飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 吉井町飯玉神社

2014年11月13日 | 万葉アルバム(関東)


多胡(たご)の嶺(ね)に 寄綱(よせつな)延(は)へて 寄すれども
あにくやしづし その顔よきに
   =巻14-3411 作者未詳=


 (多胡の嶺に寄せ綱をかけて引き寄せるように)あの娘を靡かせようとしてもそ知らぬ顔をしている。その美しい顔で。という意味。

上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

「多胡(たご)の嶺(ね)」は群馬県吉井町の南西の山。
「寄綱(よせつな)」引き寄せる綱。
「延(は)へて」は、張ルの意味を持つ下二動詞、延(ハ)フの連用+接続助詞テ。
「寄すれども」は寄スの已然形寄スレ+接続助詞ドモで、引キ寄セタケレドモ。
「あにくやしづし」は不詳も、ソシラヌフリヲシテをとった。
「よきに」は、ヨシの連体形+接続助詞ニ。このニは、文脈により、順接・逆接等さまざまな用法がある。


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市吉井町馬庭226 飯玉(いいだま)神社に建っている。
飯玉神社は上信電鉄上信線馬庭駅の西80mにある。

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 29地点:金井沢碑入口

2014年10月26日 | 万葉アルバム(関東)


八隅しし わご大君 かむながら 神さびせすと
芳野川 たきつ河内に 高殿を 高知りまして 
登りたち 国見をすれば たたはなる 青垣山
山神之奉る 御調と 春べは 花かざし
持ち秋立てば 黄葉かざせり ゆきそふ川の 神も大御食に
仕え奉ると 上つ瀬に 鵜川え お立ちて下つ
瀬に小網さし 渡す山川も 依りてつかふる 神の御代かも
   =巻1-38 柿本人麻呂=


(大意) あまねく国土をお治めになるわが天皇が、さながらの神として神々しくおられるとて、吉野川の流れ激しい河内に、高い宮殿もいや高くお作りになり、登り立って国土をご覧になると、重畳する青い垣根のごとき山では、山の神が天皇に奉る御調物として、大宮人らは春には花をかざしに持ち、秋になるともみじを頭に挿している。宮居を流れる川の神も、天皇の食膳に奉仕するというので、大宮人は上流には鵜飼を催し、下流にはさで網を渡している。山も川もこぞってお仕えする神たる天皇の御世よ。(講談社文庫「万葉集」による)

 持統天皇の吉野行幸の時、従駕した人麻呂の献上した歌。
当時、呪術と政治は一体で、神祇(天の神と地の神)の祭祀をつかさどる神祇官や呪術全般を管轄する陰陽寮がおかれ、まじないや占いが大々的におこなわれた。
吉野宮に皇族や群臣が居並ぶなか、人麻呂が吉野川と吉野の山々に向かいこの万葉歌を歌う。実際にはは雨が降らず吉野川は干上がっているため、天皇みずから雨乞い行事を行ったのではないかとも想像できる。


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、29地点:金井沢碑入口に建っている。


金井沢碑(建屋と内部の碑)
金井沢碑は、神亀 3(726)年に立てられた石碑で、高さ111センチの輝石安山岩の自然石に112字が刻まれている。山上碑・多胡碑と合わせて上野三碑と呼ばれている。古代豪族三家氏が、先祖供養のため造立したもので、三家氏は山上碑に記された「佐野三家」(ヤマト政権の地方支配拠点)を経営した豪族の末裔とみられる。

   →高崎自然歩道マップはこちらのブログを参照

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 28地点:金井沢碑への分岐点

2014年10月12日 | 万葉アルバム(関東)


吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの
山のしづくにならましものを
   =巻2-108 石川郎女=



 私を待って、あなたがお濡れになったというその山のしづくに、私がなれたらいいのに。という意味。

あしひきの山のしづくに妹待つと われ立ち濡れぬ山のしづくに
   =巻2-107 大津皇子=

(あなたを待って立ち続け、山の木々から落ちてくるしずくに濡れてしまいましたよ。)

の大津皇子の歌に、答えた歌が巻2-108の石川郎女の歌である。

石川郎女は草壁皇子の妻の一人であったらしい。人目につかない深夜、彼女の住んでいる山ぎわにある邸宅の塀の前まで、彼女に逢いたい近づきたい一心で行ったのであるが、それ以上入ろうとはせずに、夜露に濡れながらじっと佇んでいるのである。郎女は何か事情があったのだろう、約束の場所には行けなかった。
 しかしこれは実際に行って夜露に濡れたわけではなく、逢いたいという思いを込めた一種の恋文と解釈できる。郎女はそのあとの返歌で、山のしづくになりたくてもなれない身の上を嘆いて、丁重に断わったのでないかと思う。
 
 草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていた大津皇子の反逆事件の裏には、石川郎女をめぐる草壁皇子と大津皇子の愛憎がからんでいたようだ。


