あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
=巻1-20 額田王=
茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら ああ あなたそんなに袖を振ふらないでよ。という意味。
「天皇(天智天皇のこと)が蒲生野(がもうの)で遊猟(みかり)された時に額田王が作った歌」。実は宴席での戯れ言の応酬歌だそうだ。
天智天皇七年(668年)の夏、蒲生野(今の滋賀県近江八幡市や八日市付近一帯)の禁野(きんや)で天皇が宮中の人々を大勢従えて狩をして遊んだとき、大海人皇子(のちの天武天皇)が額田王に袖を振って恋しい心を表した場面を歌ったものである。
現代人が手を振るような軽い意味ではなく、この時代では明らかな求愛の仕草だ。
しかも、額田王はこの時点では天智天皇の妻だが、実は以前はこの歌で袖を振っている大海人皇子(天智天皇の弟)の妻でもあって一女をもうけていたのである。
天平の丘公園の下野国分尼寺跡付近の道路わきに、この万葉歌碑が建てられている。
この近くの紫草塚には大海人皇子の「紫の…」の万葉歌碑が建っている。
下野国分尼寺跡は主要伽藍の基壇と礎石が復元表示され、史跡公園として人々の憩いの場として活用されており、また岐阜県旧根尾村の薄墨桜が植えられており、開花期は花見客で賑わっている。