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飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(中部):長野県、千曲市戸倉 戸倉支所前歩道 春は萌え・・・

2012年12月17日 | 万葉アルバム(中部)

春は萌(も)え 夏は緑に 紅(くれなゐ)の
まだらに見ゆる 秋の山かも
   =巻10-2177 作者未詳=


 春は草木が萌え、夏は緑に、今は紅のまだらに見える秋の山だなあ。 という意味。

山が「春・夏・秋」それぞれに趣のある色に変わっていく様子を詠んだものだ。
日本の美しい四季は万葉時代も現代も変わらない。それを愛でる心も不変である。

「萌え」=春に木々がいっせいに芽吹き初める状態。
「紅のまだら」=紅葉まっさかりという状態。


戸倉支所前の歩道の歌碑とあじさいの花

 この万葉歌碑は千曲市戸倉の千曲市役所戸倉支所前の歩道に全部で4基置かれているうちのひとつ。歩道の先に千曲川にかかる大正橋がある。正面奥の高い山が伝説の舞台である姨捨山(おばすてやま)。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市戸倉 戸倉支所前歩道 春霞・・・

2012年11月26日 | 万葉アルバム(中部)

春霞(はるかすみ) 流るるなへに 青柳(あをやぎ)の
枝くひ持ちて うぐひす鳴くも
   =巻10-1821 作者未詳=


 春霞が流れるようにたなびく季節には、青柳の枝をくわえてうぐいすが鳴くなあ。 という意味。

「なへに」=同時に、につれての意。「くひ持ちて」=くわえての意。

 一瞬の情景を客観的に描写した歌で、現在にも通じる感性である。
古代から鳳凰や鶴などのめでたい鳥が、花枝や松の枝などをくわえた姿を「花喰鳥」と呼び、いろいろな装飾に描かれている。鶯を見て花喰鳥を連想したのには、作者は何かおめでたいことがあったのかもしれない。


 この万葉歌碑は千曲市戸倉の千曲市役所戸倉支所前の歩道に全部で4基置かれているうちのひとつ。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 住吉公園 春の苑・・・

2012年11月05日 | 万葉アルバム(中部)

春の苑(その)紅にほふ桃の花
下照る道に出で立つ少女(をとめ)
   =巻19-4139 大伴家持=


春の園は紅色に照り輝いている。その桃の花の木陰までも輝いている道に、つと立っている少女の、なんと美しいこと!、という意味。

この歌は「にほふ」が効果的で、「にほふ」は”みずみずしい盛り”を暗示している。桃の花のみずみずしさと、少女の初々しさの両方にかけている。

題詞に、天平勝宝2年3月1日の夕暮れに、春の庭の桃と李の花を眺めて作った歌とある。
少女は、前年に越中に下向してきた家持の妻・坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)を指しているようだ。それまで四年近く越中国府(現在の高岡)として単身赴任であったが、やっと正妻が来た嬉しさをすなおに読んだ歌である。

家持は越中に来てからの四年間、寂しさや辛さをバネにしたおかげで、すばらしい万葉歌を多く作った。
逆境なくしては、名歌が生れなかったという、まさに人生のお手本であろう。


住吉公園(左:住吉の里碑、中央:春の苑万葉碑、右:住吉万葉碑)

 この万葉歌碑は上山田温泉街に入る手前の住宅街の一角にある住吉公園(千曲市上山田温泉4-32)に建っている2基の歌碑のひとつ。


万葉アルバム(中部):長野県、千曲市戸倉 戸倉支所前歩道 八千種に・・・

2012年11月01日 | 万葉アルバム(中部)

八千種(やちくさ)に 草木を植ゑて 時ごとに
咲かむ花をし 見つつしのはな
   =巻20-4314 大伴家持=


 いろいろな草木を植えて、季節ごとに咲く花を愛で偲びたいものだ。 という意味。

大伴家持は内舎人(うどねり)として聖武天皇に仕え、越中守として赴任していた(746~751)が、
少納言に任ぜられ帰京後、天平勝宝6年(754年)兵部少輔になったとある。
大伴家持がその年(754)の7月28日に詠んだ歌。
この歌の作られた少し前、7月19日に聖武天皇の母である太皇太后藤原宮子が崩御している。服喪期間中の作とみられる。

いろいろな草木を愛でながら脳裏で人を偲んでいるかのような、透き通った静かな心境で詠われたのであろう。


戸倉支所前の歩道に咲く花

 この万葉歌碑は千曲市戸倉の千曲市役所戸倉支所前の歩道に全部で4基置かれているうちのひとつ。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 千曲川万葉公園 石ばしる・・・

2012年10月29日 | 万葉アルバム(中部)

石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の
萌え出(い)づる春に なりにけるかも 
   =巻8-1418 志貴皇子=


 岩の上を激しく流れる滝のほとりのさ蕨が萌え出る春になったなあ。という意味.