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、28地点:金井沢碑への分岐点に建っている。

   →高崎自然歩道マップはこちらのブログを参照

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 新5地点

2014年09月15日 | 万葉アルバム(関東)


あしひきの 山のしづくに 妹待つと
我れ立ち濡れし 山のしづくに
   =巻2-107 大津皇子=


 あなたを待って立ち続け、山の木々から落ちてくるしずくに濡れてしまいましたよ。という意味。

 これに石川郎女(いしかわのいらつめ)が答えた歌が、

吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの
山のしづくにならましものを
   =巻2-108 石川郎女=

 私を待って、あなたがお濡れになったというその山のしづくに、私がなれたらいいのに。という意味。

石川郎女は草壁皇子の妻の一人であったらしい。人目につかない深夜、彼女の住んでいる山ぎわにある邸宅の塀の前まで、彼女に逢いたい近づきたい一心で行ったのであるが、それ以上入ろうとはせずに、夜露に濡れながらじっと佇んでいるのである。郎女は何か事情があったのだろう、約束の場所には行けなかった。
 しかしこれは実際に行って夜露に濡れたわけではなく、逢いたいという思いを込めた一種の恋文と解釈できる。郎女はそのあとの返歌で、山のしづくになりたくてもなれない身の上を嘆いて、丁重に断わったのでないかと思う。
 
 草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていた大津皇子の反逆事件の裏には、石川郎女をめぐる草壁皇子と大津皇子の愛憎がからんでいたようだ。


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ新4地点:金井沢川の小橋渡って川沿いに歩き、車道にぶつかったところに建っている。
(高崎自然歩道の終盤、金井沢川マップ新1地点から続く歌碑5点は、この地に放置され倒れていたものを、最近になって整備して設置されたものだという。入手した高崎自然歩道マップ上には歌碑の案内が示されておらず、私が見つけてマップ上に新1地点から新5地点として記した。

   →高崎自然歩道マップはこちらのブログを参照


万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 新3地点

2014年08月03日 | 万葉アルバム(関東)


難波道(なにはぢ)を 行(ゆ)きて来(く)までと 吾妹子(わぎもこ)が
付けし紐が緒 絶えにけるかも
   =巻20-4404 作者未詳=



 難波へ行って帰って来るまでといってわが妻が着けてくれた紐が切れてしまった。という意味。

「難波道(なにはぢ)」は難波への路。実際には筑紫か。「紐(ひも)が緒(を)」は紐のこと。「絶(た)えにけるかも」は、切レルの意の絶ユの連用形絶エ+完了の助動詞ヌの連用形ニ+過去・詠嘆の助動詞ケリの連体形+詠嘆の終助詞カモ。


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ新3地点:金井沢川の小橋渡って川沿いに、すこし行ったところに建っている。
(高崎自然歩道の終盤、金井沢川マップ新1地点から続く歌碑5点は、この地に放置され倒れていたものを、最近になって整備して設置されたものだという。入手した高崎自然歩道マップ上には歌碑の案内が示されておらず、私が見つけてマップ上に新1地点から新5地点として記した。

   →高崎自然歩道マップはこちらのブログを参照

万葉アルバム(関東):茨城県、下妻市 糸繰川堤防

2014年07月27日 | 万葉アルバム(関東)


新治(にひばり)の 鳥羽の淡海(あふみ)も
秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば
   =巻9-1757 東歌=


(大意) 草枕の旅の憂いを慰めてくれるかと、筑波嶺に登りって見ると、ススキの穂が散る師付の田居を雁が来て寒々と鳴いていた。新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っていた。筑波嶺のよい景色を見ていたら、長い日々思い悩み重ねてきた憂いが止んでいた。

「新治」は、常陸国の郡名で、茨城県真壁郡・下妻市、西茨城郡西部の地。筑波山の西北方。しかし、ここでは、新しく土地を開墾した田の意をいう。沼地であったのを田んぼに開拓したのだろう。
「鳥羽の淡海」は、筑波山の西麓にあった湖。小貝川近くの沼地を鳥羽の淡海というらしい。

 この歌碑は巻9-1757 長歌から抜粋した一部をのせている。以下に巻9-1757 長歌全文を記す。
 
筑波山(つくはのやま)に登れる歌一首 并せて短歌
 草枕(くさまくら) 旅の憂(うれ)へを
 慰(なぐさ)もる 事もありやと
 筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば
 尾花散る 師付(しづく)の田居(たゐ)に
 雁(かり)がねも 寒く来(き)鳴きぬ
 新治(にひばり)の 鳥羽の淡海(あふみ)も
 秋風に 白波立ちぬ
 筑波嶺の よけくを見れば
 長き日(け)に 思ひ積み来(こ)し
 憂へは息(や)みぬ


