飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(奈良):桜井、粟原廃寺跡 ゆずりは

2010年06月03日 | 万葉アルバム(奈良)

いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉(ゆずりは)の
御井の上より 鳴き渡り行く
   =巻2-111 弓削皇子=


 昔を懐かしむ鳥でしょうか、ユズリハの井戸の上から鳴きながら飛んで行きます。という意味。


いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす
けだしや鳴きし 我が恋ふるごと 
   =巻2-112 額田王=


 ・・・昔を恋いしがるのはホトトギス。私が恋しく思うように鳥もまた鳴いたのでしょう。という意味。

これは相聞歌で、弓削皇子が吉野から額田王に送り、額田もそれに応じた歌だとされている。
 父と同時代を生き今は老いてしまった女性に子が送った歌。当時、弓削皇子は20代、額田王は60代とも言われいる。
 ホトトギスは歌にあるように懐古の鳥、ユズリハは新芽とともに古い葉が皆落ちて「譲る」のがその名の由来になっている。
 弓弦葉の御井と呼ばれた井戸が、何処にあったのかは全く不明だそうだ。

 万葉歌碑は桜井市大字粟原の粟原寺跡(おおばらでらあと)にある。

 粟原集落の天満神社境内とその隣接地に、塔と金堂の跡が残っている。
粟原寺建立の次第を刻んだ三重塔伏鉢(国宝・談山神社蔵)の銘文によると、仲臣朝臣大嶋が草壁皇子のために建立した寺で比売朝臣額田が持続天皇8年(694)から造営を始め、和銅8年(715)に完成したことがわかっている。

 粟原寺跡にあった説明板によると、「 当地は、有名な萬葉の女流歌人・額田王の終焉の地だ」と言う伝承が遺されている。
額田王の姉といわれる鏡王女の墳墓が粟原寺の近くにあり、額田王は姉の墓をも守りながら、晩年をこの地で過ごしたのは、夫であり草壁皇子の父でもある天武天皇のゆかりの地であったからだろうか。


ゆずりは:4~5月古い葉の付け根に茶色の小花を咲かせ、春の新葉を見とどけて古い葉が散るので譲り葉と呼ばれる。円形の実は秋には藍色に熟す、政治家や企業人もかくありたい・いつまでも権威にしがみついていては若い力が育たない・目出度い植物として正月の鏡餅の飾りに使われる。雄雌異株、葉の茎が赤い特徴がある。葉の表面は光沢があり、日当たりの良い暖かい山に生える。

こちらの万葉歌碑は千葉県袖ケ浦市の袖ヶ浦公園万葉植物園に建っているもの。