有名な万葉歌のひとつ。早春の手にぬくもる温かさを感じる歌だ。
この歌の詳細は、こちらの万葉アルバムを参照。

 この万葉歌碑は千曲市上山田温泉の千曲川堤にある千曲川万葉公園(万葉橋南側)に建っている。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市倉科 大日堂園地

2012年10月15日 | 万葉アルバム(中部)

人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の
石井(いしゐ)の手児(てご)が 言(こと)な絶えそね
   =巻14-3398 作者未詳=


 世の中のすべての人の言い伝えが忘れられても、埴科の石井の美しい乙女の言い伝えはどうか絶やさないで欲しい。という意味。

手児は手児奈(てこな)で、万葉のころの美女。手児奈は、たくさんの男性に慕われるが全て断わるので、男達は手児奈を巡り相争ったため、誰かをとると他のものを不幸にしてしまうと、入り江に身を投げてしまうという、伝説の乙女。
各地に同様の伝説があり、千葉県市川の手児奈伝説は有名。


大日堂園地の上にある大日堂
大日堂は松代城初代城主真田信之の次女康子姫(見樹院)が如来を祀る堂として1673(寛文13)年に建立したお堂。

大日堂の下に池があり、その池の周りに、たくさんの碑が置かれており、手前の池の畔に万葉歌碑が建っている。


説明板によると、歌にある「埴科の石井」はこの地である、とされている。又、更埴市とあるが、更埴市は2003年に上山田町、戸倉町と合併し、現在は千曲市となっている。
そして万葉歌碑は奈良時代(推定年代759年「万葉集成る」)に建立されたとあり、驚き!
また康子姫が建立した大日堂の園地に美しい手児の万葉歌碑があるのは何かの縁なのか、調べてみたがまだわからないままである。

この地は千曲市倉科(くらしな)の中の石杭(いしくい)という地区で石杭は石井から変化したもので、明治末まで石井神社があり、「埴科の石井」はこの園地の泉という説がある。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 住吉公園 住吉の・・・

2012年10月11日 | 万葉アルバム(中部)

住吉(すみのえ)の 岸を田に墾(は)り 蒔(ま)きし稲(いね)
さて刈るまでに 逢はぬ君かも
   =巻10-2244 作者未詳=


住吉(すみのえ)の、岸を田に耕して蒔(ま)いた稲(いね)を、こうして刈るまで、ずっとあなたに逢っていません。という意味。

長い間逢えないことを嘆く女の歌。

住吉(すみのえ)は現在の大阪府住吉区(すみよしく)、住吉海岸の崖の台地あたり。「田に墾(は)り」は開墾すること。
住吉の上代の読み方が”すみのえ”、それ以降は”すみよし”。

 この万葉歌碑は上山田温泉街に入る手前の住宅街の一角にある住吉公園(千曲市上山田温泉4-32)に建っている2基の歌碑のひとつ。
このあたりはかつて住吉の地名があったところで、古代には稲作がさかんに行われていたところと想定できる。


万葉歌碑と共に、「住吉の里」碑が建っており、かつて稲作がさかんに行われていたところと記されている。
碑文には、
”住吉の地は下河原の南 前河原の西にあり、昔から稲作の適地であったことから、古代先人は「住吉」と名付けたものと思われる。江戸時代に六ヶ郷用水を女沢川の下に底樋を通して引水して以来、住吉は黄金色の稲穂が波うつ見事な水田地帯の景色であった。・・・”とある。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 千曲川万葉公園 瓜食めば・・・

2012年10月08日 | 万葉アルバム(中部)

瓜(うり)食(は)めば 子ども思(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ
何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ  眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ
   =巻5-802 山上憶良=

銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
勝(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも
   =巻5-803 山上憶良=


(巻5-802)
瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べるとさらにいっそう偲ばれる。いったい、子供というのはいかなる因縁によって来たものだろうか。目の先にちらついて安眠させてくれない。
(巻5-803)
銀も金も玉もなんの役に立とう。優れた宝も、子供に及ぶことなどあろうか。

お馴染みの歌である。
山上憶良は奈良時代の歌人で、遣唐使として渡唐、後に筑前守となる。「貧窮問答歌」に見られるような、人生の苦悩、社会の階級的矛盾を歌った。


千曲川万葉公園(万葉橋南側)
 この万葉歌碑は千曲市上山田温泉の千曲川堤にある千曲川万葉公園(万葉橋南側)に建っている。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 千曲川万葉公園 韓衣・・・

2012年10月04日 | 万葉アルバム(中部)

韓衣(からころむ) 裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
置(お)きてぞ来(き)のや 母(おも)なしにして
   =巻20-4401 他田舎人大島=