下妻市比毛の小貝川付近から眺めた筑波山


この万葉歌碑は下妻市比毛・糸繰川堤防に立っている。


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万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 新2地点

2014年07月20日 | 万葉アルバム(関東)


巌(いわほ)ろの 岨(そひ)の若松(わかまつ) 限りとや
君が来まさぬ 心(うら)もとなくも
   =巻14-3495 作者未詳=



 (大きな岩の重なる断崖に生える若松のように)これを限りと、貴方はいらっしゃらないのでしょうか。私は待ち遠しく思っています。という意味。

「巌(いはほ)」は大きな岩、又は、伊香保の訛り説も。
「岨(そひ)」は急斜面。
「君が来まさぬ」は、君+格助詞ガ+来(ク)の連用形+尊敬の補助動詞マスの未然形+打消しのズの連体形。
「心(うら)もとなくも」は、待ち遠しいことに。


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ新2地点:高崎自然歩道の終盤、金井沢川の小橋渡って川沿いに、すこし行ったところに建っている。
マップ新1地点から続く歌碑5点は、この地に放置され倒れていたものを、最近になって整備して設置されたものだという。入手した高崎自然歩道マップ上には歌碑の案内が示されておらず、私が見つけてマップ上に新1地点から新5地点として記した。

   →高崎自然歩道マップはこちらのブログを参照

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 新1地点

2014年07月06日 | 万葉アルバム(関東)


一嶺(ひとね)ろに 言はるものから 青嶺(あおね)ろに 
いさよふ雲の 寄そり妻はも
   =巻14-3512 作者未詳=



 あの娘とは一つ山の仲だと、世間は言っているものの、いざ俺と寝ろと云ったら、青い嶺にいさよう雲のようにためらっている娘、あの寄そり妻よ。という意味。

「一嶺ろ」:「嶺」に「寝」の意をにおわす。
「青嶺ろに」:「我を寝ろ」の意をかける。
「寄そり妻」:世間の人が噂で自分とくっつけてしまっている妻。
「はも」:眼前にないものを思いやる詠嘆。
       <新潮日本古典集成より>


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 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ新1地点:小橋の上に建っている。(高崎自然歩道の終盤、金井沢川にぶつかる地点、金井沢川にかかる小橋をすこし上ったところ)
マップ新1地点から続く歌碑5点は、この地に放置され倒れていたものを、最近になって整備して設置されたものだという。入手した高崎自然歩道マップ上には歌碑の案内が示されておらず、私が見つけてマップ上に新1地点から新5地点として記した。

   →高崎自然歩道マップはこちらのブログを参照


万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 27地点

2014年06月22日 | 万葉アルバム(関東)


伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど
吾が恋のみし 時なかりけり
   =巻14-3422 作者未詳=



 伊香保から吹いてくる風さえ吹いて来る日もあれば、吹かぬ日もあります。でも私があなたを想う気持ちは四六時中、絶えることはありません。という意味。

「伊香保風」とは現在の赤城颪、榛名颪の空っ風のことで、上州名物空っ風は昔も吹いていたのである。「時無かりけり」は、いつと定まった時がないよ、の意。

東歌にしては方言もなく非常にわかり易い歌である。風と恋との対比が一途でおおらかさを感じさせる。


万葉歌碑篆刻
 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ27地点に建っている。

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 26地点 夕闇は・・・

2014年06月15日 | 万葉アルバム(関東)


夕闇は 道たづたづし 月待ちて
行かせ吾が背子 その間にも見ん
   =巻3-709 豊前国の娘子、大宅女=


 夕闇は路が確かではありません。月が出るのを待ってお出かけなさい。貴方。その間、貴方を見ていたいのです。という意味。

作者は豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子(をとめ)、大宅女(おほやけめ)。
豊前国は現在の福岡県西部から大分県北西部。大宅女は遊行女婦(うかれめ)ではないかとみられる。
大伴家持が酒宴の席で何人かの遊行女婦と交歓した歌が巻3にのっている。その中のひとつ。

「たづたづし」は「たどたどしい」。「行かせ」は行クの尊敬語イマスの命令形。


高崎自然歩道、マップ26地点付近
 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ26地点に建っている。

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 25地点 上毛野・・・

2014年06月01日 | 万葉アルバム(関東)


上毛野(かみつけの) 佐野の茎立(くくたち) 折りはやし
吾は待たむゑ 今年(ことし)来(こ)ずとも
   =巻14-3406 作者未詳=


 上野(かみつけ)の佐野の、菜を折って、料理して、私は(いつまでも)待っていますわ、たとえ今年は、あなたがいらっしゃらなくても・・・。という意味。

「くく‐たち」【茎立ち】「くく」は茎の意。カブ、アブラナなどの野菜。また、薹(とう)のたった野菜。
「はやし」は、包丁で切ったりして料理すること。


<あぶら菜>
「くくたち」(万葉表記  九久多知 ):アブラナ科の菜葉菜の総称か。
茎立は、春早く薹の立ったカブやアブラナなどを言い、古代では重要な食料だった。
現在でも”あぶら菜”を”くきたち菜”として販売しているところがある。
雪解け後に伸びてくる柔らかい茎とつぼみはやわらかくボキっと折って、お浸し、和え物、煮浸しなどに利用する。


