飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム 草木、くず

2011年10月31日 | 万葉アルバム(自然編)

ま葛(くず)延(は)ふ 夏野の繁く かく恋ひば
まこと我が命 常ならめやも                
    =巻10-1985 作者未詳=


夏の野に葛(くず)が這い繁っているように、こんなにも恋していたら、本当に私の命は長くはないことでしょう。という意味。

葛が這い繁るという長くつらい片思いの歌だろうか。。古代人の恋への激しさと耐え忍ぶ強さは現代にはないものを感じる。

クズは、マメ科クズ属。山野のいたるところに見られる大形のつる状草本で、茎の基部は木質となる。
秋の七草の一つとされているが、夏は数十メートルにも蔓が延びて生茂るものもあるほど、生命力が強いもの。
根は太く大きく、多量のでんぷんを含んでおり、葛粉が取れる。花は紅紫色で、花期は7~9月。和名は大和の国栖(くず)が葛粉の産地であったことに由来する。
根が食用(葛切り)や薬用(葛根湯(カッコントウ)や葛湯)になる。古代でも、『延喜式』には、都へ貢進するべき品物として葛根・葛花があげられている。

『万葉集』に詠まれた「くず」は十八首もある。

万葉アルバム(関東):群馬、伊香保 伊香保ろの・・・榛名神社

2011年10月27日 | 万葉アルバム(関東)

伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) ねもころに
将来(おく)をなかねそ 現在(まさか)し良かば
    =巻14-3410 作者未詳=


 伊香保の山の山岸(岨ひ)にある榛の林が山岸から嶺の方まで同じ様に続いているのだから、私達の将来だって、あまり先の事まで考える事はないよ、今さえ(まさか)よければいいじゃないですか。という意味。

榛名山は噴火して荒れた山に先駆植物であるハンノキ(榛)が沢山生えていた「榛の木の山」だったようだ。この「榛の木の山」が転訛して「榛の山」→「榛名山」になったのではないか。

榛名神社は関東一のパワースポット。火の神と土の神を祀り強力なパワースポットとして知られる。御姿岩を筆頭にパワーのある風景が連続。開運、商売繁盛、金運、恋愛などのご利益がある。
神社の境内地周辺には奇岩怪石が存在しており、古来よりここが山岳仏教の行者の霊場であったことがわかる。


この万葉歌碑は森林公園管理棟前に建っている。
森林公園は伊香保温泉の外輪山、二つ岳を中心とした広大な森林公園。マイカーで、伊香保から温泉街の中心を通っているメイン道路、渋川松井田線を榛名湖方面へゆくと、その途中にある。

万葉アルバム(奈良):奈良、法華寺

2011年10月24日 | 万葉アルバム(奈良)

いにしえの 古き堤は 年深み
池の渚に 水草(みくさ)生いにけり
   =巻3-378 山部赤人=


ずっと昔に造ったこの古い泉水は、年が深く積み重なったので、池の波打ち際に水草が生えているのだった。という意味。

山部赤人が故藤原不比等邸の庭園を詠んだ歌。
山部赤人は不比等の生前度々招かれて歌を詠んでいたのであろう。
上の万葉歌に見える「古き堤」は、不比等邸にあった池の堤のことである。

法華寺のこの場所には、もともと藤原不比等の邸宅があった。
それが、不比等の死後、その娘である光明皇后の皇后宮となり、
天平17(745)年、東大寺の総国分寺に対する、総国分尼寺として「法華滅罪之寺」となった。

近くの平城宮跡に宮跡庭園として曲水の池を復元したものがある。当時の貴族の優雅な生活が偲ばれるような庭園だ。おそらくこれと同じような見事な庭園があったのだろうと想像される。

この万葉歌碑は法華寺本堂の前庭に建っている。






万葉アルバム(関東):市川、手児名橋

2011年10月20日 | 万葉アルバム(関東)

