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わが衣 色に染めなむ うまさけ
三室の山は もみぢしにけり
=巻7-1094 柿本人麻呂=
三輪山はすっかり紅葉してしまった。あの山に入っていったら、自分の着物までも真っ赤になるだろう。という意味。
三室の山は三輪山のこと。
三輪山は奈良県の最北部一帯の奈良盆地の南東部も位置する奈良県桜井市の南東部にそびえる、なだらかな円錐形の山である。標高467m。「三諸山(みもろやま)」ともいう。
太古より神宿る山とされ、三輪山そのものが神体であるとの考えから、常人は足を踏み入れることの出来ない、禁足の山とされ、江戸時代には幕府より厳しい政令が設けられ、神社の山札がないと入山できなかった。
「うまさけ(味酒)」は「三輪」の枕詞。
神に供える酒を「みわ」といったことから、「三輪」に掛かる枕詞となった。また、三輪山の別名である「三室」「三諸」にもかかる。また、酒は醸んで造ることから「神」にもかかる。
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歌碑は桜井市三輪、平等寺の山門を入ったすぐ左手に建っている。小説家、評論家林房雄の筆によるもの。
三輪平等寺は、581年聖徳太子が賊徒を平定するため、三輪明神に祈願して賊平定後十一面観音を刻んで寺を建立し大三輪寺と称したのがはじまりだという。平等寺は大神神社の実質的な神宮寺として中世から近世にかけて栄華を極めた。天保年間の記録によれば、平等寺の境内は南北3町、東西4町半だったという。
明治維新政府が行なった蛮行ともいうべき廃仏毀釈によって、平等寺は往時の権勢をすっかり失ってしまった。明治元年(1868)三月に施行された「神仏判然令」によって、神宮寺としての仏教活動が禁止され、社僧は還俗させられた。その6カ月後には、二重塔や護摩堂などが取り払われた。このとき、天平時代の傑作とされた本尊の十一面観音像が密かに聖林寺へ預けられたという。