 衣の裾に取り付いて泣く子を置いて来てしまった。その子の母もいないのに。という意味。


作者は、国造(くにのみやつこ)小県(ちひさがた)の郡(こほり)の他田舎人大島(をさだのとねりおほしま)。
いわゆる防人である。防人は大陸からの攻撃を憂慮して、おもに東国の農村から徴兵された、九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵。

「小県(ちひさがた)の郡(こほり)」は長野県上田市の周辺をさす。
唐衣(または韓衣)は、唐風の着物のこと。

男やもめの防人が、子供らを、おそらく祖父母に預けて辺境の地に赴く、けがや病気で帰れない、ましてや帰るお金も持っていかない死出の旅であったのだ。とても悲しい歌なのである。


 この万葉歌碑は千曲市上山田温泉の千曲川堤にある千曲川万葉公園(万葉橋南側)に建っている。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 千曲川万葉公園 中麻奈に・・・

2012年09月29日 | 万葉アルバム(中部)

中麻奈(なかまな)に 浮き居(を)る舟の 漕(こ)ぎ出なば
逢(あ)ふことかたし 今日(けふ)にしあらずは
   =巻14-3401 作者未詳=


 千曲川に浮かんでいる船が漕ぎ出して行ってしまうのと同じように、もし行ってしまったら、逢うことが難しい。今日という日でなければ。という意味。

「中麻奈」についてはいくつかの説がある。ここでは(1)を採用した。
(1)「中麻奈」=千曲な、「な」は川に親愛をこめていう接尾語か。
「中」は「チグ」と訓まれた「沖」と同音である。したがって「中麻」=千曲。
(2)「中麻奈」=川の中州


千曲川万葉公園(南側)全景

 この万葉歌碑は千曲市上山田温泉の千曲川堤にある千曲川万葉公園(万葉橋南側)に建っている。
この歌碑は万葉学者の犬養孝氏が揮毫した。
歌碑文は以下の万葉仮名が採用されている。
 「中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弓奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波」

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市倉科 倉科公民館

2012年09月24日 | 万葉アルバム(中部)

人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の
石井(いしゐ)の手児(てご)が 言(こと)な絶えそね
   =巻14-3398 作者未詳=


 世の中の誰も声を掛けてくれなくなっても、埴科の石井の愛しいあの娘だけは言葉を絶えさずにいて欲しい。という意味。

手児は手児奈(てこな)で、万葉のころの美女。手児奈は、たくさんの男性に慕われるが全て断わるので、男達は手児奈を巡り相争ったため、誰かをとると他のものを不幸にしてしまうと、入り江に身を投げてしまうという、伝説の乙女。


この万葉歌碑は千曲市倉科1412(かつては更埴市倉科石井)にある倉科公民館の庭に建っている。

万葉歌碑の説明版を以下に記す。
”倉科区は古くから九条城興寺領倉科の庄「石井の里」と称されています。
 万葉集にある石井は区の中央に存在している倉科神社(旧石井神社)旧倉科小学校跡(現在の公民館)の地籍であるといわれています。
 また一説には石井の転化語(石井のことばの音がなまって石杭と変わった)となった現在の大日堂園地を中心とした石杭の地籍であると考えられています。いづれにしても埴科の石井は倉科地区全体をさしていったのではないかと思われます。
 比等未奈乃 許等波多由登毛 波尓思奈能
 伊思井乃手児我 許等奈多延曽称
(人皆の言は絶ゆとも 埴科の石井の手児が 言な絶えそね)
歌の意味は「世の人のすべての言葉の往き来は絶えようとも埴科の石井にいる美しく愛らしい乙女の言葉 言い伝えはどうか絶やさないでほしい」ということです。
 現在万葉歌碑が石杭の大日堂園地泉のほとりと倉科公民館前庭の一角に建立されています。石杭の歌碑は松代藩主真田幸弘お抱歌学者 大村光枝とその門人によって建てられたと思われます。公民館前の歌碑は平成二年三月当時の区役員や史跡保存会員らによって建立されました。”


倉科神社(旧石井神社)
倉科区の中央にあり、倉科公民館とは道路隔てて隣接している。
このあたりがかつての石井の里と考えられている。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 千曲川万葉公園 みこも刈る・・・

2012年09月18日 | 万葉アルバム(中部)

みこも刈る 信濃の真弓 我が引かば
貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも
   =巻2-96 久米禅師=

みこも刈る 信濃の真弓 引かずして
弦(お)はくるわざを 知ると言はなくに
   =巻2-97 石川郎女=


久米禅師が石川郎女にプロポーズし、郎女は弓を引きもしないでと返している。
(巻2-96)信濃の真弓を引くように私があなたの心を引いたならば、高貴な人らしくていやだとおっしゃるでしょうか。
(巻2-97)信濃の真弓を引きもしないで、弦をかけるすべを知っているとは言わないものですが。

