飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

万葉アルバム(関西):和歌山県、和歌山市 玉津島神社 やすみしし・・・

2014年05月25日 | 万葉アルバム(関西)


やすみしし わご大君の 常営と 仕へまつれる
雑賀野(さひかの)ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に
風吹けば 白波騒き 潮(しほ)干(ふ)れば 玉藻刈りつつ
神代より 然(しか)ぞ貴き 玉津島山
   =巻6-917     =

奥(おき)つ島 荒磯(ありそ)の玉藻(たまも) 潮干(しほひ)満ち
い隠れゆかば 思ほえむかも
   =巻6-918     =

若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)を無み
葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
   =巻6-919 山部赤人=


<917>
 安らかに天下をお治めになるわが大君の、永遠の宮殿としてお仕えする、雑賀野から背後に、沖の島々が見える清らかな海岸に、風が吹けば白波が立ち騒ぎ、潮が引けば美しい藻を刈りつづけてきた、神代からこのように貴い所だったのだ、ここ玉津島山は。
 
<918>
 沖の島の荒磯に生えている玉藻刈もしたが、今に潮が満ちてきて荒磯が隠れてしまうなら、心残りがして玉藻を恋しく思うだろう。
 
<919>
 若の浦に潮が満ちてくると、干潟がなくなり、葦が生えた岸辺をさして、鶴が鳴きながら渡っていく。
 
724年、聖武天皇が紀伊国(和歌山県および三重県南部)に行幸なさった時に山部赤人が詠んだ長歌と反歌2首。
「やすみしし」は「わご大君」にかかる枕詞。「雑賀野」は今の和歌山市雑賀崎あたりの野。「若の浦」は和歌山市の南岸、今は「和歌の浦」と記す。



この万葉歌碑は和歌山市、玉津島神社の社殿奥に建っている。
平成6年(1994年)11月19日、建立。犬養孝書。
万葉学者犬養孝は全国の万葉故地に所縁の万葉歌を揮毫し、131基の万葉歌碑を建立した。玉津島神社の万葉歌碑は98・99番目のものである。


長歌


反歌2首

玉津島神社
 和歌浦の玉津島にあり、古くから和歌の神として知られている。祭神は稚日女尊.神功皇后.衣通姫の三女神で、衣通姫を仁和3年(887)に祀ったというから、社歴は古い。
 「日本書紀」によれば、美しさが絹を通して輝いていたという衣通姫は、允恭天皇の妃になるが、姉の皇后の嫉みをさけ、河内国に身を隠したといわれる。仁和2年のある夜、光孝天皇の夢枕に、衣通姫が現れ、

   立ちかへり またも此の世に 跡とめむ 名もおもしろき 和歌の浦波

 と詠んで姿を消した。天皇はおおいに感じ入り、和歌浦に源隆行を遣わし、姫をこの社に祀ったと伝えられる。
 古くは海中の孤島にあったが、寛文年間(1661~73)、元社地に移された。
 背後の奠恭山からは、和歌浦一帯が一望に見渡せる。奠恭というのは新寺に用いる際木のことで、奈良時代聖武天皇がここで春秋二回、神々に供物を捧げ神事を行ったと伝えられている。