大君は 神にしませば 天雲の
雷(いかずち)の上に 廬(いお)らせるかも
=巻3-235 柿本人麻呂=
大君(おほきみ)は神でいらっしるので、雷(いかづち)の上に仮宮をお作りになっていらっしゃる。という意味。
この歌は天皇が雷岳(いかずちのおか)に行幸した時、柿本人麻呂が作った歌で、
「天雲の雷の上に」という表現から雷岳は壮大な山のように感じられるが、実際はわずか高さ20メートルほどの小さな丘なのである。こんな小さな丘に天皇がいほりしたのは、雨乞いだったのではないかと考えられる。
ここでの「大君」は、持統天皇ではないかとみられている。
平安時代初期に編集された説話集・「日本霊異記」に、雄略天皇(5世紀後半ごろ)の侍者、小子部栖軽(ちいさこべのすがる)に呼びつけられた雷神が雷丘に落ち、地上の雷を捕らえたとあるほか、栖軽の死後に墓を建てたとの記述もある。
当時すでに雷神が雷丘に落ちたという伝承があり、雨乞いの重要な場所だったのであろうか。
この万葉歌碑は、雷丘の道路脇に建てられている。