本気になって女を誘ってみもしないで、女を従えることなどできるものですか、という意をこめた歌。
「みこも刈る」は信濃の枕詞。「真弓」は檀(まゆみ)製の弓、信濃は弓の産地として聞こえていた。
(新潮日本古典集成 万葉集による) 


千曲川万葉公園(南側)全景

 この万葉歌碑は千曲市上山田温泉の千曲川堤にある千曲川万葉公園(万葉橋南側)に建っている。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市戸倉 戸倉支所前歩道 萩の花・・・

2012年09月10日 | 万葉アルバム(中部)

萩(はぎ)の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの
鳴くなるなへに 秋の風吹く
   =巻10-2231 作者未詳=


 萩の花の咲いた野辺にひぐらしが鳴くとともに、秋の風が吹く。という意味。

夏の暑さが過ぎ、萩や蜩や秋のさわやかな風に、まっさきに秋の気配を感じるのは、古代も現代も同じようだ。
万葉の感性が現代にそのまま通じ、古代の人の気持ちと共有できる一体感を、この歌から感じとることができる。

「~なるなへに」は、「~しているのと同時に」という意味。
「蜩(ひぐらし)」は夜明けや日暮れに時を決めて、かな、かな、かな、と鳴く。

巻10の秋雑歌のなかの”風を詠む”3首のうちのひとつ。


写真は千曲市役所戸倉支所の中庭、写真左手が歩道になっている

 この万葉歌碑は千曲市戸倉の千曲市役所戸倉支所前の歩道に全部で4基置かれているうちのひとつ。

万葉アルバム(中部):長野県、千曲市 千曲川万葉公園 信濃道は・・・

2012年09月05日 | 万葉アルバム(中部)

信濃道(しなのぢ)は 今の墾道(はりみち) 刈(か)りばねに 
足踏(ふ)ましなむ 沓(くつ)はけわが背(せ)
   =巻14-3399 東歌=


 信濃路は新しく切り開らかれたばかりの道。切り株に足を踏んだりしませんように、沓をおはきなさい。という意味。

「背(せ)」とは、女の人が恋人や夫、兄や弟など、心から大事に思う男性を指す際に使う言葉。
逆の男性から女性を指す場合は「妹(いも)」を使う。

和銅6年(713)に信濃と美濃を結ぶ道が12年がかりで開通したと続日本紀に書かれている。また飛鳥時代の末期からは、信濃国における官道の開発がすすんでいた。
官道とはいえ切り株の多い道だから、奮発して沓を履いて行ってくださいと、夫を気遣っている。
沓(くつ)といっても、当時はわらじのことのようで、庶民は素足で往来していたのが一般的なのだった。
非常に素直な愛情表現で、言葉の独特の響きが魅力でもある。

 この万葉歌碑は千曲市上山田温泉の千曲川堤にある千曲川万葉公園(万葉橋南側)に建っている。



万葉アルバム(中部):長野県、坂城町 会地早雄神社

2012年08月27日 | 万葉アルバム(中部)

ちはやふる 神(かみ)の御坂(みさか)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り
斎(いは)ふ命(いのち)は 母父(おもちち)がため
   =巻20-4402 神人部子忍男=


 荒ぶる神が居られる峠道に幣をささげてわが命の無事を祈るのは、国にいる母と父のためだ。 という意味。

作者は主帳(しゆちやう)埴科(はにしな)の郡(こほり)の神人部子忍男(かむとべのおしを) 。
歌を詠んだのは信濃の郡役人であるが、この峠は信濃から美濃への御坂峠と考えられている。
防人として九州に出向く信濃国の埴科郡(坂城町付近)の若者が、神坂峠を越えていくときに歌ったもの。峠を越えて西国に行くことは、当時としては決死の覚悟であった。

会地早雄神社(おうちはやお)は長野県埴科郡(はにしなぐん)坂城町(さかきまち)南条31の北側にある。
上田市から車の往来の激しい北国街道を走り、次の坂城町に入った街道に面して石鳥居が見えてくる。
神社の入り口付近の雨よけの屋根の下に天保年間に建立された万葉仮名の歌碑と芭蕉付句塚のふたつが建っている。
万葉歌碑は鼠宿に生まれた滝沢公庵により文政8年(1825)に建立されたという古いものである。


芭蕉付句塚(明治24年、建立)
膝行(いざり)ふ便や姨捨の月 翁
散花に垣根を穿つ鼠宿 嵐雪


神社の裏手には山がせり出し大きな奇石が社殿に接している。


近くの鼠橋からの千曲川
このあたりは千曲川とせり出した山に挟まれた地で鼠宿(ねずみじゅく)と呼ばれる北国街道の宿場の南端だった。