飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

万葉アルバム(明日香):雷橋右岸上流堤 我がやどの・・・

2012年01月30日 | 万葉アルバム(明日香)

我がやどの 蒔きしなでしこ いつしかも
花に咲きなむ なそへつつ見む
   =巻8-1448 大伴家持=


 私の庭に蒔(ま)いた撫子(なでしこ)は、いつになったら咲くでしょうか。咲いたらあなただと思って見ようと思っています。という意味。

大伴家持(おとものやかもち)が、大伴家持が最初に恋心を抱いたひとで、のちに正妻にした坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈った歌。家持は何と15,6歳。坂上大嬢はまだ12、3歳の少女であった。
坂上大嬢は大伴坂上郎女の娘で、郎女は大伴旅人の妹であり、家持は旅人の子、すなわち坂上大嬢は家持にとっては従妹にあたる。古代の日本においては、同族間での結婚は珍しいことではなかったのである。


撫子(なでしこ)は、ナデシコ科ナデシコ属の多年草で現在のカワラナデシコにあたる。秋の七草の一つ。7月~10月にかけて河原や野原に咲いていて、花の先が細かく切れ込んでいるのが特徴。淡い紅色が主だが、白い花もある。

万葉集には26首と多く詠まれており、恋の歌に使われている場合が多い。

この万葉歌碑は、明日香村の雷橋右岸上流堤に建てられている。
家持は奈良の佐保で育ち、明日香を訪れたことはなかったと思うが、名門豪族だった大伴氏の本拠地は、大和盆地東南部(橿原市・桜井市・明日香村付近)だったらしく、皇室・蘇我氏の本拠と隣接するここ明日香だったようだ。

万葉アルバム 花、はぎ

2012年01月23日 | 万葉アルバム(自然編)

高円(たかまと)の 野辺(のべ)の秋萩 いたづらに
咲きか散るらむ 見る人無しに
   =巻2-231 笠金村=


 高円山の野のほとりの秋萩は、空しく咲いて散っているらしい。もう見る人もいないのに、という意味。

「梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて・・」と葬列のたいまつの送り火を切々と歌う野辺送りの長歌(巻2-232)につづく反歌で、万葉集を代表する晩歌のひとつである。
霊亀(れいき)元年(715)に志貴皇子が亡くなったのを悲しんで詠んだ歌の一つ。

ハギ(萩)は、マメ科ハギ属の総称。落葉低木。秋の七草のひとつで、花期は7月から10月。分布は種類にもよるが、日本のほぼ全域。古くから日本人に親しまれ、万葉集の中によまれた植物の中で萩は141首あり、花としては最も多い植物である。万葉集に詠まれている萩は「ヤマハギ(山萩)」のことだそうだ。
万葉で2.3位のうめ・さくらに比べて、地味なはぎが万葉人に愛されたのは現代の我々からみると不思議に思われる。
当時は山野にヤマハギが多く見られ、地味ではかない花々が万葉人の心をとらえたのであろうか。

こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。

万葉アルバム(明日香):飛鳥橋北

2012年01月19日 | 更新情報
         (写真・記事更新しました)


明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
流るる水も のどにかあらまし
   =巻2-197 柿本人麻呂=


明日香川にしがらみをかけ渡してせきとめんとしたら、流れる水もゆったりしているだろうに。という意味。

 奈良県高市郡の山中から、冬野川と合流して明日香村を北西に縦断するように飛鳥川は流れている。
「しがらみ」は、本来水量を調節したりする為のものだが、歌の中では「自然な流れを遮る物」として用いられる場合が多い。早世した皇女を悼んで、川にしがらみがあれば、流れはもっと緩やかであったであろうに、そのようにあってほしかったと詠っている。

この歌は、明日香皇女のきのへの殯宮の時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并に短歌とある。
明日香皇女(あすかのひめみこ、生年不詳 - 文武天皇4年4月4日(700年4月27日))は、天智天皇皇女。飛鳥皇女ともいう。母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。同母の妹は新田部皇女。忍壁皇子の妻とする説がある。
文武天皇4年(700年)、浄広肆の位で4月4日に死去。もがりの折に柿本人麻呂が、夫との夫婦仲の良さを詠んだ挽歌を捧げた。
明日香皇女は、持統天皇の訪問を受けたり、彼女の病気平癒のために108人の沙門を出家させたりなど、他の天智天皇皇女に比べて異例の重い扱いを受けている。

 この万葉歌碑は高市郡明日香村飛鳥の飛鳥橋北に建つ。
写真の手前にあるのが槻の木、背後に見えるのが甘樫の丘である。(2011/11/14写す)

またこの橋のたもとに最近(平成23年5月)「槻の木広場」が整備された。
日本書紀に飛鳥寺に西門外にあった広場に槻(ツキはケヤキのこと)の大樹があり、さまざまな行事に使われたとある。ここで行われた有名な中大兄皇子と中臣鎌子の蹴鞠の会での出会いのエピソードは有名である。

万葉アルバム(明日香):雷丘

2012年01月16日 | 万葉アルバム(明日香)