葛飾(かつしか)の 真間(まま)の入江(いりえ)に うち靡(なび)く
玉藻(たまも)刈りけむ 手児名(てこな)し思ほゆ 
   =巻3-433 山部赤人=


葛飾の真間の入江になびいている美しい藻を刈ったという手児名のことが思われる。 という意味。

玉藻(海藻)は波にゆらゆら靡いていることから「うち靡く」が「玉藻刈る(海産物を採取して暮らしている)」の枕詞にもなったのだろう。

山部赤人が葛飾の真間の手古奈伝説に感興を覚えて詠んだ歌である。
手古奈はうら若い乙女であったが、自分を求めて二人の男が争うのを見て、罪の深さを感じたか、自ら命をたったという伝説である。
山部赤人は奈良時代の歌人。微官であったらしく,『万葉集』に長歌13首,短歌37首が残るのみで,閲歴も不明。千葉県出身ともいわれている。
現在の千葉県山武郡の南半分を古来より山辺郡いわれており、その為、現在の山武郡大網白里町の北西部から東金市の南西部付近に山部赤人出生地の伝説が存在するのである。

江戸川にそそぐ真間川をたどり、手児名霊堂近くに来ると、この手児名橋がある。
この橋の下のテラス壁面に、レリーフの絵とともに、手児奈ゆかりの万葉集2首の陶板が設置されており、これはその1首。

万葉アルバム(関西):大阪、住吉大社

2011年10月16日 | 万葉アルバム(関西)

草枕 旅行く君と 知らませば
岸の黄土(はにふ)に 匂はさましを
   =巻1-69 清江娘子=

住吉に 斎く祝が 神言と
行くとも来とも 船は早けむ
   =巻19-4243 多治比真人土=


あなたが 旅のお方と知っていたら、この住吉(すみのえ)の岸の黄土(はにふ)であなたの衣を染めなどしなかったのに

住吉神社にお仕えする神職のお告げでは、行きも帰りも船は安全で早いことでしょう


「住吉」は萬葉時代全て「すみのえ」と呼ばれており、当時は住吉神社の東南方向から堺市の浅香丘陵にかけて海が湾入しており、広く住吉の御津(すみのえのみつ)と呼ばれそこから神社にまで船が入ってきており、住吉大社は白砂青松の景勝地であった。
古代より万葉歌人が度々お詣りに訪れ住吉にまつわる多くの歌が詠まれている。


この歌碑は住吉大社反り橋西側に建てられており、古代船を模して作った現代的なモニュメントで平成3年の建立。
住吉にちなむ万葉歌17首が、周囲のパネルに刻まれており、 
その内の2首が、御船の上辺りの柱に特記するように並べられている。
この歌碑の台下には、30世紀に向けて集められたメッセージがタイムカプセルとして埋められているとのこと。

万葉アルバム 樹木、ひさぎ(アカメガシワ)

2011年10月10日 | 万葉アルバム(自然編)

ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木(ひさぎ)生ふる
清き川原に 千鳥しば鳴く
   =巻6-925 山部赤人=


夜が更け果てると、久木の生える清らかな川原に、千鳥がしきりに鳴くことよ。という意味。

ぬばたまは夜にかかる枕詞。

この歌は725年聖武天皇が吉野離宮へ行幸された折に詠われたもので、長短歌3首で構成されており、自然の叙景を前面に打ち出した山部赤人の傑作とされている。
  み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には
  ここだも騒ぐ 鳥の声かも  
   =巻6-924 山部赤人=  →万葉アルバム
の歌に続く短歌であり、924が昼間の現実の情景に対し、925は夜更けに昼間の情景を思い起こした静かな歌である。川は吉野の渓流である象(きさ)の小川。

万葉の”ひさぎ”は現在のアカメガシワ。落葉高木で山地に自生。夏、淡い黄色の花が咲く。葉は大きく、昔は食物を盛るのに利用した。新芽が赤く色づくことからアカメガシワといわれている。



こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。

万葉アルバム(関東):市川、手児奈霊堂

2011年10月09日 | 更新情報
(タイトル名・写真更新しました)


勝鹿(かつしか)の真間(まま)の井を見れば立ち平(なら)し
水汲ましけむ手児奈(てごな)し思ほゆ
   =巻9-1808 高橋虫麻呂=


勝鹿の真間の井戸を見ると、地面が平らになるほど何度も行き来して、
水を汲んでいただろう手児奈のことが思われる、という意味。

「勝鹿」は葛飾、埼玉県・東京都東部・千葉県西北部にわたる江戸川流域。
貧しい手児奈は粗末な衣服で労働に明け暮れていたが、絶世の美女だった。
そのため大勢の男性に求愛されたが、彼女は、それを拒んで自殺した、という伝説を歌ったもの。

