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三輪山を しかも隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや
=巻1-18 額田王=
なつかしい大和の国の三輪山を、なぜそのように隠すのか、せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりなんかしないでほしい、という意味。
この歌は天智6年(667)に都を明日香の地から近江に移す時に詠んだ歌である。
三輪山は大神神社のご神体として往古から崇敬されてきた山だ。463㍍のさほど高い山ではないが、記紀にも登場する歴史を語る山である。大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の話が日本書紀崇神天皇の条にある。大物主神の本体は蛇であったという話だが、現在も大神神社では供物に蛇の好物の卵が使われる。正体を知った倭迹迹日百襲姫命は驚いて亡くなってしまった。それが桜井市箸中にある箸墓といわれる。
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歌碑は桜井市三輪の芝運動公園の駐車場わきに建っている。川端康成の筆によるもの。
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芝運動公園に隣接して桜井市立埋蔵文化財センターがある
この辺りは古くから磯城・磐余とも呼ばれ、大和政権を生み出す母体となった地域である。市内には数限りない文化の遺産が残っており、この文化遺産の保護および調査・研究を行う施設で、館内には、市内の出土品を紹介する展示室もある。
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