
(馬来田 案内図:クリックすると拡大表示します)
馬来田と書いて「まくた」と読む。豪族馬来田国造が支配した土地で古くは「うまくた」と呼ばれていたが、明治時代に市制制度が整えられたのに伴い「馬来田(まくた)」と定められたとのこと。その後、馬来田村と隣の冨岡村が合併して富来田(ふくた)町となり更に木更津と合併して、木更津市富来田地区と馬来田地区になって、馬来田という地名はなくなってしまった。
馬来田は木更津から小櫃川に沿って上り久留里との中間にある田園地帯である。
この辺はまた「万里谷」の地でもあり武田氏が城山にある万里谷城によって戦国時代一帯を支配したことも歴史に残っている。この地の歌が万葉集に3首載っている。当時の人が筑紫の国に防人として行くため馬来田を離れる心情を歌ったもの、などである。
「馬来田」がどこの地とは定めがたく、諸説あるらしいが、上総国望陀(まうだ)郡が万葉でいう「宇麻具多」だといわれている。現在の袖ヶ浦市・木更津市を流れる小櫃川流域で、今も望陀の地名が残っている。
木更津と亀山を結ぶ久留里線のJR馬来田駅、小櫃川の支流になる武田川沿いにコスモス・ロードと名づけられた田園地帯に続く路があり、いにしえの万葉の風景を感じながら辿ると、そこここに万葉歌碑が6基点在している。

馬来田 武田川コスモスロード

1.馬来田駅前
馬来田の 嶺ろに隠り居 かくだにも
国の遠かば 汝が目欲りせむ (巻14-3383)作者未詳 →詳細は万葉アルバムへ

2.「小さな路の駅」
旅衣 八重着重ねて 寐のれども
なほ肌寒し 妹にしあらねば (巻20-4351) →詳細は万葉アルバムへ

3.武田川左岸畔
馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の
濡れて我来なば 汝は恋ふばぞも (巻14-3382)作者未詳 →詳細は万葉アルバムへ

4.武田川・町原橋畔
春の野に 霞たなびき うら悲し
この夕影に うぐひす鳴くも (巻19-4290)大伴家持 →詳細は万葉アルバムへ

5.武田川・妙泉寺下右岸畔
春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ
野をなつかしみ 一夜寝にける (巻8-1424)山部赤人 →詳細は万葉アルバムへ

6.妙泉寺
銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも (巻5-803)山上憶良 →詳細は万葉アルバムへ
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