万葉歌碑篆刻<クリックで拡大>
 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ25地点に建っている。

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 24地点 いはゐ蔓(つら)

2014年04月04日 | 万葉アルバム(関東)


上毛野(かみつけの) 可保夜(かほや)が沼の 伊波為蔓(いわいつら)
引かばぬれつつ 吾(あ)をな絶えそね
   =巻14-3416 作者未詳=


  (上野の可保夜が沼のいはゐ蔓(つら)のように引けば抜けて)私と切れることはあってくれるな。という意味。

「上野(かみつけの)」は群馬県。
「可保夜(かほや)が沼(ぬま)」は所在未詳。
「いはゐ蔓(つら)」はスベリヒユスベリヒユ科)、しかし歌の様子から沼に生える「ジュンサイ」がふさわしいようだ。


夏の風物詩と言われる「じゅんさい」は、淡白な味とツルンとした舌触りが珍重されている。昔から沼に自生していたが、今では転作水田を利用した沼で収穫されることが多くなった。


 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ24地点に建っている。

万葉アルバム(関東):茨城県、下妻市 大宝八幡宮・若宮八幡宮 狛犬

2013年12月24日 | 万葉アルバム(関東)


筑波嶺の 新桑繭(にひぐはまよ)の 衣(きぬ)はあれど
君が御衣(みけし)し あやに着欲(きほ)しも
   =巻14-3350 東歌=


筑波嶺の新しい桑の葉で飼った蚕の繭の着物はあるけれど、あなたの着物が無性にきたいものよ。という意味。

「新桑(にひぐは)」は、桑(くは)の新芽のこと。新桑(にひぐは)で育てた蚕で作られた絹の衣は高級品だったようだ。繭(まよ)は、蚕(かいこ)のまゆのこと。


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 この万葉歌碑は茨城県下妻市の大宝八幡宮の境内、若宮八幡宮の狛犬の裏側には万葉歌が刻まれている。
正面向かって右(写真では左側になる)の狛犬台座に万葉仮名で、左の狛犬台座に現代語訳で。

碑文(正面向かって右の狛犬台座)
 筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼抒 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母
            或本歌曰 多良知祢能 又云 安麻多伎保思母

 平成18年1月元旦の建立とある。

大宝八幡宮は大宝元年(701)に藤原時忠公が筑後の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまり。平将門も戦勝祈願のためたびたび参拝し、源頼朝は奥州征伐平定の日に鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請し、摂社若宮八幡宮を創建したとされる。

万葉アルバム(関東):茨城県、下妻市 大宝八幡宮・若宮八幡宮入口

2013年12月23日 | 万葉アルバム(関東)


梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず
わが家(へ)の園に ありこせぬかも
   =巻5-816 小野老=


梅の花よ、今咲いているように、散り過ぎることなく我が家の庭に咲き続けておくれ。という意味。

作者の小野老(おののおゆ)(?~737年)は天平2年(730年)ごろ九州で大宰少弐として大伴旅人の下におり、同9年に大宰大弐従四位下で没した。
この歌は大宰府の大宰府長官大伴旅人宅で開催された梅花の宴での梅花を詠んだもの。

 この万葉歌碑は茨城県下妻市の大宝八幡宮の境内、若宮八幡宮の入口脇に立っている。比較的新しいもののようだ。
裏面に建立日 平成二十五年四月三日 大木昇・百合子  下妻市 とあった。

奥に見える狛犬の裏側には万葉歌が刻まれている(これはこちらの万葉アルバムで)。

万葉アルバム(関東):群馬県、高崎市 高崎自然歩道 14地点:根小屋城址への分岐点手前

2013年12月14日 | 万葉アルバム(関東)


伊香保ろの やさかの堰手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
現(あら)はろまでも さ寝をさ寝てば
   =巻14-3414 作者未詳=


 伊香保の高い井堰の上に現れる虹がはっきりと見えるように、人目につくまで一緒に寝ていられたらなぁ。という意味。

かなり露骨でエロっぽい歌であるが、民謡的で素朴さが感じられる。

「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の榛名山周辺をさす。「夜左可(やさか)」は地名であろうが、所在不明。「井手(ゐで)」は水をせき止める設備。「虹(のじ)」はニジの上代東国方言。

 この万葉歌碑は群馬県高崎市の高崎自然歩道、マップ14地点:根小屋城址への分岐点手前に建っている。