大君は 神にしませば 天雲の
雷(いかずち)の上に 廬(いお)らせるかも
   =巻3-235 柿本人麻呂=


 大君(おほきみ)は神でいらっしるので、雷(いかづち)の上に仮宮をお作りになっていらっしゃる。という意味。

この歌は天皇が雷岳(いかずちのおか)に行幸した時、柿本人麻呂が作った歌で、
「天雲の雷の上に」という表現から雷岳は壮大な山のように感じられるが、実際はわずか高さ20メートルほどの小さな丘なのである。こんな小さな丘に天皇がいほりしたのは、雨乞いだったのではないかと考えられる。
ここでの「大君」は、持統天皇ではないかとみられている。
平安時代初期に編集された説話集・「日本霊異記」に、雄略天皇(5世紀後半ごろ)の侍者、小子部栖軽(ちいさこべのすがる)に呼びつけられた雷神が雷丘に落ち、地上の雷を捕らえたとあるほか、栖軽の死後に墓を建てたとの記述もある。
当時すでに雷神が雷丘に落ちたという伝承があり、雨乞いの重要な場所だったのであろうか。

この万葉歌碑は、雷丘の道路脇に建てられている。


万葉アルバム 樹木、つるばみ(クヌギ)

2012年01月12日 | 万葉アルバム(自然編)

紅(くれない)は うつろふものぞ 橡(つるばみ)の
なれにし衣に なほしかめやも
   =巻18-4109 大伴家持=


紅(くれない)で染めた衣はきれいでしょうが、色があせやすいものです。橡(つるばみ)で染めた衣は地味でも慣れ親しんでいるので、やはり良いものですよ。という意味。

大伴家持が妻がいるのに若い女に心変わりした部下をさとして歌った。

橡(つるばみ)は現代名クヌギでブナ科の落葉高木。
山地に自生し、初夏、黄色の花が咲き、成熟してドングリとなる。実は椀に似たかさの中に入っている。かさを煮た汁は、濃い鼠色の染料となる。
 橡(つるばみ)色
つるばみを詠める歌は万葉集に6首ある。

こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。


万葉アルバム 樹木、ひさぎ(アカメガシワ)

2012年01月09日 | 更新情報
(画像追加しました)




ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木(ひさぎ)生ふる
清き川原に 千鳥しば鳴く
   =巻6-925 山部赤人=


夜が更け果てると、久木の生える清らかな川原に、千鳥がしきりに鳴くことよ。という意味。

ぬばたまは夜にかかる枕詞。

この歌は725年聖武天皇が吉野離宮へ行幸された折に詠われたもので、長短歌3首で構成されており、自然の叙景を前面に打ち出した山部赤人の傑作とされている。
  み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には
  ここだも騒ぐ 鳥の声かも  
   =巻6-924 山部赤人=  →万葉アルバム
の歌に続く短歌であり、924が昼間の現実の情景に対し、925は夜更けに昼間の情景を思い起こした静かな歌である。川は吉野の渓流である象(きさ)の小川。

万葉の”ひさぎ”は現在のアカメガシワ。落葉高木で山地に自生。夏、淡い黄色の花が咲く。葉は大きく、昔は食物を盛るのに利用した。新芽が赤く色づくことからアカメガシワといわれている。
ひさぎを詠める歌は万葉集に4首ある。


こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。

万葉アルバム(奈良):橿原市、天香久山神社

2012年01月05日 | 万葉アルバム(奈良)

春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の
衣干したり 天の香具山
   =巻1-28 持統天皇=


 春が過ぎて、もう夏がやって来たらしい。聖なる香具山の辺りには真っ白な衣がいっぱい乾してある。という意味。

 持統天皇は、694年に都を藤原京に遷した。新都を囲む大和三山のうちで、最も神聖だとされたのが香具山である。「天の」は、香具山が天から降ったという古伝説に基づいて、香具山に冠される語。その香具山に真っ白な衣が乾かされている。その光景に、天皇は夏の季節の到来を感じ力強くさわやかに歌った。

 白栲(しろたえ)は、楮(コウゾ)類の皮を剥いで、表皮を落とし白皮を灰汁で煮て川で晒し、さらにしごいて澱粉質を搾り出し、石に叩きつける。すると極細の繊維に別れ、これによりをかけて糸にする。その糸で織ったものが白栲だそうだ。

この万葉歌碑は、香久山中腹にある天香久山神社に建てられているものである。
天香久山神社は天香具山の南麗、南浦集落のほぼ中心に南面して鎮座し、天照大神を祀る。「古事記」「日本書紀」の神話にみられる天照大神の岩戸隠れされたところと称し、今もなお巨石4個があって、神代に天照大神が幽居した天石窟と伝えられる。『延喜式』神名帳に式内大社として登載されている古社なのである。

万葉アルバム:樹木、まゆみ

2012年01月02日 | 万葉アルバム(自然編)

南淵の 細川山に 立つ檀(まゆみ)
弓束(ゆづか)巻くまで 人に知らえじ 
   =巻7-1330 作者不詳=


南淵の細川山に立っている檀の木よ。お前を立派な弓に仕上げて弓束を巻くまでその所在を人に知られたくないものだ。という意味。

南淵は奈良県明日香村稲淵の上流、細川山は明日香東南方細川に臨む山。
「弓束巻く」とは左手で弓を握りしめる部分に桜の樹皮や革を巻きつけて握りやすくすることで、弓の仕上げの作業のことをいう。
 
檀(まゆみ)は、山林や野原などに生えている秋には赤い可愛い実をつけるニシキギ科の落葉低木。葉はその年に伸びた緑色の枝から生え,大きさは5~15cmで表面はつるつるしている。初夏に枝の前の年にできた部分から伸びた小枝に咲く。昔,この木から弓を作ったことから真弓(マユミ)という。しなやかで強い幹を弓の材にしたことによる名。

この万葉歌碑は千葉県袖ケ浦市の袖ヶ浦公園内の万葉公園に建っている。