飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

万葉アルバム(奈良):橿原市常磐町 春日神社

2015年08月20日 | 万葉アルバム(奈良)


玉桙(たまぼこ)の 道は遠けど はしきやし
妹(いも)を相見に 出でてぞ我が来(こ)し   
   巻9-1619 大伴家持=


玉ぼこの道は遠いけど、愛しいあなたに会うために、はろばると私はやって来ましたよ、という意味。

大伴氏は竹田の庄(橿原市)と跡見(とみ)の庄(桜井市外)を経営していた。天平11年(739年)、竹田の庄(橿原市)に下向していた叔母・大伴坂上郎女のもとを、家持が訪ねたときに交わした歌で、このとき家持は23歳、「妹」はふつう男性から恋人に対してかける言葉ですから、叔母に対して用いるのは一般的ではありません。少しふざけて、庄への訪問を、逢引にやって来たように謡ったものだろうか。 
 

 この万葉歌碑は、橿原市常磐町 春日神社に建つ。

万葉アルバム(奈良):橿原市中曽司町 磐余神社

2015年08月10日 | 万葉アルバム(奈良)


ま菅よし 宗我(そが)の川原に 鳴く千鳥
間なし我が背子 我が恋ふらくは  
   巻12-3087 作者未詳=


曽我川の川原でいつまでも鳴いている千鳥のように、いつも私が恋い焦がれるのは、ほかでもない、あなたなのです、という意味。

宗我の河原は曽我川のこと。御所市重坂峠に発し、橿原市中曽司町で桧隈川を合わせ、東の飛鳥川、西の葛城川と並んで北流し、大和川に注ぐ。 曽我町は蘇我氏の本拠ともいわれる。 
 

 この万葉歌碑は、橿原市中曽司町 磐余神社に建つ。
曽我川の右岸に鎮座する磐余神社。平成に入って随所が改修新築されたため境内は真新しく、すがすがしい雰囲気に満ちている。鳥居をくぐってすぐ左手に、柿本人麻呂の万葉歌碑が建つ。
橿原市の旧真菅(ますが)村は、元々「宗我村」と呼ばれており、蘇我氏と縁の深い地域。菅(すが)は須賀、蘇我のことだろう。