我がやどの 蒔きしなでしこ いつしかも
花に咲きなむ なそへつつ見む
=巻8-1448 大伴家持=
私の庭に蒔(ま)いた撫子(なでしこ)は、いつになったら咲くでしょうか。咲いたらあなただと思って見ようと思っています。という意味。
大伴家持(おとものやかもち)が、大伴家持が最初に恋心を抱いたひとで、のちに正妻にした坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈った歌。家持は何と15,6歳。坂上大嬢はまだ12、3歳の少女であった。
坂上大嬢は大伴坂上郎女の娘で、郎女は大伴旅人の妹であり、家持は旅人の子、すなわち坂上大嬢は家持にとっては従妹にあたる。古代の日本においては、同族間での結婚は珍しいことではなかったのである。
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撫子(なでしこ)は、ナデシコ科ナデシコ属の多年草で現在のカワラナデシコにあたる。秋の七草の一つ。7月~10月にかけて河原や野原に咲いていて、花の先が細かく切れ込んでいるのが特徴。淡い紅色が主だが、白い花もある。
万葉集には26首と多く詠まれており、恋の歌に使われている場合が多い。
この万葉歌碑は、明日香村の雷橋右岸上流堤に建てられている。
家持は奈良の佐保で育ち、明日香を訪れたことはなかったと思うが、名門豪族だった大伴氏の本拠地は、大和盆地東南部(橿原市・桜井市・明日香村付近)だったらしく、皇室・蘇我氏の本拠と隣接するここ明日香だったようだ。