言葉。

729年3月4日、小野老がそれまでの従五位下から従五位へ昇進しその後、老は太宰小弐(ショウニ)として筑紫の国へと派遣される。彼を迎えた太宰府の面々の歓迎の宴での万葉歌が巻三・328-335にみられる。

青丹よし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
                   小野老(オユ)・万葉集巻三・328
忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
                   大伴旅人・万葉集巻三・334

小野老の歓迎の宴で、まず小野老が今の奈良の都の素晴らしさを歌い、続いて大伴四綱・大伴旅人が都への望郷の念を歌ったのである。

 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道に立っている。(2010/12/24写す)



万葉アルバム(奈良):山の辺、天理駅前

2011年01月10日 | 万葉アルバム(奈良)



石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高々に
妹が待つらむ 夜ぞ更けにける
   =巻12-2997 作者不詳=


石上の布留川にかかる布留の高橋、その高い橋のように高々と爪立つ思いで、あの女が待っているだろうに、夜はもうすっかり更けてしまった。という意味。

「布留の高橋」へは、石上神社の桜門の前を真東に向かい神宮の森を出て、しばらく行くと両側に低い梅林が続く。約100メートルの坂道を下ると橋にさしかかる。今は小さな鉄製コンクリートがかかり、味気ない景観になってしまったが、途中の梅林周辺に古代の面影を感じるようだ。

この万葉歌碑はJR・近鉄天理駅駅前広場に立っている。


万葉歌碑マップ探訪:奈良 山辺の道(天理編) 万葉歌碑群

2011年01月06日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(山辺の道(天理編)地図:クリックすると拡大表示します)

 山辺の道は、奈良から三輪へと通じる上古の道である。古代の上ツ道のさらに東にあって、三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が山辺の道である。
なかでも古代の面影をよく残し、万葉歌の息づかいを伝えているのが、天理市から桜井市までの約11km。
 今回、天理駅からスタートし桜井駅に至る山辺の道を訪ねてきた。(2010/12/23)
 後日、天理市内の山辺の道周辺の歌碑を訪ねた。8~11(2012/5/27)
天理編と桜井編に分けて紹介しよう。

 山辺の道の天理地域は大国見山から竜王山の山裾を縫って続いている。


1.川原城町 天理駅前
  石上 布留の高橋 高々に
  妹が待つらむ 夜ぞ更けにける 巻12-2997 作者不詳
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2.川原城町 天理市役所
  我妹子や 我を忘らすな 石上
  袖布留川の 絶えむと思へや 巻12-3013 作者不詳
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3.杣之内町 石上神宮外苑公園
  石上 布留の神杉 神びにし
  我れやさらさら 恋にあひにける 巻10-1927 作者不詳
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4.布留 石上神宮
  未通女らが 袖布留山の 瑞垣の
  久しき時ゆ 思ひき我れは 巻4-501 柿本人麻呂
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5.萱生町 萱生(かよう)集落北入り口近く
  あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
  弓月が岳に 雲立ちわたる 巻7-1088 柿本人麻呂
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6.中山町 長岳寺北 衾道(ふすまじ)
  衾ぢを 引手の山に 妹を置きて
  山道を行けば 生けりともなし 巻2-212 柿本人麻呂
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7.柳本町 崇神天皇陵近く
  玉かぎる 夕さり来れば さつ人の
  弓月が岳に 霞たなびく 巻10-1816 柿本人麻呂歌集
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8.杉本町 前栽公民館
  石上 布留の早稲田を 秀でずとも
  縄だに延へよ 守りつつ居らむ 巻7-1353 作者不詳
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9.長柄町 長柄運動公園
  飛ぶ鳥 明日香の里を 置きて去なば
  君があたりは 見えずかもあらむ 巻1-78 元明天皇
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10.西井戸堂町 山辺御県坐神社
  飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば
  君があたりは 見えずかもあらむ 巻1-78 元明天皇
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11.櫟本町 和爾下神社
  さし鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津の
  檜橋より来む 狐に浴むさむ 巻16-3824 長忌寸意吉麻呂
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万葉アルバム 花、うめ

2011年01月04日 | 更新情報
(写真更新しました)


わが園に 梅の花散る ひさかたの
天(あめ)より雪の 流れ来るかも
   =巻5-822 大伴旅人=


 わが家の庭に梅の花が散る。天空の果てから、雪が流れてくるよ。という意味。
梅花の落ちるさまを「天より雪の流れ来る」と表現したのは、スケールのとても大きな、すぐれた歌だと思う。
梅の散る様子を雪に例えていることから庭には、白い梅が咲いていたことが伺える。

天平2年正月、九州の大宰府にて作者が催した宴で作った歌。
宴で作られた梅花の歌三十二首があり、その中の一首である。

万葉人は梅の花を愛賞し、花の下で宴を開き、散る花を惜しみたびたび歌った。
万葉集には120首ほどの梅の歌がある。
万葉ではないが、菅原道真が詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」の歌も有名である。

 私の地元松戸にある戸定亭の庭に緑額梅が見事な花をつける。
白い花びらの中央が薄黄色で、この万葉歌にぴったりのような気がする。

この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道にあるもの(2010/12/24写す)。