飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(奈良):桜井市東新堂、桜井西中学校

2016年05月31日 | 万葉アルバム(奈良)


三輪山をしかも隠すか雲だにも
情(こころ)あらなも隠さふべしや
   =巻1-18 額田王=


なつかしい大和の国の三輪山を、なぜそのように隠すのか、せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりなんかしないでほしい、という意味。

 この歌は天智6年(667)に都を明日香の地から近江に移す時に詠んだ歌である。

 三輪山は大神神社のご神体として往古から崇敬されてきた山だ。463㍍のさほど高い山ではないが、記紀にも登場する歴史を語る山である。大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の話が日本書紀崇神天皇の条にある。大物主神の本体は蛇であったという話だが、現在も大神神社では供物に蛇の好物の卵が使われる。正体を知った倭迹迹日百襲姫命は驚いて亡くなってしまった。それが桜井市箸中にある箸墓といわれる。


 歌碑は桜井市東新堂の桜井西中学校正門内に建っている。碑文は保田與重郎の筆による。

万葉アルバム(奈良):橿原市四分町 鷺栖神社

2016年05月15日 | 万葉アルバム(奈良)


ひさかたの天(あめ)知(し)らしぬる君(きみ)ゆゑに
日月(ひつき)も知(し)らず恋(こ)ひ渡(わた)るかも    
   =巻2-200 柿本人麻呂=


今は、薨去されて天をお治めになるようになってしまった高市皇子であるのに、月日の流れ去るのも知らず、いつまでも恋い慕いつづけるわれわれである。という意味。

高市皇子が死んだ時、柿本人麻呂が詠んだ長歌に対する反歌である。
672年の壬申の乱、高市皇子は近江大津京にあり、挙兵を知って脱出し父天武天皇に合流し軍事の全権を委ねられ乱に勝利した。
柿本人麻呂が壮大な挽歌を寄せていることから、2人は親交があったのではないかと言われている。一方持統天皇のお抱え歌人としての人麻呂が、あくまで天皇の意思を体現して詠んだ歌だともいわれている。

 690年(持統4)、高市皇子は多数の官人を引き連れて藤原宮の予定地を視察した。その4年後に飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷都した。しかし高市皇子はその2年後に急死する。高松塚古墳に葬られたともいわれている。


 歌碑は藤原宮そばにある鷺栖(さぎす)神社に静かにたたずんでいる。