市川に手児奈を祀る手児奈霊堂があり、近くに真間の井がある。
万葉時代に既にあった伝説に出てくる娘を、その後、綿々と実際に祀ってきたという、伝説が生活風習に根付いているという確かな一例である。

この万葉歌碑は手児奈霊堂境内に建てられているものである。

万葉アルバム(関東):市川、真間の継橋

2011年10月09日 | 更新情報
(写真更新しました)


足(あ)の音せず行かむ駒もが葛飾の
真間(まま)の継橋(つぎはし)やまず通はむ
   =巻14-3387 作者未詳=


足音がせずに行ける馬がほしい。そうすれば、葛飾の真間の継橋を通っていつも恋人のもとに行くものを。という意味。

「真間」はいまの千葉県市川市真間の地。
「真間の継橋」は、真間の地にある手児奈霊堂の入口にある。
昔の橋は入り江の杭(くい)に継ぎ板を渡したような簡単なものだったようで、現在の橋は写真のようにずいぶんと派手になっている。
この真間のあたりは、昔は近くを流れる江戸川河口の入江になっていて、いくつもの中洲ができていた。
継橋は洲から洲に渡る橋であり、何枚かの板を継いでいたのでこんな名称になったと思われる。

万葉学者の犬養孝先生は、今ある継橋は「後人の手児奈追慕の名残りか」と説いている。
真間の継橋と手児奈を結びつけると、ロマンチックな物語が想像できる。

万葉アルバム(関東):茨城、筑波山神社 鶏が鳴く東の国

2011年10月06日 | 万葉アルバム(関東)

鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 
二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲しき山と
神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を
冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋しみ 
雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る
   =巻03-0382 丹比真人国人=


鶏が鳴く東の国に高い山はたくさんあるが、二神の貴い山の並び立っている姿を、いつも見ていたい山と、神代の昔から人が言い伝えて、国見をする筑波の山を、冬ごもりで今登るべきでない時といって登らず見ないで行けば、益々恋しく思うだろう。雪どけする山道さえ苦労して、私はこうして登って来た。

この歌は、”筑波の岳に登りて”の長歌で、対する反歌は、
筑波嶺(つくばね)を 外のみ見つつ ありかねて
雪消(ゆきげ)の道を なづみ来(け)るかも
   =巻03-0383 丹比真人国人=
である。→万葉アルバム

 筑波山神社は筑波山を神体山と仰ぎ、西峰に筑波山大神(イザナギノミコト)を、東峰に筑波山女大神(イザナミノミコト)を祀る。神武天皇元年には、両山頂にご本殿が建立されたといわれる古代山岳信仰の形を今にとどめる関東屈指の名社。

この歌碑は筑波山神社の境内に並ぶ万葉歌碑4基のうちのひとつである。




万葉アルバム(関東):群馬、伊香保 伊香保ろの・・・伊香保神社

2011年10月03日 | 万葉アルバム(関東)

伊香保ろの 夜左可(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば
    =巻14-3414 作者未詳=


 伊香保の高い井堰の上に現れる虹がはっきりと見えるように、人目につくまで一緒に寝ていられたらなぁ。という意味。
かなり露骨でエロっぽい歌であるが、民謡的で素朴さが感じられる。

「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の榛名山周辺をさす。「夜左可(やさか)」は地名であろうが、所在不明。「井手(ゐで)」は水をせき止める設備。「虹(のじ)」はニジの上代東国方言。

この万葉歌は伊香保に3基も建っている。(水沢観音駐車場、水沢観音植物園、伊香保神社)水沢2基は万葉仮名、伊香保神社は楷書表記である。

この万葉歌碑は伊香保神社に建っているものである。
このような男女の愛情表現の歌の碑がこの神社にあるのは、なんだか腑に落ちないが、子宝の神を祭っているのだから、良しとしたい。

伊香保神社は伊香保温泉の石段街の最上部に鎮座しており、温泉と子宝の神を祭っている。富岡の貫前神社、赤城の赤城神社とともに上野国三之宮とされる由緒ある神社である。境内は思ったより狭く、本殿や拝殿は簡素な佇まいになっている。