飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

万葉アルバム(明日香):羽易(はがひ)の山

2010年12月14日 | 万葉アルバム(明日香)

うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し
走出の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝の
春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背(そむ)きしえねば
かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲の 天領巾隠り(あまひれがくり)
鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば
我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞(こ)ひ泣くごとに
取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち
我妹子と 二人わが寝し 枕付く 妻屋のうちに
昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
大鳥の 羽がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと
人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき
うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも
見えなく思へば
   =巻2-210 柿本人麻呂=


(大意) この世の人であった時に、手に手を取り合って私たち二人が見た、走り出るとすぐの堤に立っている槻の木の、あちこちの枝に春の葉が繁っているように思いを寄せた妹ではあるが、たのみにしていた子供たちではあるが、世の中の道理にそむくことは出来ないから、かぎろいのもえる荒野に、白い美しい領巾(ひれ)に身をかくして、鳥のように朝立って行かれて、入日のように隠れてしまったので、吾妹子の形見に置いて行ったみどり児が、何か欲しがって泣くごとに、取って与える物もないから、男だのに子供を脇にかかえて、吾妹子と二人で寝た嬬屋の中で、昼は昼で心さびしく暮らし、夜は夜でため息をついて明かし、嘆くのだが、何としてよいか分らず、恋しく思っても逢う手だても無いので、羽易の山に恋しい妹はおられると人の言うままに、岩を踏み分けて難渋してやって来たが、よいこともない。
この世の人だと思っていた妹が、ほのかにさえも見えないから。

柿本人麻呂が妻を亡くして号泣して創ったという長歌である。

反歌の中に、有名な次の歌もある。
「衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし」(巻2-212)

この歌碑は明日香村橘川原バス停南に建ち、そこから龍王山(引手の山)、三輪山、巻向山が羽を広げているように見える。この様を柿本人麻呂は歌の中で「大鳥の羽易(はがひ)の山」と詠んでいる。